Act.06-2
あくまで会話は平行線を辿る。彼女を諦めるつもりはない。こんなことぐらいで諦めてしまえるような思いじゃないから。ふと、クラスメート達がはやし立てる内容が脳裏に掠めないでもないが、そんな場合じゃないと、頭の中から振り払う。
「ごめん、それでも諦められない、から。理由を教えてくれないか?」
哀願、といった言葉が一番しっくりくるかもしれない。だけど、情けないだとかみっともないとか、そういった感情を遥かに越えて、このままでは嫌だと心が叫んでいる。
「ひょっとして以前に何かやらかした・・・とか?」
彼女とは部室で出会ったのが初めてだと思ったけれども、それ以前に何かをやったのかもしれない。過去の行動は非難されるようなものではないけれど、誰かを傷つけなかったかと言えば、絶対の自信を持って頷く事はできないから。
ずっとこちらを睨みつけたまま黙っていた彼女は、しぶとく粘っている俺に諦めたのか、ようやくその小さな唇を開いてくれた。
「文化祭で・・・」
「文化祭?その時には木崎さんと会ってないと思うけど?」
あの時受けた衝撃は忘れたわけではないけれど、確かにあの日彼女には出会わなかったはずだ。あの絵に出会った後のことは、記憶が曖昧だけれど。
「笑ったでしょ?私のこと」
「笑った?」
「うん」
「いや、それは何かの間違いだと。だって会っていないだろ?俺たち」
「絵・・・」
「あ、もちろん木崎さんの絵は見たよ。見たから後からアナタに会いに行ったんだし」
「だから、どうして見に来たりしたのよ!!」
両手の拳を握って、両目には涙まで溜めている。その涙が零れ落ちる前に掬い取ってあげたくて、無意識に彼女の頬に手を触れる。
パシンと乾いた音が鳴り、差し出した手を払いのけられたのだと、わずかに感じる痛みから実感する。
「ばかにしてるんでしょ?私のこと」
「違う、違う!だったら会いになんていかない!」
「だったらどうしてそんなに私にかまうのよ」
「それは!でも、木崎さんのことを知りたくて」
それ以上の気持ちが渦巻いているのに、それをどう処理していいのかわからなくて、こんな簡単な言葉に置き換えるしかできない自分が情けなくなる。
「絵を、絵を見て笑ったでしょ!あの時」
「笑う?俺が?どうして???」
「私ずっと見ていたんだから、あの部屋で。あなたは私の絵を見て笑った」
「違う、そうじゃない」
「絵を馬鹿にするって言う事は、私自身も馬鹿にするってことでしょ!!」
零れ落ちる涙は、無防備にもコンクリートの地面へと落ちていく。
どうにかしたくて、どうにもできなくて頭の中が真っ白になっていく。
「あれは、そうじゃない。木崎さんの絵を笑ったわけじゃないんだ」
小さな体が俺の胸の中にいるのだと、気が付いた時には彼女を体ごと抱え込んでいた。暖かくて柔らかくて、手放せないとなぜだか感じた。
「あの時は、自分を笑っていたんだ。ただ」
黙ったままの彼女が聞いているのか、いないのかもわからないまま先を続ける。
「あなたの絵に衝撃を受けて、今までも自分がとても惨めになって・・・それで」
何もかもがどうでもよくなってしまったんだ。
世間体を気にしていい子ぶっていた自分。だけど、周囲を馬鹿にしていい気になっていた自分。そのなにもかもがあほらしくて、一瞬にして自分自身が虚しくなっていった。
そこから行動するのに少し時間がかかったけれど、あの時の自分より、今の自分の方がましだと、素直に思うことができる。
「だから、あなたを笑ったわけじゃない。あの絵を受けて、自分の空っぽさに嫌気がさしただけなんだから」
どうでもいい相手には、いくらでも出てくる言葉が、今は上手く出てきてくれない。もどかしてくて、でも、偽る事の無い素の自分をぎこちない言葉でもいいから彼女に伝えたい。
いつのまにか泣き止んだらしい彼女は、強ばっていた身体を緩めている。
これ以上ないぐらい彼女の近くにいるのだというのに、もっと彼女を実感したくて腕の力を強める。彼女はそのタイミングを計っていたかのように、両腕を思いっきり俺の胸について、一気に距離を遠ざける。
「じゃあ、あれは、私を笑っていたわけじゃないのね」
空いてしまった空間に寂しさを覚えつつも、精一杯の笑顔で頷く。
「だったら、私の誤解?」
「そうだね、そうだと嬉しい」
力の抜けた俺からすっと抜け出し、半歩下がる。
「ごめんなさい。私思い込み激しくて」
「いや、そこもいいところだから」
先ほどまで泣いていた彼女が途端に笑顔になる。その笑顔に釣られ、自分も心から笑う事ができる。
「だけど、アナタの事が気に入らなかったのは本当だし」
彼女はまたも唐突に心臓をえぐるような真似をしてみせる。
「・・・嫌われるようなキャラじゃなかったような気がするんだけど」
「だからよ!ものすごく胡散臭かったのよね。うそ臭いというか」
「それは・・・。やっぱり木崎さんはいい目をしてるんだね」
「あら?それは芸術家を志すものとして褒め言葉として受け取っていいのかしら」
「本質を突くということでは、いいんじゃないのかな?たぶん」
突然彼女はくるりと回って、短いスカートの両端を軽くつまむ。
御伽噺のお姫様のように一礼して、無邪気な笑顔をこちらに向ける。
「ごめんなさいね。私正直者だから。だけど、最近のあなたはいい感じよ」
「じゃあ、嫌いじゃない、ということ?」
「そうね・・・、そうなるわね」
彼女に触れていた部分が熱くなってくる。なんとなく照れくさいような気がして、慌てて目をそらす。
「ま、そういうことだから、これで」
再びくるりと回って、今度は背中を向けて走り去ってしまう。
その背中を見つめたまま、途端に途方に暮れてしまう。
嫌われていないことはわかった。
けれども、今感じているこの焦燥感はなんなのだろうか。
友達になれればいいと、クラスメートには話していたのに。今たぶん知り合い以上にはなれたというのに、それだけじゃ足りないと、胸が騒ぎ出す。
ほんの少しだけ触れ合った彼女の感触がまだ、あちこちに残っている。
ずっとああしていたくて、でもやっぱりそれだけじゃ嫌だと漠然と思ったりもする。
彼女を知りたくて、自分を知って欲しくて。
だけどそれだけじゃ足りなくて。
自分が何を望んでいたのかがわからなくなる。
再び、迷路にはまっていく。
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