04.無意識
 子どもっぽい癖なのだけど、私はイライラすると爪を噛むことがあるらしい。
言われてみれば綺麗に整えられた友人の爪先たちと比べ、私の指先はどうかんがえても年頃の女性がもつそれではない。
爪に何かを塗って満足していられるような仕事ではないから、そんなことをたいして気にした事もなかった。
だけど、その言葉が誰によってどういう場面でもたらされたかを鑑みれば、もう少し気を使っておけばよかった、と、まさしく後悔しているところだ。
目の前には純朴を絵に描いたような好青年、というには少しとうがたった人物、憧れの5歳上の先輩が笑顔でこちらを見つめている。
なんだか、こちらの内面がものすごくどす黒い物のように思えて、目を逸らしたくなる。

「すみません、無意識で」
「何か気になることでもあるの?」

あなたです、ともいえずに、問われた悪癖について答える。
緊張が過ぎた場合にでもこの癖は現れてくれるらしい。おかげで、先ほどから両の拳を力強く握りっぱなしだ。ちょうどよく焼き上げられたシナモントーストも、暖かい湯気が立ち上がっている紅茶も、そのどちらも私の今の状態では手にとることができないだろう。

「食べたら?」
「え?、は、はぁ」

だがしかし、優雅にエスプレッソなどを飲んでいる先輩にしてみれば、冷えるにまかせた料理を見せ付けられるのは、あまりいい気がしないものらしい。
意を決して、先輩からは見えな位置で手を握ったり開いたりを繰り返し、なんとか緊張をほぐす。
やっぱり、全然ほぐれてなくてカチカチ食器がいっていたりもするけれど、なんとか少し温度の冷えた紅茶を口にすることが出来た。
だめだ、ただお茶をするだけでもこんなに緊張するのに、これ以上になったら私は死んでしまうかもしれない。
当初の目的などすっかり忘れ去り、ただただ先輩と日常の会話を繰り返す。
主に相槌を打つだけのつまらない私に対しても、先輩は嫌がる素振り一つ見せずに会話を続けてくれた。
やっぱりいい人だ、と、ようやく余裕をもって振り返ることができたのは、温めのお湯にかたまでゆったりと浸かった瞬間だった。

「しんどい……」

あたりまえだが一人暮らしの家ではその独り言を聞きとがめるものなどおらず、私の呟きはあっという間にお風呂の中で拡散していく。
やけに凝った肩をほぐしつつ、明日は仕事だ、と、再び独り言を呟く。
明日からもまた当分先輩をただ見つめるだけの毎日が続くのだろうな、と、乱暴にバスタオルで体を拭きながら冷蔵庫からビールを取り出す。
無意識に先輩のほうを見つめる癖だけは、先輩には知られないでおこう、と、今日という日をセッティングしたおせっかいな同僚によくよく釘をさしておくことにしよう。
私はまだ、意識を保ちながら先輩と接することはできないみたいだから。


2.19.2008update/4.14.2008再録
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