72.クッキーの崩れる音



 上機嫌で彼女の部屋へと赴き、合鍵でドアを開ける。
ここまではいつも通り。
変わらない日常かわらない行動。
だけど、結構な頻度でそのパターンが崩される時があったりもする。大抵悪い方向へだが。
概ね俺のせいだということが、今の俺と彼女の力関係を決定づけていたりする。

「いいかげん個人情報の取り扱いには注意してくれないかしら?」

妙に丁寧な言葉でこんなことを切り出す時には、原因は大抵決まっている。

「・・・・・・ごめん・・・、また?」
「わかっているのなら、ロックするなりして欲しいものね」
「ついうっかり」
「もっとも、行かなければもっといいわけだけど」

すっかり座った目で、きっとこちらを睨みつける。
飲み会から帰ってきた俺と違って、彼女は素面だ。
今も片手にはクッキーの入った缶をきっちりホールドしている。
彼女は、元々束縛するタイプではない。
いや、そういえば聞こえはいいが、単に面倒くさがりなのだ。
いちいち相手のことを把握したり推測したりする暇があれば、本でも読んでいる人間だ。
そんな彼女が、こんな風に不快感を表すのも、どう考えても俺が元凶だ。

「今度の子はかなりしつこいんですけど」
「注意しときます」

話しながらも口には一定のスピードでクッキーが放り込まれている。
ストレスを食べる事で解消する彼女は、俺がらみでそれを感じると、決まって、お気に入りの銘柄のクッキーを数缶買い込んでくるのだ。 俺の目の前でも、見ていない前でも見る間にそれらが消費されていき、結局近い未来の体重へと関係していく。
そうなればそうなったで、少々やつあたりされるため、俺は同じ原因で2回はきっちり締められるはめになる。

「番号拒否したらしたで、他の携帯からかけてくるし、片っ端から拒否しても最後には公衆電話からかけてくるし」
「で、今はどうしているわけ?」
「電源切っているに決まってるでしょ?まったく、番号変えようかな・・・」

無造作に放り投げられた彼女の携帯は、なるほど電源が切ってある。
そのせいで、帰るコールもつながらなかったのかと、ひょんなことで合点する。

「まあまあ、熱病みたいなものだから」
「だったら病原菌はあなたなわけ?」
「ばい菌扱いはしないでください」

あくまでも食べつづける彼女と、防戦一方の俺。今ではあの音が聞こえるたびに、土下座してしまいそうになる。
さっさとこの状態にけりをつけないと、彼女の体重増加という俺にとっても二次被害を巻き起こしかねない。
多少ひきつりながらも、彼女の携帯の電源を入れる。
ざっと、着信略歴を覗くと、びっしりと公衆電話から掛かってきていることがわかる。
ついでに他の番号も見て取れるが、それらに覚えはない。
あちこちいじっていると、携帯が鳴った。
彼女はこちらの方を睨みつけているし、空になった缶を投げつけてきそうな勢いだ。というより、2缶目に突入する気ですか?
あわてて、通話ボタンを押す。

「逃げないでください」

聞こえてきた声には覚えがあるようなないような。

「別に、逃げるつもりはありませんけどね」

予想していた相手とまるで逆の性別の人間が出たせいか、わずかに通話口から動揺が伝わってくる。

「先輩?」

相手が発したこの言葉で、素性がぽんと頭に浮かぶ。
会社の同じ部署のただの後輩。
その程度のかかわりしか持たない人間が、彼女に嫌がらせをしていたことになる。

「いい加減にして欲しいね」
「・・・」

そういえば、飲み会の時にもやたらと隣に座りたがったなと、そんな記憶をたぐる。
なんとなく媚びた仕草が苦手で、遠ざけていたのに、いつのまにか俺の携帯から彼女の番号を探る程度の手癖の悪さもあるらしい。

「どういうつもり?」

わかりきった事をわざとらしく訊ねる。
答えるにしても答えないにしてもこれで引導を渡せる。

「私、先輩のことが・・・」
「彼女いるって知ってるよね?」
「でも」
「悪いけど、彼女以外興味もないし、これから先も持つ予定もないから」
「先輩!」
「それに、こんな卑怯なまねする女、フリーでもくわねーよ」

そういい捨てて、電源をオフにする。
たぶん、これでこちらの方に電話をかけてくることはなくなるだろう。
その代わり、後輩のネットワークで俺がどれほど冷血感かあっという間に回っていくだろうけれど。
彼女に害がなければそれでいい。

「ごめん、本当にごめんなさい」

そういいながら、さりげなくクッキーから興味をそらす。
うっすらと頬を赤くした彼女は、満足してくれたのか、あっさりと誘いにのってくれる。

「愛想が良すぎるのが悪いんじゃないの?」
「そう言われても、仏頂面よりはいいかと」
「そうやってふりまきまくってるから、たびたびこう言う事があるわけじゃん」
「返す言葉もありません」

それほど顔がいいわけでもスタイルが良いわけでもないのに、なぜだか知らないけれど適当にもててしまう。
しかもどちらかというと粘着質タイプに気に入られる事が多く、こういうトラブルがたびたび起こってしまう。
その度にこういう会話が繰り返されるのだけれど、一定の人間が入れ替わっていく会社に所属していると、相手を替えて、こういうトラブルが定期的に起こってしまう。
いいかげんにして欲しい、と、嘆きたい気持ちはあるけれど、目の前の彼女の機嫌を直す事の方が先決だ。

「太ったら、あなたのせいだからね」
「・・・・・・だったら、運動でもする?」

彼女の方がギクリと後退りをする。
もともとその気だったわけだし、恋人同士で誰に憚るわけでもないわけで。
ネクタイを外した俺は、彼女の唇を食べる事にする。
クッキーの味がする。
あの音を嫌な思いで聞くことがないように、とりあえず携帯はロックしておくことにしよう。
でも、今はこちらの方が先決。


5.25.2006

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