42 - 一撃で殺して(少女とカミサマ)

 この瞳を、ずっと見ていられるのだと思っていた。
淡い霧の中をたゆたうように、私は永遠にあなたと寄り添っていけるのだと。
そう、信じていた。



「……あなた?」

ひっそりとした室内の中、畳の上へと敷かれた布団の上に横たわる女が声をかける。
その声はどこまでの弱弱しく、僅かに掠れてもいた。
きしり、と音をたて、その声の方へと何かが近寄る。
無造作に何かは女の横に腰をお下ろし、なんのてらいもなく彼女の方へと手を伸ばす。

「気持ちいい」

女の額の上に置かれた手は、抜けるように白い。
体温などどこかに置き忘れたかのような白磁の腕の持ち主は、一度見たら忘れられないほどの美貌をもった男だ。
こげ茶色の髪を後ろへとたらし、同じ色の瞳は女を見下ろしていた。
無表情に思えるほど整った顔立ちからは、感情を見出すことは難しい。
だが、男を知るものからすれば、微かな感情のゆれを感じ取ることができただろう。
そしてそれは、彼の前に横たわる女にも可能であった。

「ごめんなさい」

滑らかな手を頬へと滑らせ、女の肌の感触を確認するかのように撫でる。
もともと体温など感じさせない男と違って、女はあくまでも普通の女であった。
ほんのりと甘やかな香りさえ感じさせたその肌色を、男はいたく気に入っていた。
だが、今ここにあるのは、男の体温さえ奪いかねないほど生命力を失ってしまった体躯だけである。
ぶれないはずの感情が波打つ。
生まれてはじめての気持ちに、戸惑いすら覚えている。

「……桜を見るんじゃなかったのか?」

初めて声を出して問うた男の声は、彼女を責めるような色をにじませている。
微かに苦笑して、女が答える。

「……」

女の声は、もはや音にはならないほど弱っていた。
微かに聞こえるはずの呼吸音ですら苦しげなものへと変化している。
その時は、確実に彼らの元へと近づいている。
所在なさげに女の隣へと居座ったまま、男は女と外界の樹木へと視界を交互に見やる。

どれほど二人はそうしていたのかがわからなくなるほど、静寂な雰囲気だけがその場を支配している。
二人以外はだれもおらず、そして常ならば頻繁に現れる何か、すら息を潜めている。
ただ、とっぷりと暮れた日と、いつのまにかつけられた灯りが時の経過を知らせてくれるのみだ。

「……」

男は、確かにその声を聞き、意味を理解した。
ゆっくりと指先を彼女の喉元にあてる。
ひやりとした感触は、やはりすでに生命力の大半が抜け出したかのようだ。
人ではない男ですら、そのことを理解することができた。
今、彼の目の前で彼女の命が消えていく寸前である、ということを。

簡単に折れてしまいそうな細い首に手をかける。
力をこめた瞬間、彼女が笑ったような気がした。



「……ばかなやつだ」

素朴な小さな石の塊が置かれた地面の上に、男はただ何かを撒き散らす。
元来表情のない顔は、さらに色を無くしたまま人ならぬ美貌を際立たせている。
誰も居ない空間で、ただ石の塊を睨み付ける。
ふいにその姿を消え去り、誰も何もない空間に静けさが訪れた。
やがて、木々が育ち、花々が小さな石を囲うその空間に、男は必ず訪れるようになった。
いつまでも変わらぬ美貌と、彼の中の色を失ったまま。



再掲載:03.02.2016/11.25.2015
少女とカミサマ




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