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お題配布元→capriccio様
自分が愚かだったことは十分承知している。
だけれども、時折胸が痛む。
そして、そんな時、俺はまだ彼女を愛しているのだと思い知る。
耳を疑う密告は、あまり好きではない女から齎された。
妻が、同期の人間と浮気をしている、と。
最初はその告げ口を疑った。
俺は彼女を愛していて、妻も愛してくれていると信じていたからだ。
だが、まことしやかに囁かれるそれに、いつしか感覚は麻痺していった。
その頃には、妻の笑顔や些細な仕草さえも勘ぐり、神経は疲弊していく。
今思えばわけのわからない感情をぶつけられ、思い当たる節のない彼女のストレスも相当なものだったろう。
徐々に、彼女の方も擦り切れていった。
何もかもあたりまえだ、彼女は潔白だったのだから。
あげく、あの女は妻にまで何事かを囁き、そしてお互いが疑心暗鬼に陥っていった。
そこから先は、思い出したくもない出来事の連続で、俺は妻を失った。
気がつけば篭絡されるようにあの女と付き合い、友人たちさえ失った。
それを自業自得だと、指摘してくれる人間すら、自分の周りにはいやしなかった。
痛む傷は、あの時のまま。
まだ愛しているのだと、それだけが思い知らせてくれるような気がして。
休日を何もすることがなく、だからといって仕事ばかりする気力がなかった俺は、気まぐれに大きなショッピングモールを訪れた。
タイミングよく転勤であの土地を逃げだし、再び戻ってきた自分には懐かしささえ覚える場所だ。
ただ、隣には妻がいない。
あたりまえだが、それが再び俺の傷を刺激する。
必要なものを購入し、休憩のため入ろうとしたコーヒーショップで、俺は目を疑う光景をみた。
そして、何度も何度もそちらを見つめ、ようやく確信した。
妻が、いや、元妻がそこに座っているという事実を。
記憶にあるよりもふっくらとした彼女は、落ち着いた髪色をまとめあげ、艶やかな笑顔を浮かべていた。
自分が好きだった化粧よりも濃い色は、彼女を華やかに彩り、魅力的にみせていた。
周囲に人間が、彼女をちらちらと見ているような気がして、慌てて彼女の側へと近寄った。
罵倒されるかも、と思った。
それでも彼女の声が聞きたかったから。
だが、彼女からこぼれた声は、全く異質のものだった。
「お久しぶりです」
本当に久しぶりに出会った元妻は、なんの曇りもない笑顔で俺にそう告げた。
まるで、何の感情もない、昔の親しくもない同級生に出会った程度のさりげなさで。
再び会うことがあったら、あんなことを言おう、こんなことを言おう。
夢想していた俺は、肩透かしをくらったかのように黙り込むしかなかった。
そして、元妻の隣にいた男から知らされた衝撃の事実に、結局満足に言葉さえ発することさえできなかった。
彼女はずっと笑顔のまま。
だけど、目は、ずっとこちらを何の興味もないものだと認識していることだけはわかってしまった。
愛情は言うに及ばず、憎しみさえないそれに、俺は内臓がきりきりと絞りあげられるかのような錯覚を覚える。
嫌いになったことなどない。
今も昔もずっと愛している。
そんな陳腐な言葉は、今の彼女の前には無力で、社交辞令にも届かない代物で。
俺は、ようやく彼女を失ってしまったのだと痛感した。
再掲示9.18.2012/3.9.2012
同じ話の別視点→冷たくしないで
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