01.たよりない笑顔(ひとつとや)
 晴香を一番強く印象付けるのは、その笑顔だ。
同年代の子供たちが快活に笑う中、彼女の笑顔はどこか寂寥感を伴う。
家庭的に恵まれていないせいだろう、と、簡単に結論付けられるそれは、だからといって同程度の状況におかれた少女たちすべてが伴うものではない、ということに、ほとんどの人間は気がついていない。ごく一部の人間を除いて。
単純に納得して、あっけなくそう決め付けてしまう連中は、そんな晴香を、ただのかわいそうな子とみなす。
それはそれであたっていなくともないし、彼女は幸せに暮らしてきました、と反論できるだけのものはなにもない。むしろ自分にとってみても晴香は割りと気の毒な生い立ちではある、と認識もしている。
だからといって、ただの安っぽい同情心がどれだけ鬱陶しいかを、彼らは理解しているのかいないのか。
年の割には大人びていて、そういう空気をすばやく読み込んでしまう彼女が、たよりなく笑うたびに、すべてから遠ざけて誰もいない場所へと彼女を連れ去りたくなる。
もちろん、そんなことはできないし、まだ、時期尚早だとわかってはいるけれど。



「冷めちゃいますよ?」

晴香がこちらを伺うようにしながら、視線をあわせてくれたことに気がつき、必要以上な笑顔が浮かぶ。
小さくつぶやいた「キショイ」という言葉が耳に届き、思わずそちらに顔を向ける。
どういうわけだか俺のところに婚約報告をしにやってきた同級生の男女二人が、それぞれ違う表情を浮かべながら、視線すら別々のところに漂っていた。
思わず呟いたのは、どう考えても女の方で、付き合いがとてつもなく悪かった俺を、最後まで根気よくさそっていた根性のある、俺にしてみれば粘着質な同級生だ。彼女は、おそらく晴香に対する俺の態度をみて、ずっと見てきた一面とは違う俺のことが、まあ、あれなのだろう。
その自覚はわずかでも残っているからそれはそれで納得もするし、反論をする気もない。
だが、横で惚けている彼の方は問題だ。
やはり同級生で、どちらかというと影が薄く、やさしいだけが取り柄の彼が、いつの間にか彼女に取り込まれてこうなってしまったのかは知らないし、知りたくもない。だけれども、この状態がとてつもなくまずい、ということだけは理解できる。
晴香の笑顔は、ある種の人間に強烈な吸引力を持つ場合がある。
保護欲が高かったり、無駄に共感力がある人間は、彼女のその魔力に引きずり込まれ、あっという間に惹かれてしまう。
それが愛情として発露するのか、友情として成就されるのか、もしくは異常にのめり込んだ保護者のような立場として発症するのかは、その人のメンタリティーや立場にもよる。
今のところは、変態以外は、鬱陶しい保護者か、暑苦しい友人、といった人間しか彼女のそばには存在してはいないけれども、いつどこでそれが愛情を伴った形で彼女に接する人間が現れてしまうのか、といったことを恐れてはいた。タイミングが悪いことに、それがまさに今このときかもしれない。
そんな恐ろしい想像をしながら、とりあえず女の同級生に、帰るように促す。
尋常ではない彼の様子に気がついていたのか、あっさりと彼の頭を二ー三発はたきながら、彼女が彼を正気に戻す。
何が起こったのかはわかっていない晴香は、突然の暴力行為に小さくおびえ、それを見てまた、彼が焦点の合わない目で晴香を見つめなおす。

「じゃあ、また、二度とこないけど」
「できればそうしてくれ」
「結婚式には呼ぶけど」
「まあ、接点はない、だろうから。俺もこれからは気をつけるし」
「そうしてくれると助かる。今から冷水でも浴びせて正気に戻らせるから」
「まあ、ほどほどに」
「じゃ!」

そういいながらも引きずるようにして彼を連れ出す彼女と、惚けたままの彼。
この二人は無事に結婚するだろうかと、一抹の不安を抱えながらも、あの女なら大丈夫、と、無駄に安堵する。
これからはもっと慎重にしなくてはいけない、そんなことを新たに胸に誓いながら。

「私、何か失礼なことしましたか?」
「いや、結婚準備は何かと忙しいし、いろいろあるんじゃないかな?やっぱり」
「そういうものですか」
「そういうもんじゃない?」
「私にはまだ想像もできないや」

はにかんだ笑顔で答える彼女は、実年齢よりもずっと幼くて、チクリと、罪悪感が胸を掠める。
そんな彼女に、どれほどどす黒い欲求を抱いてしまっているか、ということを。
幼い彼女に、自分の中の思いはあまりにも汚くて、だけれども、それすらも全て飲み込まれそうになるほどの何か、をもてあましている。
頼りない笑顔のままの彼女は、まだ、知らないまま。
そのままでいて欲しい自分と、全てを受け入れて欲しい矛盾を抱え、俺と晴香の付き合いは、続く。
きっと、何かが何かを壊すまで。


1.9.2009update/6.2.2009再録
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