33. 殺されてあげない

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お題配布元→capriccio

 逃げて逃げて、彼女は逃げた。
土地も、文化も、言葉すらわからない場所を、女は必死に逃げ惑った。
ぼろ雑巾のようになった彼女を、拾ってくれたのが旅芸人の一団だった、というのは彼女にとって幸いだった。
何もできなかった女は、生きていく術を獲得し、つたないながらも言葉を獲得した。
その代わりに搾取されたことなど、生きていくためには些細なことだとすら切り捨てた。
私は、私として生きていける。
そう思ったとき、彼女はまた一人ぼっちでそこそこ大きな町へと流れ着いていた。



「ねーちゃん、今日もかわいいねぇ」
「はいはい、お代わりは?」

尻を撫でてくる客をかわしながら、注文を聞く。男が返事をするよりも早く、厨房へと指示を飛ばす。
ここは酒屋であり、安価なメニューを提供している場所だ。
どちらかというと客層もそれなりであり、それでもどういうわけか大きないざこざが起こらない程度には、治安は保たれていた。
それもこれも、この街には国が誇る騎士団の一つが常駐しており、それが一般人には何がしかの抑止力となっているからだ。

「おーい、ねーちゃん、こっちにも!」

あちこちから声がかかり、女は軽やかなステップを踏むかのように、男たちの間をすり抜け、仕事をこなしていく。
彼女は、季節が数度変わるほど前にふらりと町へやってきた戦争孤児だ。
この国が代替わりする前、隣国と小競り合いを繰り返していたのは誰もが知ることだ。
それに伴い犠牲は、末端に強いられ、彼女のような存在は珍しいことではない。
それもこれも少しさかのぼった時のことであり、今ではそのようなかわいそうな子供たちはほとんどいなくなってはいるのだが。
さほど珍しくもない栗色の髪は、高名な人形師が作り上げたかのように繊細で美しい。
それを簡素な飾りもない紐で一つくくりにしたところで、美しい髪は損なわれることはない。
珍しい顔立ちは、それでも地方へいけばしっくりと馴染む程度のものであり、あちこちから旅人ややってくるこの街では、悪目立ちするほどではない。
こげ茶の目は潤みがちで美しく、そしてなにより配置がすばらしく、彼女は文句なく美しい少女、と言えるだろう。
ただ、地味な化粧をし、極力目立たないように振舞ってはいるが。
そんな彼女を目当てにしてやってくる男たちも多く、この店は、ここのところ常に満員御礼だ。
彼女は笑みを浮かべ、よく立ち働き、そして男たちも機嫌よく酔い、家路へとつく。
そんな日常が、彼女にとってどれほどありがたく大切なものなのかは、誰も知らない。



「おい」

使いを頼まれ、幾つかの野菜を抱えながら、彼女は厳つい声に誰何された。
顔など見なくともわかるほど威圧感のあるそれに、彼女は緊張し大人しく立ち止まる。
ゆっくりと振り向くと、彼女の予想通り、そこには常日頃接触することなどないだろうほど高位の騎士が立っていた。
彼女が立ち止まったことを確認し、男は真面目な顔のまま、彼女に近づく。
足に力を入れ、それを気取られないようにしながらも、彼女は笑顔で彼を見上げる。

「その髪は地毛か?」
「そうですけど、何か?」

この髪色は、そう珍しいものではない。
平凡で、一般的な色。

「そうか、いや、失礼した。珍しい瞳の色だったものだから」
「ありがとうございます」

会話がかみ合っていないことを重々承知しながら、彼女はさらに人懐っこい笑みを浮かべる。
年頃の少女の物怖じしない態度に、強面の男は少々たじろぐ。
悪いことなどしていなくとも、自分を見れば女たちは恐怖を覚える、ということを自覚しているからだ。

「でしたら騎士さま、ぜひお店にいらしてくださいな」

そう言って彼女は店の名を告げ、そしてふわりとしたスカートを翻しながら男の下を去っていった。



 少女の姿が消えたのはその晩のこと。
頼まれた野菜を厨房へとおき、彼女は忽然と消えていった。
男が、店へたどり着き、酷くがっかりしたころには、その店には新しい看板娘が立ち働いていた。
以前の彼女のようには、評判とはならなかったけれど。



 この国では、神への供物のため、人を捧げる習慣がある、ということを国民は知らない。
そして、それはここではないどこかから連れてこられた特別な「人」であるということも。
彼女たちは皆美しく、そして特別な髪色を持っていた。
もちろん、それを皆が知ることはない。 それがたとえ当事者であった、特別な「人」だとしても。

 特別な髪色を持っていた、栗色の髪の少女は慣れた足取りで街道を歩く。
次にたどり着くのは、もう少し田舎にしよう、と考えながら。

再掲示10.17.2012/6.27.2012
零れ落ちた花びら

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