33 - 忘れ物

「おまえ、あんな頭弱そうなのでいいわけ?」

同僚が何気なく放った一言が、自分の人生を変えてしまったのかもしれない。
もちろん、それは責任転嫁、というものだけど。

会社の納涼会に、すでに恋人となって長い麻衣子を連れ立って参加した。
義務化した行事でも、彼女と一緒なら楽しめると思っていた。
その日の彼女は、会社帰りだというのに、ふんわりとしたワンピースを身にまとっていた。
目立ちすぎず派手すぎず、それは十分に彼女をかわいらしく引き立たせている。
満足げに見下ろすと、自分が贈ったネックレスが胸元に飾られていた。
麻衣子と、自分の付き合いは長い。
それこそ幼稚園の頃からなので、二十年はたっぷりと付き合っている計算だ。
もちろん、それはただの知り合いだったり友達だったりクラスメートだった期間も含めてだけど。
いつのまにか付き合って、そして結婚の約束をしていた。
それが、まるであたりまえだったかのように。
隣に寄り添っていた彼女は、すんなりと同じ立場の女性たちと会話を交わしていた。
仲がよさそうに談笑する姿は、初対面だったことが信じられないほどだ。

「あれ、おまえの?」

ささやくように質問をするのは同期の人間だ。
自分に恋人がいたことを知ってはいても、姿をみるのは初めてだったせいなのか、結構不躾な視線を麻衣子の方へと投げかけている。

「へぇ、意外だなぁ」
「そうか?」

隣に麻衣子がいない生活が考えられない自分は、彼の疑問が理解できない。

「いや、なんか、ちょっと」

にやにやと、他の同期たちも言葉を濁しながら会話に首をつっこんでくる。

「かわいいだろ?」
「まあ、かわいいっちゃ、かわいいけど」

含むところがあるのか、彼らは視線で会話をしている。

「どこで会ったの?」
「どこって、幼稚園だけど」
「ああ、幼馴染ってやつ?」
「まあ、そうだけど」
「それで……」

だらだらと、要領を得ない会話が続いていく。
その間に、麻衣子はしっかりと女性陣と会話を盛り上げているようだ。
彼女は、ああ見えて女性との付き合いが上手だ。
今までトラブルがあった、ということを聞いたことがない。

「相田とはタイプが違うな、って思ってさ」
「そうか?」
「なんか、彼女って、スイーツ食べて震えてそうな子じゃね?パンケーキに何時間もならんでさ」

二人して麻衣子の方をみる。
ゆるく波打った髪を、今日はゆるくまとめている。
本当に、とても仕事帰りとは思えないほど、彼女の格好はふんわりとしている。
そして、幼げな顔立ちも相まって、女性雑誌に出てくるモデルのようだとも思った。

「甘いものは好きだけど、並ぶのは嫌いだよ?」
「そう具体的に取られても困るんだけど、あくまでイメージ、イメージな」
「それに、彼女の務め先って結構お堅いというか、真面目というか」

彼女の勤め先を説明する。
彼らは意外そうに目を丸め。そしてお互い何かうなずきあっている。

「ああ、それお嫁さん候補、とかいうやつじゃね?」
「あーーー、なんか、昔そういうのあったみたいだよね。そういうのならぴったりじゃん?ほんと」
「だったら、おまえうらまれてないか?会社の連中に。せっかくのお嫁さん候補を横取りしてさ」

ずっと付き合っていた自分にたいして、失礼なことを言う。
それに、彼女は窓口でも営業でもなく、研究職だ。
そんなことを口にする前に、いつのまにか彼らはそれぞれの場へと戻っていった。
「頭弱そう」という言葉を残して。

その日から、僕は麻衣子のことを色眼鏡で見るようになったのかもしれない。



「で?」

タバコをすいながら突きつけられる。
彼女が、こういう態度をとるだなんて知らなかった。
心底冷たくて、そしてぴしゃりと線引きをされたようだ。
あれ以来、彼女の外見が気になった自分は、まるで正反対だけど、どこか麻衣子に似ている美咲とそういう関係となった。
僕と麻衣子は幼稚園から、美咲は小学校からのいわば幼馴染同士だ。
美咲が、麻衣子の後を黙ってくっついて回る姿を、今でも思い出すことができる。
あまり友達づきあいが上手ではない美咲を、麻衣子はうまくフォローしていたように思う。
決定的に嫌われているわけではないけれど、どこか阻害されていた美咲を輪の端っこに引き止めていたのは麻衣子だ。
男子連中も、必ずくっついてくる美咲という存在は、ちょっとだけ疎ましく感じていたことを覚えている。

淡々と、言いたいことだけを言い切って、麻衣子は僕たちの前から去っていった。
残された美咲は、息を吐き出して、僕に笑顔を向けた。
そして、僕はようやく、正反対の美咲が、麻衣子に似ていると思った理由を理解することができた。

「それ」

髪をまとめている何かを指差す。
見間違いでなければ、それは先ほどの麻衣子が使っていたものだ。

「あ、これ?かわいいでしょ?」

事も無げに口にする。
さっきまでいた、麻衣子と同じものを見に付けた美咲が。
そういえば、と、彼女の周りを見渡すと、どこかでみた持ち物が浮かんでくる。
バッグは以前麻衣子が持っていたような気がするし、そこにつけた小物も、どこかでみたようなものだ。
あまり詳しくない自分にも、美咲が麻衣子のもちものを取り入れていることがわかる。

「その髪型さ」

地味な顔立ちの美咲には似合わない、彼女にとっては少し派手なまとめ髪。
正直にいって、そこだけ浮いている。
そして、それはやっぱり先ほどの麻衣子に驚くほど似通っていた。
僕が何を言いたいのかがさっぱりわからない美咲は、小首をかしげてこちらを見つめている。
その仕草すら、麻衣子のコピーのような気がして、薄ら寒くなる。
そう、コピーだ。

「似合わないよね、それ」

咄嗟にネガティブな言葉を吐き出す。
そういえば、いつもいつも、後追いのように麻衣子の髪型をまねていた美咲を思い出す。
引っ込み思案で、だけれども麻衣子の後をつけることはやめない美咲は、目立たなかったから自分たちの間ではさほど噂にはなっていなかったけれど。
今まで気がついていなかった、美咲の「癖」が気になりはじめる。

「麻衣子のまね?」

感情が赴くままに口先が突っ走る。
あたりまえだけど、ここにくるまでは美咲を麻衣子から守って、そして二人でやっていくつもりだった。
だけれども、麻衣子は自分たちにはさっさと見切りをつけ、美咲には興味がない、とばかりの視線をむけただけだった。
長い、長い関係のあっけない終了。
自分の中の大部分が切り離され、そして新しく手に入れたものが急激に色あせてみえる。
自分勝手だけれども、自分の中の感情がうまく始末できていない。
困ったような顔をして、黙ったままこちらを見上げている。
彼女は、こうやって最後は自分の意思を通してしまうことが多いことに気がついた。
人見知りで引っ込み思案で。
だけれども、彼女は気が弱いわけでも遠慮深いわけでもない。
控えめな態度で、結局自分の意思を通しきる人間をどう呼べばいいのか。

「ごめん、頭冷やす。当分連絡しないでくれ」

そういい残して、自分は伝票をもって歩き出す。
きょとんとした顔をしたまま、美咲は立ち上がりもせずこちらを縋るような視線をむけるばかりだった。

結局、麻衣子との関係が終わるとともに、美咲とのつきあいも終了してしまった。
僕から連絡をしなければ、美咲からは何のリアクションもなかった。
たぶん、じっと自分が謝罪するのを待っているのだろう。
麻衣子にくっつきながら友人関係の端っこに居座っていたときのように。

何も残らなかった自分は、麻衣子が言いかけた昔のことを思い出す。
あの時、僕が思い出していれば、この場に一人きりじゃなかったのかもしれない、と。
取り返しのつかない忘れ物を捜す。
麻衣子は、戻らないことを知っているけど。



再掲載10.21.2015/8.3.2015




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