07.手を繋ごう
 ふと、数歩前を歩く男の背中をじっくりと眺める。
別にこれといって特徴はなく、だからといって違和感があるわけでもない、正直なところ見飽きた、とも言える背中。
それでも、それは私にひどく安心感をもたらしてくれる。
付き合って八年。
長すぎる春だと、揶揄されることすらされなくなったこのごろ、次々と結婚していく友人たちを尻目に、それでものんびり二人で週末を過ごしている。
結婚したくない、と言えば嘘になる。
だけど、今の関係を壊してまで先に進みたいかと言うと、そうでもない。
元来面倒臭がりの私は、明らかにややこしそうな手続きが山積みになっていそうで、現実逃避をしているのかもしれない。
仕事に行って、帰ってきてメールして、一人ごはんをして、お風呂に入って寝る。
朝起きてメールして仕事に行く。
こんなあたりまえだけど、平凡な毎日を結構愛しているのかもしれない。

「遅いぞ」

こちらを振り返り、彼がぽつりと声をかける。
これもいつも通りで、思わず笑い出しそうになる。
口元を押さえ、彼の隣へいそぐ。
頭一つ分背の高い彼の隣で、彼は少し歩みを緩めて、私は少し早歩きで。
こういう風に自然とお互い気を使うようになった関係が居心地がよく、やっぱりこのままでいいやと、心の中で呟く。

「いい天気だねぇ」

特に用事があったわけではない私たちは、昼食を食べた後、適当に彼の家の近所を散歩している。
これもまた習慣のようなもので、通勤には便利だけれども、適度に自然の残っているこのあたりは、今の季節ともなると風もここちよく、のんびり歩くには最適だ。

「ああ」
「つくしはとっくに終わっちゃったけど、たけのこはまだだよねぇ」
「ばーか、こんな土手にたけのこが生えるか」
「まあ、そうなんだけどさー」

川べりの土手を眺めながら取り留めのない会話を続ける。
こうやって落ちもなにもない会話を交わせる醍醐味、というものは、長年連れ添ってきたという夫婦にも通じるのかもしれない。
苦痛ではない沈黙。
それもまた青空の下、気持ちが良い。
小さな自然を満喫していた私に、唐突に彼の声がかかる。

「今度、おまえんち行くから」
「は?」

彼は私の家へ来るときには、こんな風にアポイントをとることはない。
さすがにメールぐらいで知らせることはするが、そもそも合鍵をもっているので、そんな手間はかけたりはしない。
だから彼の指すお前の家、というのは、今現在私が一人暮らしをしている家ではない。
そこまで考えて、だったらどこだ、といった疑問が浮かび上がる。
わけがわからない、と見上げる私に、立ち止まって彼がさらに付け加える。

「両親の予定、聞いておいてくれ」

予定も何も、土日は普通にお休みだし、母にいたっては多趣味な専業主婦だが、土日は在宅している確率は高い。
だけど、それがお前の家へ行く、とつながらなくて思わず首をかしげる。

「鈍いな」
「うーん、ごめん、わかんない」
「付き合ってる男が実家に行くっていったら用件は一つだろう」
「へ?」
「そーいうこと」

間抜けな顔のまま、固まってしまった私を置いて、彼はさっさと歩き出す。
ようやく頭が働き出して、今のはやっぱりそういうことだと確信して、それでもやっぱりどこか半信半疑で。
少し先に歩き出した彼を追いかける。

「手、繋いでいい?」
「ばか、そんなのいちいち断るな」

どういうわけか耳まで真っ赤になった彼がそっぽをむく。

「今週でも、来週でも、大丈夫だと思う」
「ん……」

無言で、それでも居心地が良くて。
やっぱり空は青くて、川の流れはさわやかで。
繋いだ手に少しだけ力を込めた。


4.23.2009update/10.2.2009再録
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