02.それ以上は言わないで
ゴロンと寝返りを打とうとして、何か柔らかくて硬い物にぶつかった。
それが素っ裸で眠っている自分の彼氏だと気がつくには、しばし時間がかかってしまった。
派手にぶつかったにも関わらず、彼氏の方は眠りから覚める気配すらなく、何か夢をみているのかブツブツと寝言まで言っている。そんな姿を見るのもたぶん今日で最後なのかと思うと、泣きたくないのに涙がでてきそうになる。
そっと素肌に触れ、体温を確認する。
私のものより僅かに高い体温を感じ、安心をする。
思えば長い付き合いだったな、と、夜のせいでやたらと感傷的になってしまった自分の脳裏に、様々な思い出が蘇ってくる。
気がつけば、自分の生活の大部分はコイツとの思い出に支配されているかと思うと、悔しいやら嬉しいやら。
だけど、それももう今日で終わりだ。
自分の中の何かを納得させるように、ため息をつく。
脱ぎ散らかされたパジャマを手繰り寄せ、素肌を隠していく。二人で眠るには少し狭いベッドの上を、音をたてないようにして降りる。
彼は、まだ目覚めない。
バッグ一つで訪ねてきても大丈夫なようになっている彼の部屋を見渡す。
暗い中でもどこに何が置いてあるのかがわかるぐらい、私はこの部屋に馴染んでしまった。
幾つかの荷物を乱暴にバッグに詰め、帰り支度をする。私物は申し訳ないけれどもこのままにしておこう。
そっと、立ち上がり、合鍵を取り出す。

「どこへ行く気だ?」

突然後ろから掛かった声にビクリとして、肩をすくめる。
まさかあんなに熟睡していたのに、なんて、カチリとなってしまった合鍵を見つめる。

「どこって、帰るんだけど」
「別に明日は休みなんだから、泊っていけばいいだろう」

確かに、いつもいつも普通に泊っているのだから、そう思うのは当然だろう。まして着替えやら歯ブラシやら細細としたものまでココに持ち込んでいるのだから、何かがない、という言い訳だって通じない。

「ちょっと用事があって」

後ろめたさから彼の顔を見ることができない私は、カギを見つめたまま話しつづける。
そんな私の態度に明らかにいらだったのか、僅かに彼が声を荒げる。

「用事って?」
「うん、ちょっと、家の」
「家??こんな時間にか?」
「……まあ、こんな時間に」

無理やり肩を捕まれて、彼の方へと向きなおされる。
目を見れなくて、鎖骨のあたりに視線を定める。

「で、なんの?」
「ん、ちょっと」
「ちょっとじゃわからないんだけど」
「…」

どれだけ詰問されても答えない私にますます彼は機嫌を悪くしていく。
だけど、私としても話すわけにはいかない。私のことに彼は責任を感じる必要はないのだから。

「家って、お前の実家?だったら、アレだけ嫌っておいて、今更何の用だ?」

彼の言葉にズキリと胸が痛む。
彼の言葉通りに、私は実家が嫌いだ。いや、今でも好きではない。
実家そのものというよりも、田舎によくありがちな閉塞感と妙な仲間意識が苦手だったせいでもある。大学進学をきっかけにして逃げるようにして都心へでてきたのは、あそこから逃げ出したい一心だったからだ。実家としても、私が逃れることができたのは、兄がいる妹という、家制度の面ではいらない子だったからだ。
だけど、それももう、全てが変わってしまった。

「兄さんが事故で…」

コレは、本当のことだ。ただもうすでに何もかも終了しているけれど。

「なんだ、そんな大変な事隠さなくても」
「や、気にするかなって思って」
「まあ、いくら嫌いでも、そんなときは顔ぐらいださないと」
「そう、なの。いくらなんでもこんなときぐらいは」
「今からとばせば、面会時間には間に合うんじゃねーか?まあ、気をつけろ」

面会、できる状態ならばどれほど良かったのかはわからない。

「うん」
「本当は送って行きたいところだけど」
「まさか、高速使っても何時間掛かるとおもってるの?」
「ちょっとなぁ、悪いけど遠すぎる」
「わかってる……。じゃあ、ちょっと行ってくるから」
「ああ」

ギュッとバッグのヒモを握り締める。
上手く言えただろうか。疑問に思っていないだろうか。

「直ぐに帰ってくるんだろ?」

くしゃくしゃと私の髪を混ぜるように頭を撫でる。本当にこのまま泣き出したくなる。
照れ笑いをしながら、すっと彼の唇に自分の唇を重ねる。
煙草の匂いと、彼の匂いと、目の前が真っ白になる。
これ以上彼に何かを言われたら、涙が零れ落ちてしまう。
そんなのはイヤだ。
このまま笑顔で別れたい、から。

「行ってくる」

まだ何かを言いたそうな彼を遮るようにして立ち上がる。
カチリとドアを閉める音に、その場で崩れ落ちそうになる。
もうココには戻ってこないのだと決めていたのに、最後の最後で彼の声を聞いてしまった私は、思いがゆらゆら揺れ動く。
自分の体温が移ってしまった合鍵を強く握り締め、一つ一つ階段を降りていく。
夢の時間は終わり、私には現実が待っている。

4.20.2007update/7.11再録
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