31 - 約束をしよう

 私が結婚を決めたのは、思い起こせば幼稚園ぐらいの頃だった。
それはたぶん、刷り込み、とか、思い込み、みたいなものだったけど。

「まいちゃん、ぼくのおよめさんになってね」

そういって手を差し出した、幼馴染の手を受け入れたことを覚えている。
ありがちな、ぱぱのおよめさんになるー、というのを通り越して、私はずっと雄太のお嫁さんになる、といい続けていたらしい。
ファミレスで縮こまるようにしてこちらを伺う二人に、どういうわけか思考は過去へと遡る。



「で?」

タバコに火をつけ、ゆっくりと吸い込む。
やっぱり、コーヒーにはタバコだよね、と満足していると、おびえたような雄太と視線がぶつかる。

「おまえ、タバコなんて吸うのか?」
「すうよ?だから?」

間髪入れずに肯定し、非難めいた言葉を口にしようとした男を黙らせる。
そもそも、雄太は私のことを何も知らない。
私が何を好きで、何が嫌いで、そしてどういう性格なのか、を。

「隠してたのかよ」
「聞かなかったし」

確かに、聞かれたことは一度もない。
彼は、私がそんなことをするだなんて思ってもみなかっただろうから。
周囲から見た私の印象は、自分自身が一番良く知っている。
まあ、いわゆるゆるふわ女子だ。
大きな垂れ目で、少しだけ茶色い髪をふんわりとカールさせて、かわいらしいシュシュやバレッタで時折まとめる。
どこか甘めの顔立ちは、実年齢より幼く見えて、ふるふるさせながらパンケーキを食べるのが似合う。
まあ、たぶんこんなところで、おそらくそれぞれの細かい印象は瑣末な違いだろう。

「で?」

再び問う。
そもそも、呼び出したのは先方だ。
まさか、差し向かいに座った雄太の隣に、もう一人の幼馴染の長浜美咲が座るとは思ってもみなかったけれど。

「いや、だから、俺たち」

隠しているようで隠し切れていない、机の下で固く結ばれた右手をみれば、言いたいことは予想できる。
それが、私の婚約者である雄太と、長年の友達である美咲からではなければ。

「浮気してた、と」

美咲は一瞬傷ついた顔をして、こちらに視線を合わせ、すぐにそらせる。
人の男をとるぐらいなのに、どうしてこの子はいつまでも気が弱いのか。
いや、弱弱しい態度だから人の男をとれるのか、と、納得をする。

「まあ、いいや、あんた昔っから、私のこと真似するの大好きだったしね」

煙を吐き出しながら、今までの数々の出来事を思い起こす。
始まりはなんだったかは覚えていない。
おそろいの鉛筆だったのか、ハンカチだったのか。
美咲は、何も話さず私の後ろをついては、私のまねばかりをしていた。
そういう態度はたいてい周囲の女の子たちから嫌われ、美咲はそれとなく周囲から疎遠にされていたけど。
次は、自分がまねされてはたまったのもじゃない、と。

「さすがに高校まではまねできなかったみたいだけど」

こうみえて、彼女と私の学力は異なる。
地味で真面目で優等生そうに見える美咲の偏差値は、とてもかわいらしい。
そして、頭が薄桃色に染まってそうな私の学力は、それなりに高い。
誰もが驚いて、二度見をしそうなほど、外見と中身の印象が異なるのが私と美咲だ。
今も美咲は、私と同じシュシュで左サイドで髪をまとめている。
彼女は真面目でお堅くて印象の薄い優等生風。
私は、頭が軽そうで新しいスイーツか化粧品にしか興味がなさそうなゆるふわ。
それらが対峙する姿は、ちょっと異様だろう。
私がタバコを吸いだしたことにぎょっとして、こちらをちらちら伺っているウェイトレスがいい証拠だ。

「で?」

三度目の問いかけを、雄太に突きつける。
私を呼び出して、浮気相手を侍らせ、そしておまえは何をやりたかったのかと。

「……解消」

消え入りそうなほど小さな声でぼそっと呟く。

「慰謝料はもらうよ?あたりまえだけど」

ひどい、という顔をする美咲を睨み付ける。

「もちろん、あんたからも」

ゆっくりと灰皿にタバコを押し付ける。
水滴がついたアイスコーヒーをいっきに煽る。
こんな自分でも少しは緊張していたようだ。
喉を通る冷たい液体が心地よい。

「あ、それから、同級生にはちゃんと説明しておくから、安心してね」

二人そろってぎょっとした顔をする。
あたりまえだろう、私が不利な情報を流されてはたまらない。
別に私は、将来に夢も希望も抱かないほど枯れてはいないのだ。
たとえ、恋人と、友人に裏切られていたとしても。

「そういえば、雄太、覚えてる?」

くるくる変化する表情でこちらを伺う。
この場に、美咲を連れてきた頃の熱がどこかへ去ってしまったのか、今の雄太は不安定だ。
私という共通の敵、みたいなものをもって二人して盛り上がっていたのかもしれない。

「幼稚園の頃に約束したこと」

首をかしげた彼は、すっかり忘れ去っていたようだ。
いや、覚えていても思い当たらないのかもしれない。
私が、こんな風にあのときのことを大事にしているだなんて。

「まあ、いいや、支払いはこれで」

千円札を取り出し、二人の前に置く。
コーヒー一杯には過ぎたる値段だが、あいにく五百円玉はない。

「あとは、代理人でも弁護士でも、てきとうに第三者を挟んどくから」

そういい捨てる。
私と雄太の婚約は、すでに略式だけれども結納まで済ませてしまった段階だ。
披露宴会場は押さえてあるし、新居の目星もつけている。
幸いなのは、招待状を送る前だった、ということぐらいだろう。
こんな風に、ファミレスで呼び出して「はい、解消」などと簡単に済む問題ではない。
そんなことにも雄太は気がついていないけれど。

格好つけて足早にファミレスを後にする。
追いかけてこない雄太に、半分ぐらい期待していた気持ちが分散する。

「約束!」と、小指と小指を絡ませた、小さな私と小さな雄太が通り過ぎる。
私の気持ちはあの時と変わらず。
だけど、雄太はあの約束を忘れてしまった。

小さな私が、私の代わりに泣いてくれているような気がした。



再掲載10.21.2015/8.3.2015




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