08.うわめづかい
こんなにも愛しいのに、こんなにも傷つけたくなるのは、僕の中の何かが壊れているからだろうか。

「いじわる」

うわめづかいでこちらを窺う彼女は、言葉ほど僕のことに怯えているわけじゃない。付き合いの長い僕たちにとって、これぐらいのやりとりは挨拶みたいなものだ。だけど、君は知らない。
どこかに大切に仕舞っておきたい衝動と、二度と誰の目にも触れないよう壊してしまいたい衝動が同時に存在しているだなんて。
今、この瞬間ですら、その細い首に手をかけてしまいそうな自分がいて、心の奥底から湧き上がる欲求にそのまま酔ってしまいそうになる。
チラリと見上げた彼女の視線とぶつかる。
愛しくて愛しくて、狂おしいほどに愛しくて。
僕は、もう壊れてしまっているのかもしれない。
部屋に面した道路からけたたましいクラクションの音が聞こえる。欲求に陶酔しそうになった自分が我にかえる。

「何が、食べたい?」

彼女が拗ねているのは、こんなくだらないことが理由だったのだと、今は理性が打ち勝っている思考を働かせる。

「パスタ」

食べることが何よりも好きな彼女は、あっという間になおった機嫌で、元気よく答えてみせる。
笑顔が、眩しくて、再び暗闇に囚われそうになる。
あわてて、彼女の唇にそっと指先で触れる。その熱に、暗闇がどこかへ消えていく。
こんな風に恋人同士の普通の痴話喧嘩の最中にも、あんな風な許されない想像にはまる。
いつの頃からなのかは、もう擦り切れるぐらいに忘れてしまった昔のこと。たぶん、きっと、はじめてあった瞬間から。
にこにこと外に出る準備を始めている彼女に、ここから出るなと、叫びたくなる。
誰かの目に触れるだけで、チリチリと焦げる胸のうちを知らないのかと、責めだしたくなる。
ふう、とため息をつき、心を落ち着かせる。

「おまたせ」

すっかり準備の整った彼女の笑顔に、笑顔で返す。
そっと腰に手を添え、部屋から外へと促す。
僕はまだ、大丈夫。


6.16.2007update/9.8再録
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