04.つまずいた身体(雨夜の月)
 グニャリと地面が揺れ、体が地面にありえないほど近づいた。
ああ、私は倒れてしまったのだと、地面の冷たさを感じて初めて気がついた。
ひんやりとした感触が気持ちよく、しばらくそのままに体を横たえる。
やわらかい手が私の両肩に触れ、ゆっくりと抱き起こされる。

「翠さん翠さん!」

徐々に薄らいでいく記憶の中、心配そうにこちらを見つめる琥珀から逃れるようにして、家を出たことを思い出す。
そういえば、体が弱りきっている、と、医者に忠告をされていたようだ。
いまだにどこか、自分自身のことが他人事のようだ。
この空虚な感覚は、それでもこうやって琥珀と接することにより、少しずつ改善されているはずだ。

「悪い、ここまでとは思っていなかった」
「翠さんは病人なんです、病人は大人しくベッドの上で、あーんして待っていればいいんです」

おかゆすら自らの手で食べさせない勢いの琥珀の看病がうっとうしくて、こうして着替えてわざわざ出かけたというのに、結局その琥珀にまた迷惑をかけることになってしまった。
ふと、思い出す衣擦れの音。
そのたびに、私を悲しそうに見つめる琥珀の姿を見たくなくて、急いでその残像を振り払う。

「琥珀、プリンが食べたい」
「はい、はい、プリンならいくらでも作りますから」

結局、小心者だが力は成人男性並みにある、と言い張る琥珀の肩に乗せられるようにしながら玄関から寝室へと送り込まれる。
すっかり私の形にくぼんでしまったかのようなベッドに横たえられ、鼻歌を歌いながら琥珀は台所へと小走りに去っていた。
薄明るい部屋の天井を眺める。
木目一つが、何かを思い出させ、ゆるゆると頭を振る。
こちらへ、戻ってきたのだから、私はもう思い出したくはない。
だけど、ひんやりとした地面の感触から、あの、冷たさを思い出し、いつのまにか涙が浮かぶ。
嘘をついて裏切ったことには変わりがない。
たとえ、相手が人外だとしても。
私は、私を許すことができない。 今こうして安穏としていることに、喜びを感じていたとしても。
琥珀がプリンを作り終え、私の部屋へ運び込む頃には、再び深い眠りに入っていた。
人間以上に人間らしい、琥珀の手の温度を感じながら。


3.27.2009update/6.24.2009再録
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