03.動けないきみ
 一目ぼれの瞬間、というのもに立ち会ったことがある。
言葉にするのは少し難しいけれど、彼女が彼のことを一瞬にして好きになってしまった、ということだけは簡単に説明することができる。 だけど、それは僕からしてみれば失恋の瞬間で、だから僕は、あっという間に失恋した瞬間、というものにも立ち会ったことがある、ということになる。
時計の針がすでに午前零時を回っても、眠りの神は一向に訪れてくれない。
むしろ神経がぎすぎすして、ますます眠れない。
無理やりベッドの上に横たわり、天井を睨み付けるけれども、物音しない静まり返った室内は、世界中に僕以外の人間がいないかのような錯覚に陥れてくれる。

どうして、僕じゃないんだろう。
繰り返し浮かんでは消える問い。
僕よりも少しだけ格好よくて、僕よりも少しだけ背が高い彼を見つめながら動けなくなった彼女の横顔を思い出す。
とても綺麗で、かわいくて。
だけど、そんな顔をさせたのは僕じゃなくって。
目をつぶる。
彼女の顔が鮮やかに思い浮かぶ。
僕じゃない誰かを見つめる彼女。
僕じゃない誰かを好きになった彼女。
ため息とともに上半身を起こし、なんとなく目覚まし時計を手にとって時間を確認する。
進んでいるようないないような、のろのろとした時計の針を眺めながら、再び仰向けになる。
彼女の顔が浮かぶ。
動けないきみに、動けない僕。
すずめの鳴き声が聞こえたころに訪れた眠気は、あっという間に深い睡眠へと僕を引きずり込む。
起きたころにはすっかり日は昇り、僕は昼食のような朝食を食べる。
感じていなかったのに、ものすごく空腹だったことに気がついて、笑い出しそうになる。
彼女の顔が浮かぶ。
少しだけ焦点がぼけていて、僕はすこしだけそのイメージのなかで動くことができた。
動けないきみを残して。

きっともう、僕は大丈夫。


1.9.2009update/6.2.2009再録
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