92.ひとつとや
(100のお題「81.誕生日」の彼視点)

 彼女が生まれた時には、大人ぶったふりをしたかわいげのないただのガキだった。
たかだか15のガキが何を偉そうにと思われるかもしれないけれど、早くから複雑な人間関係に晒されていた自分としては同年代の人間よりも遥かに自分は大人びていると自負していた。
なのに、小さな彼女の手が一生懸命俺の指先に触れた瞬間。
わけもなく涙が溢れてしまったのだ。
小さい頃一度だけ人前で泣いたっきり、そんなことは一度もなかったというのに、俺は涙を止めることができなかった。
その日以来彼女は俺にとっては唯一の、特別な存在になったのだ。
絶対的な存在。
それが彼女。
刷り込みのようにそう植え付けられた俺は、それ以来ずっと彼女の成長を見守りつづけている。
彼女を守るに相応しい人間になるべく努力も怠らないし、彼女に懐いてもらおうと顔を見せる努力も怠らない。
そうしてそれは俺と彼女の唯一の関係、血は繋がらないけれども義理のいとこ同士という関係が終わりを告げても変わらなかった。

「離婚することにした」

親父からそう告げられた時には、ようやく、と思った以上の感情は芽生えなかった。
それ程この夫婦の関係は冷え切ったものだったからだ。
俺を連れて再婚した相手は平凡そうだけれども、優しそうな女性だった。
この人を母と呼ぶことには生みの親を覚えている俺としては抵抗はあったけれども、父親の幸せを思えばあえてそれぐらいはやってのけてみせた。だけど、子供である俺のいじらしい努力も空しく、程なくして二人の関係は目に見えて悪化していった。
優しそうだと思った女性が誰に対しても優しく、その場の雰囲気に流されやすいのだと気が付いた時にはすでに男ができていた。
ばれたら親父に泣いて謝り元の鞘に戻り、再び夫婦関係のことを相談しては相談した相手と流されて関係を持つ。決して彼女が主導的に浮気をしていたわけではないけれど、結果をみればそんなものはどちらかだなんて関係が無い。彼女が他の男と寝たというだけだ。
なのに一度目が死別とは言え、バツ2になることを躊躇った親父は不満を持ちながらも対面だけを整えていた。
俺はと言えば、離婚することでいとことの関係が切り裂かれてしまうことを恐れ、いびつなこの関係を維持していく事を消極的にも望んでいた。
だけど、そんな関係はやはりいつかは破綻する。
終わりは、思ったよりもあっけなく、何度目かの浮気騒動が終了し、表面的に見れば穏やかに暮らしていた瞬間に起こった。
今まで嫌な事からは目を背けていた親父が、ふいにこれから先何十年も暮らしていく自分の未来の姿を想像したからだと、後に語ってはくれたけれども、義母にとっても俺にとっても十分に意表をつくタイミングでそれは切り出されたと思う。多少の抵抗はしたものの、それでも割とすんなりと離婚は決まったように思う。大人の世界のことに首を突っ込むほど子供じゃなかったから詳しくはしらないけれど。それと同時に義母の弟夫婦、つまり特別な彼女の両親の関係もいつのまにか終了していた。
俺にとってみればそちらの方が大問題で、彼女との関係が切れてしまうことを恐れ、慌てて彼女の母親に俺の存在を認識してもらうべく奮闘した。
幸いにも、真面目な優等生で通っていた俺は、彼女の母親には元々信用されていたし、俺が義母とは当然血が繋がっていない事も幸いして、毎週のように彼女の家へ遊びに行く事も、不思議には思わなかったらしい。
ごたごたが終わってみれば、いとこの母親自身も仕事や恋愛にと忙しい日々が続いていたらしく、子守をしてくれる俺の存在はありがたいと思いこそすれ、迷惑だとは思わなかったようだ。そこが彼女の判断の誤りだともいえるけれど。
生れ落ちてから特別な存在だった彼女は、育つにつれますます特別な存在へと成長していった。
何をしてもかわいく、何をしても愛らしい。
心境としては親ばかな父親といった風情だが、彼女が成長するに伴い、それだけではない何かを感じとるようになってしまった。
はじめに気がついた時には、必死に否定した。
それではまるで変態ではないかと、自問自答する。
だから、そんなはずはないと、そんなことは思いもしなかったと、最初からそんな感情はなかったのだと見ないふりをする。
だけど、日に日に大きくなるその感情はどれだけ見ないふりを決め込もうとも自らの視界に入り込んでくる。
押さえ込めば押さえ込むほど苦しくなって、ますます膨れ上がる。
そんな苦い思いを抱えながらも時は着実に彼女を大人へと導いていく。
もう限界だと、その感情と真正面から向き合えば、それはとても単純なものだった。
俺はただ彼女のことを愛していて、それ故に全てが欲しいのだと。
気がつけば簡単だ、ただ幼い彼女にそんな思いを抱くような人間はただの変態だと、そんな固定観念がシンプルで強い思いに気がつくことを遅らせてしまっていただけだった。
そう、世間ではそれはやはり許されるものではない。
自覚した時にはまだまだ彼女はランドセルを背負っていて、なおかつ誕生日を迎えた今日ですらようやく中学生になったばかりなのだから。
この思いはもうしばらく封印しておかなくてはいけない。
誕生日が来るたびに、ひとつろうそくが増えるたびに歓喜する心を彼女は知らない。
その時がくれば彼女に受け入れてもらえるかはわからない。
彼女にとってみれば俺は歳の離れた親切な親戚、程度にしか思っていないだろう。
それはそう思えるように仕向けてきた努力の賜物ともいえるけれど、もちろんそれだけで終わらせるつもりはない。
綺麗な花のままでいて欲しいという願いと、今直ぐにでも手折ってしまいたくなる衝動。
まだ、早い。
それまで、彼女には気がつかれるわけにはいかないのだから。
今年も一つ年を数える。
彼女に届くまで後少し。

彼女サイド
10.20.2006update
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