11.惚れたんだ
「オレ……、どうしよう」
「どうしようもなにも、言っちまうしかないんじゃねーの?」

会社の同期だけど違う部署の高瀬啓太がうんざり、といった表情を隠そうともせずあっさりとそんな言葉を口にする。
正直、オレ自身他人がそんなことで悩んでいたら同じことを言うだろう。いや、オレの場合、うるさい、の一言で相手を黙らせてしまうかもしれない。
だから、高瀬は同じ図体のでかい者同士のわりに、オレより随分神経が細かいとも言える。

「でも、でもさ、あいつってちっちゃいだろう」
「まあ、小さいなぁ、確かに」

うんざりが二乗になったような顔をして、コーヒーに口をつける。自販機のものだからたいした味ではないけれど、いつの間にか煙草をやめたこいつにとっては気分転換のようなものになる、らしい。

「だろ?だからさ、オレみたいなのが近づくと怯えるわけだよ」
「そんなことねーだろーが。俺が近づいても別に怯えないし」
「や、それは…。そうか?」

同じような背丈で、肩幅もごつく、どう考えてもむさくるしい方の体育会系です、という俺と高瀬が二人並んでいるとかなり暑苦しい。なのに、一方には怯えて一方にはそんなことはないだなんて、不公平な気がする。体型が理由ではないとしたら、残るは顔、といいたいところだけれど、正直なところオレもこいつも似たりよったりのいかつい顔なのが非常に悲しい。言ってみたらカサゴとオニカサゴのどちらがかわいいか、と訊ねるようなものだ。いや、わかり辛いが。
もっともこいつは噂によるとそこそこ女に縁があるらしく、男だらけの世界でバレンタインなんて異世界の話だと悟りを開いた俺とは違うのかもしれない。

「無駄に鼻息荒いんじゃねーの?」
「……。違う、と言い切れないところが、まあ…」
「それに、わけもなくあいつの前をうろちょろすりゃあ、あいつだって不審に思うだろ?まるで接点がないのに」

それは、そうだろう。技術ど真ん中、作業着が制服です、のオレと、事務で時々秘書みたいな仕事もします、という綺麗なオフィスにいる彼女とでは顔を合わせる機会はほとんどないといっていい。おまけに、彼女とは同期、というわけでもないため、ソレを理由にした飲み会にも当然彼女が参加することはない。せめてこれが会計ならば後輩の仕事を奪ってでも書類を届けにいくのに、と、ありもしないことを想像してしまう。

「理不尽だ。おまえがロリコンでいたいけな少女をかどわかしているっていうのに、あいつはちっこくてかわいいけど未成年じゃないんだぞ」
「ちょっと待て。おまえ何を誰から吹き込まれた?」
「安田。おまえがロリコンのヘンタイ野郎だって言いふらしてた。っというか、本当なわけか…。やっぱり世の中理不尽だ」

骨ばった顔を一瞬しかめ、安田に対して悪態をつく。
彼女がこいつに気があることは誰の目からみても明らかだったから、あいつの言う事など誰も信用していなかったが、いつのまにかこいつはちゃっかりそういうことになっていたらしい。ああ、やっぱり理不尽だ。

「ウジウジするくらいなら玉砕しろ。じゃなければ諦めろ」
「それができるぐらいならお前になんか話さねーよ」

そう、こんなにも相談役として適していない男に、こんなに情ない事を話さざるを得なくなるほど俺は切羽詰っているんだ。
毎日毎日用もないのに彼女のいるフロアまで出かけ、あげく怯えられて傷付いて、でもやめられなくて。
盛大にため息をついたら、隣の男が立ち上がる気配がした。
今は午後の休憩中で、ソレが終わるまでにはマダ時間があるというのに、いいかげん鬱陶しくなったのか、この休憩場から退場するようだ。
そちらの方をみる気力すらなく、すっかり冷たくなったカップを片手に思い切りよくうな垂れる。
だけど、あいつが声もかけずに出て行ったのには訳があったのだ。
それに気がついたのは、あの、夢にまで出てくるかわいらしい声が頭の上から響いた時だった。

「あれ?どうされたんですか」

彼女だと、認識した時にはすでに盛大にカップからコーヒーを床へとぶちまけていた。その液体の一部は作業ズボンにも落ちて行き、あっさりと茶色い染みをいくつも形成していった。
彼女は「大変」と呟きながら走り去り、一瞬彼女の顔を認知したのち再び床へと視線を落としたままの俺は、彼女の足音が遠ざかるのを聞いていることしかできなかった。
わざとらしくフロアをうろつくのではなく、偶然に彼女と会話をする機会を自ら潰してしまったことに激しく後悔をする。
再び力なく椅子の上へと座り、床にぶちまけたコーヒーを眺める。
パタパタと小動物のようは足音が聞こえてきたのはその直ぐ後のことで、オレはぼんやりと再び視線を入り口へとあげた。
雑巾とタオルを持った彼女が少し息を切らして走りこんでくるのを見た瞬間、再びばねが切れたかのように立ち上がり、彼女から雑巾を奪い取る。

「す、すみません。自分でやりますから」
「え?え?あ、はい。あ、じゃあズボン拭きますね」

まだ手にしていたタオルで彼女がオレのズボンへと手を伸ばす。
それをエビが逃げるように後ろへと後退しながらさける。

「いえ、いいです、いいです。どうせ作業着ですから」
「でも」
「大丈夫です、大丈夫ですから」

動揺したままぎこちない動作で床の上を乱暴に拭い、なんとか茶色い液体をふき取ることができた。
彼女はといえば、自販機で飲み物を買うわけでもなく、煙草を吸うわけでもなく、こちらの作業をじっと凝視しているらしい。
らしい、というのは、彼女を盗み見ようとそろっと視線をあげたオレと、彼女の興味深そうな視線がかち合ったからわかったことだけど。

「あの?」
「あ、ごめんなさい。つい…」
「いえ、すみません煩くして」
「いいえーー、でも、本当に大きいですねぇ」

彼女があまりに感心したように言うため、のっそりと起き上がったオレは、動揺してはいるもののついつい聞き返してしまう。

「こわい、ですか?」
「いいえ、そんなことありませんよ」

たぶん社交辞令でそんなことを言ってくれているのだ、言ってくれているのに、否定されなかったことに舞い上がって戻ってこれないオレはとんでもない事を口走る。

「オレ、オレ…。惚れてます!!!」

しかも、どういうわけか礼をしながら右手まで差して。
大音量で響いたオレの告白に、好奇心旺盛な社内の連中が様子を窺うようにしている。
真っ白になったオレは、少し先の玉砕した未来を思い浮かべ、すでに高瀬とぐだぐだに飲み明かす予定までたててしまっている。
だけど、その悲観的な予想は、おずおずとオレの右手に触れる彼女の右手を感じ取った瞬間はじけて飛んだ。
ただし、「お友達から」という彼女の笑顔に再び谷に突き落とされたような気持ちになったけれど。
とりあえず高瀬を捕まえて、女性との距離のとり方縮め方を学ぼうと、微妙な距離をとりながら座る彼女を見ながら思う。
もう少しだけ、近くにきてくれたらいいのに、と思いながら。


7.27.2007update/10.6再録
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