朝、普通に家を出て、普通に学校について、普通にクラスに到着した。
教室の扉を開けたとたん、昨日とは全然違う視線を向けられた。
背筋に冷たい物が走って、喉に何かが張り付いて。
おはよう、って言ったはずなのに、誰からもかえってこなくて。
わけがわからなくって、それでも自分の席につく。
ひそひそと私の方を指差しながら話している声だけが耳へ届く。まるで、罪人を取り巻いているかのように、私の方へはちっとも近寄らず、だけれどもささやくことをやめない。
緊張して、緊張して、それでもようやく、先生の声に、小さく息を吐き出す。
授業が始まって、ほっとしたのなんてはじめてだ。
だけど、やっぱり原因がわからなくて、頭がぐらぐらする。
一生懸命私がしでかしたことを思い出そうとするのに、どうでもいい日常ばかりが思い浮かぶ。
昨日も学校に来て、お弁当を食べて、適当に授業を受けて、さよならをいって帰った。
ただ、それだけだ。
午前中の授業はわけがわからないまま、それでも私を取り残して進んでいく。
いつのまにかお昼休みになって、いつもは声をかけてくれる友達が、私を無視してお弁当を広げているのが視界の隅に入る。
やっぱり、っていう思いと、どこか朝の態度が間違いであって欲しい、という気持ちがぐちゃぐちゃになって、ぎゅっとお弁当の包みを握り締める。
石のように固まったまま、私は教室を出て行くこともできず、だからといって一人ぽっちで食べることもできずにいる。
時計の針だけがチクチクと小さく動く。
その動きが遅くて、私は窒息しそうになる。
「あ、石橋さん、そういえば先生が呼んでたよ。長くなりそうだから、お弁当もって行ったら?」
唐突にかけられた声に、オーバーなほど驚いて、まじまじと声がした方向を見つめる。
あんまり話したことがない、同級生の男の子が、くいっと親指を教室の外へむけながら、私に行け、と指示をしている。
よくわからなくって、だけど、この場を逃げ出すタイミングにすがるようにして、お弁当を持って廊下へと飛び出す。
小走りに職員室に行き着いてはみたものの、呼び出された、という事実が今度は私に重くのしかかる。
成績が良いわけでも悪いわけでもない私は、いたって平凡で普通で、つまらない生徒だ。
だからこんな風に呼び出されることだってはじめてで、扉をノックしようとした手を下げてはあげるを、ただ繰り返す。
「何やってんの?」
「え?ええ?」
再び唐突にかかったこえに、ばね仕掛けのように振り返る。
そこにはやっぱり、さっき声をかけてくれた男の子がいた。
馬鹿みたいにうじうじしていた姿を見られたかと思うと、いたたまれなくなって、一瞬あった視線を慌ててはずす。
今の私には、彼の上履きと、少し古い廊下の板しか見えていない。
「……食えば?弁当」
「でも」
「あー、呼び出しってのは、うそ」
「へ?え?」
「あーでも言わねーと、おまえ弁当食えねーだろ」
「えっと、あの」
「まあいいや、ちっと汚ねーが、部室にでも行くか?」
「へ?あの、でも」
「こっちこっち」
強引、というほどではないものの、有無を言わせない彼の言葉に、思考回路がちっとも働いていない私は、大人しく彼へとついていく。
あまり、私が足を踏み入れたことのない校舎へ、彼は悠々と私を案内する。
「ここここ、だけどまあ、色々内緒にしてくれよな」
「え?えっと、もちろん、あの」
化学準備室、と書かれた怪しそうな扉を開けると、中には生活観まるだしの色々なものが私を出迎えてくれた。
コーヒーメーカーだったり、紅茶のセットだったり、鍋だったり、とんぶりだったり。
わけがわからなくて、だけれども、それがおかしくて、おもわず笑う。
「内緒だからな、これ。つっても、顧問は黙認してるっつーか、むしろ集ってやがるけどな」
適当に机の上を片付けて、彼は、手近にあった椅子を勧めてくれる。
紙が山積みとなったもう一つの椅子へ、片付けながら彼が座り、私もなんとなく、彼に習って席へと座る。
「早く食わねーと、昼休みおわっちまうぞ」
「え?あ、うん。あの」
「ん?」
「あの、ありがとう」
ここにきてようやく、彼が孤立してしまった私を助けてくれたことに気がつく。
あのままだったら、私は、お弁当を食べることもできずに、じっと凍りついたままだっただろう。
どうして、私があんな状態にたたされなくっちゃいけないのか、ということもわからずに、だけれども、不可思議な男の子の出現で、私の心は幾分か軽くなっていった。
それが、彼と、私が始めてまともに口を聞いた最初の出来事で、私はついついこのまま、このやけに居心地の良い準備室の住人となっていった。
4.9.2011