08.約束のかわりに
 ずっとこのままだと思っていた。
それがどれだけ子どもじみた思いだったとしても、変わってしまうことなど思いもよらなかった。
私の周りの世界はとても狭い空間で仕切られたままで、それでもずっと大人になったと勘違いしていた。

「久しぶり」
「ああ」

成人式をきっかけに久しぶりにあった高校の同級生は、たった2年しかたっていなかったのに、それでも私の心臓を圧迫させるには充分男らしくなっていた。
私もあの時はしなかった化粧なんかをしてみて、変身、とまではいかないまでも、グロスをほんのりと浮かせて唇も大人っぽくなったと思っていたのに、相手のそれは想像以上なものだった。
話す言葉も浮かばず、だからといって会場の入り口でばったり会ってしまった私たちが、そのまま入り口を塞ぐわけにも行かず、なんとなく二人して無言で宴会会場へと迷い込む。
まだ、学生だったり社会人だったり、とっくに結婚していたり、立場は様々だけれども、大手を振って飲める年齢となった私達にとっては、安い居酒屋での同窓会というのは分相応だと思う。少し浮いてしまうかと思った自分の格好も、同級生達のさらにきらびらやかな格好を見て胸を撫で下ろす。

「隣、いい?」

半分以上勝手に席が埋まった座敷では、ぽつんと隅っこのテーブルが空いており、先にそのテーブルへと座った私へ彼が声をかける。
正直、彼は他のテーブルへといくものだと思っていた私は、びくりとして、少し上擦った声で「もちろん」と答えることが精一杯だった。
すでにアルコールが入っているのか、アレが素面だとしても大して驚かないほどのキャラクターをもった同級生達がすでに私たちと対角線上にあるテーブルで賑やかにしている。彼は、どちらかというとあのグループに近く、そういえば私はいつも遠くから見ていることしかできなかったな、とそんな悲しくて惨めになる思い出まで蘇る。
すでに用意されたビール瓶には水滴がまとわりつく、早く開けてくれと、せがまれているような気になってくる。
いや、恐らく緊張のため異様に喉が渇いてしまった私が無意識に欲しているのだろう、その水分を。
時計をチラリとみやり、後少しで予定の開催時刻になることを確認する。

「飲む?」
「え?えっと」
「もうはじまってるみたいだし」

いつのまにか開けられたビール瓶を片手に、彼がこちらへとその瓶を寄せる。
慌てて見渡すと、開会の挨拶など無いうちに、あっという間に周囲は宴会モードへと突入していた。

「あ、えっと、お願いします」

促されるままにコップにビールを注いでもらった私は、慌てて彼のコップへとビールを注ぎ返す。
同じテーブルの人たちともとりあえず乾杯をしながら、コクリとその液体を口に入れる。
少し冷たさがそがれた液体が喉を通り越し、胃へと流れ込むのがわかる。
やっぱり、私は喉がかわいていたらしい。
平素ならあまり好ましいとは思わないこの飲料水を、この上も無くおいしいと感じてしまっている。
適度に食料をつまみながら、あれこれと思い出話に花を咲かせる。
まだ思い出になる程古くは無く、かといって鮮明に思い出せるほど皆にとってのこの二年間の変化は小さいものじゃない。
それぞれが現在のことを話し出す頃には、場は私が知っている大学生の飲み会と大差ないところまで砕けたものになっていた。
周囲の騒音のせいなのか、隣に座った彼が少し距離を詰めながらも私に話し掛けてくる。
久しぶりの距離感に戸惑いながらも、ソレを気取られないように精一杯頷いたり返事をしたり、恐らく誰の目にもやましいことはないように注意深く話し相手を務める。
そろりとテーブル周りをみてみると、ぐでぐでに酔っ払った人間から、暑苦しく議論を交わしている人間もいたりして、幸いな事に誰もこちらに注目している人間はいない。

「どうして、電話くれなかったの?」

雑音のなかやけにクリアな彼の声が耳に届く。
こちらを責めるようではなく、だからといってさほど感情がこもっているようでもなく、失礼な事をしたのは私の方だというのに、どこかがっかりする。

「あーー、えっと。あの、ごめんなさい」

なんども確かめた番号は、いまだに私の携帯からは消されていない。機種変更をしても、どうしても消せなかったアドレス。
それが彼が私にくれた携帯番号。
結局そこのかけることは一度もなかったけれど。

「俺、後悔したんだよね」

それは、私に番号を渡した事なのか、と、少し落ち込む。だけど、彼はこちらの気持ちが丸わかりなのか、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、サラリととんでもないことを私の耳元でささやく。

「どうして番号を教えるんじゃなくって、聞き出さなかったんだって」

最後まで交わる事のなかった私と彼の交友関係は、一瞬だけ、最後の卒業式という最大のイベント時に、衝突するように交わってしまった。
しかも彼のほうから接触をはかる、という考えられない出来事によって。
今のように少し意地が悪い笑顔の彼が、唐突に私にわたした紙切れは、今もずっとメモリにある彼の携帯番号で、彼はそれを握った私の右手を両手でギュッと握り締め、念を押すように電話をくれ、と、ただそれだけを言い残していった。
ぽつんと取り残された私は、その一度だけの強烈な接触が信じられなくて、だけれども右手の中に残された紙切れだけは本物で、どうしていいのかわからないまま、言われるまま友達と写真をとりあったりしていたことを思い出す。

「俺、自信あったんだよね。ぜったい安西さんって俺のこと好きだって」
「え?ええ!」

大声を出さなかった自分を褒めて欲しいぐらいだ。
だけど、シッカリ動揺した自分はコップからわずかにビールをスカートの上へと落としてしまった。
ひょいっとお絞りを私のスカートの上へと落としたかれは「俺がやるわけにはいかんだろう」と、いって、気がついていない私に溢してしまった液体をふき取る事を促した。
あわてて、今度はこぼさないようにテーブルの上へとコップを置き、渡してもらったおしぼりで軽く拭う。
幸い、さほどビールは布へと浸透してはおらず、手当てが早かったのが幸いしたのか、簡単に拭き終るころには、目立たないものとなっていた。

「で?その動揺をみると、やっぱり俺のこと好きだったんだ」

今も、だとは、とても言えず、だからといってそんなことない、と否定することもできずに、私はただスカートの布目だけを真剣に見つめる。

「その反応だと、自惚れてもいいのかな?」
「自惚れって……」
「今も俺に気があるって」

本当に今の自分がコップを持っていなくてよかったと思う。
おそらく、そのまま畳の上へとぶちまけ、無駄な注目を集めてしまうところだっただろう。

「えっと…」
「今日それしか聞いてない、俺」
「はぁ」

クスクスと上機嫌で笑う彼は、あの頃の彼のようで、だけれどもやっぱり私の知らない彼のようでもある。
なんて答えていいのかわからなくって、情ないけれども私は無言のまま。

「携帯貸して」
「え?えっと、うん」

しっかりペースを握られた私は、大人しく彼へと携帯を渡す。
周囲はいまだにざわついたままで、こんなに煩いのに、どうしてだか彼と二人きりでいるような錯覚に陥る。

「はい」

なにやらゴソゴソしていた彼は、あっさりと私の携帯を手放し、ニヤリと笑う。

「安西さんの番号登録したからさ、これでもう待たなくていい」
「……それって?」
「大丈夫、俺って結構しつこいタイプなんだよね」
「はぁ」
「あんな約束のかわりに、こっちから押しかけるから」
「押しかける、ですか?」
「そう」

それは、と、かなり良いように解釈したくなって、思わず思考を止める。
私にとっては彼が電話をくれ、といって交わした約束だけが、淡くて綺麗な思い出だった。
それをそっと壊さないように、大事に大事に胸の奥に仕舞いこんで、私はそれだけで満足しているふりをしていた。

「ま、そういうことで。とりあえずは」

鮮やかな笑顔を浮かべ、あっさりと私にとってはとんでもない提案をした彼と、どうしてだか二人きりでいる。
コーヒーショップで二人きり、というのは私らしくもあり私らしくもあり、でもやっぱり向かいにいる彼が今ここに存在していることだけが不可解。
子どもじみた曖昧な約束のかわりに、次に会う日時まで決められた私は、狐につままれたような気分で帰宅の途につく。
想い出が鮮やかに蘇り、ふと、当時の彼の面影が思い浮かぶ。
やっぱり好きです、と、声にならない声で呟きながら。
紙切れの代わりに握り締めた携帯電話を見つめる。
どうしてももてなかった勇気を、今ならもてるような気がして。
呟きを文字にして、彼へと送る。
何かが始まりそうな気がして。


3.26.2008update/5.17.2008再録
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