19.迷ってもいいんだ(MyDoctor)
 私が綺麗な色の洋服を着ると、あの人が怒ったから。
だから私は、未だにそれをすることに罪悪感がある。



 久しぶりの休日に、俊也さんは郊外にできたショッピングセンターに連れて来てくれた。
老若男女が溢れたその場は、それでも息苦しいほどの人数ではなく、私は俊也さんに繋がれた手を意識しながら、ゆったりとしたペースで店を眺めては歩いていた。
きらきらしている小物や、すっかり秋色になったディスプレイを見つめる。
それらを手にすることもせず、ただぼんやりと眺めているだけの私に、若先生が上から声をかけてくれる。

「何か欲しいものはないの?」

そんな言葉に、冷蔵庫の中身を思い出し、そういえば俊也さんが好きなチーズが切れていたことを思い出し、それを口にする。
俊也さんは驚いたような顔をして、次には私の頭をくしゃっと撫でる。

「洋服とかさ、ほら、女の子は色々いるでしょ?」
「……いりますか?」
「学校も私服になったわけだし」

私が贅沢にも短大に通えるようになってから、一番困ってしまったのは着ていく服に困る、ということだ。
高校までは制服だったから迷う事はなかった。ただ決められたものを決められたように着ていれば、それで変に思われることも、見咎められることもなかった。
食べ物があれば生きるのには困らなかったけれど、それ以上を望めば、その結果がどうなるのかがわかっていたから。
時折折りに大先生と若先生の助けがなければ、私はきっと高校すらまともに卒業することができなかっただろう。
だから、それよりもっと、だなんて、欲張りすぎてきっとばちがあたる。

「それに、早季子さんのお古ばかりっていうのも、ねぇ」

早季子さんからしてみれば数少ない、それでも私にとっては両手に余るほどある洋服は、ほとんどが早季子さんのお古だ。その中でも着まわしの効くシンプルな服を普段から使わせてもらっている。
それ以上、だなんて、想像もできない。

「なんか、甲斐性なしって叫ばれてるみたいだし」
「そんな、そんなことはないです。若先生は色々してくれてるのに」
「香織ちゃん、ペナルティー」

慌てて口元を抑えたけれど、思い切り若先生、と呼んでしまった事実は消えない。
未だに癖で、慌てるとこうやって呼んでしまう私を、俊也さんはため息交じりの笑顔で、いつもこうからかう。
だけど、ちっとも罰なんかじゃなくって、その度に私に何かを買ってくれようとする。

「ということで、ここから好きなもの選んで」
「あの、ここって」

綺麗な洋服が飾られていて、綺麗なお姉さんがにこにこ顔で近寄ってくる。
あまりにも場違いで、つないだ手を振り解きそうになる。
あっという間にお姉さんが選んだ服が並べられ、俊也さんは嬉しそうに手にとってそれを私に見せてくれる。
どれもこれもきらきらしていて、私が着たらきっと洋服がかわいそうだ。
だけど、どれもかわいくて思わず手で触れる。

「色違いもござますが?」

初めに勧められたチェック柄のスカートと、色違いのスカートが広げられる。
どちらも丈が少し短くて、それでも綺麗で、裾のあたりをそっと撫でてみる。

「どっちにする?いや、両方?」

思わず頭を左右に激しく振ってしまう。
これをはく勇気もないくせに、おまけに余分なものなのに。
戸惑う私に、若先生は店員さんに色々持ってくるように頼む。

「俊也さん」
「どれもかわいいと思うんだよなぁ。っていうか僕のために着てみない?」
「先生の?」
「そうそう、香織ちゃんがかわいいと、僕が嬉しい」
「嬉しい?」
「うん」

最初に手にとったスカートと、次々にそれに合わせられた上着を眺める。
正直なところどれがどれで、どういう風に良いのかさっぱりわからない。
呆然としながら、いつのまにか試着して、それでもわからないでいる。

「うーーん、迷うな」
「あの」
「香織ちゃんはどっちが好き?」
「えっと、あの」

怒られる、はずはないのに、今までも早季子さんや大先生にもらったものを着てみたこともあるのに。
それでも声を出せない。

「こっち?」

どちらもかわいくて、本当は迷ってしまう。
そういうものを手にしてはいけないのに。

「迷う?」

思わずうなずいた私に、若先生は私の頭を撫でてくれる。

「うーーん、僕も迷っちゃうんだよね。じゃあ、両方」

あっさりと、そんなことを言い放ち、あからさまに笑顔が何割か増しになった店員さんにそれらを渡す。
胃がぎゅっとなって、若先生の袖を引っ張ってしまう。
だけど言葉に出来ない私に、若先生は笑って返してくれるだけ。
いたたまれなくなって、どうしようもなくなる。

「他に欲しいものは?」

慌てて首を振っても、若先生にあっさりと次の店へと連れて行かれる。
背中をぽんぽんとあやされるように叩かれ、縋るような気持ちで若先生を見上げる。

「心配しないで、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしたりなんかしない」

私、と、あの人の関係を知っていて、私よりもずっとずっとわかっていて、こうやって声をかけてくれる。
嬉しくて、悲しくて、恥ずかしくて。それでもこんな私は若先生の手をまだ離せないでいる。

あの人の声が聞こえた気がして、体が硬直しそうになる。
私の視線のはるか上、若先生の顔をみて、気がつかれないように安堵のため息をもらす。
綺麗な色の洋服を見せられ、迷ってしまう自分。
あの頃からは想像もできなくて、それでもまだまだ罪悪感だけは残っていて。
若先生の手をぎゅっと握り締める。
この手を離さなくちゃいけないときがきても、私がそれからもずっと生きていけるように。
私は、この手の優しさを、忘れたりはしない。


10.9.2008update/2.6.2009再録
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