「友達に戻ろう」
心の中でずっと練習を繰り返してきたセリフを口にする。何百回と練習したそれは、やっぱり口に出してみると、ずっと重い響きを伴っていた。
意を決して放った言葉に、彼は最初は戸惑い、だけど緊張が解けたかのように安堵の表情を浮かべた。
彼は自覚していないだろうが、心底ホッとしているがまるわかりだ。
なぜなら、彼は私がこう切り出した理由すら知ろうとしなかったのだから。
私から告白をして、私から幕引きをする。彼はそれに振り回されただけなのかもしれない。そう思うとちょっぴりかなしいけれど。
「じゃあ・・・」
そう言って、彼を店の中に一人残す。強がってはいても、これ以上彼と一緒にはいられない。みっともなく八つ当たりをして、言い出した言葉を撤回してしまいたくなるから。
彼が他の誰かを好きになってしまったのはとっくに気が付いていた。それが誰かもわかっていた。同じクラスの女の子。私とは正反対で控えめでかわいらしい女性。ふとした瞬間、彼の視線が彼女の方に向いていることが多かった。隣に私がいるのにもかかわらず。
だけど、あっさりとそうですか、と言えるほど私は素直な女じゃない。
抗って抗って、それでも結局彼の心が私のところにはないのだと思い知るのにだいぶ時間がかかってしまった。
それまでに、だいぶ気持ちが整理できたはず、そう思ってはいたけれど。
自然と流れ出す涙が頬を伝う。
こんなに湿っぽいのは私のキャラじゃない。
かなしいのは今だけだから、来年の今ごろには笑っているはずだからと、よくわからない励ましをしてみる。
だけど、やっぱり私は素直でもかわいくもない。
彼女に恋人ができたのを確認してから、彼に切り出すなんて。
もうこんな恋の仕方はやめてしまおう。
「ずいぶん変わった趣味…」
言外に趣味が悪いと含ませながら、それでも理性を振り絞りながら言葉を選んでいるのが丸わかりだ。
視線をせわしなくあちこちに走らせ、どうやって言葉の接ぎ穂を探そうか迷っている。
それほど、俺が紹介した彼女というのは奇異に映るのだろうかと、改めて彼女をまじまじと観察する。
化粧っけのない顔に無造作に束ねられた髪の毛。最近では黒髪回帰の傾向が見受けられるらしいが、そんなものとは関係なく彼女は生まれてからずっと、今のままだ。だからこそ、なのか、もとからの性質がいいのか、その髪質の滑らかさが気に入ってはいるのだが。
「いえいえこちらこそ、ずいぶんお似合いのお友達で」
お人よしを絵に描いて走らせたら彼女になる、といった風貌の人物に皮肉めいた口を聞かれ、思い切り面食らっている。
今日彼女に紹介をした友人は、どちらかというと軽めの容姿をしている。中身もソレに違わず軽いのだが、男同士の付き合いにおいては、なかなかおもしろいやつである。基本的なところで義理堅かったりするため、どれだけ身持ちの悪い事をしようとも、それを本気で咎められたりすることはない。
また、それは付き合っている女性にとってもそうらしく、地の果てまでもだらしない彼の付き合い方にも、結局のところ折れてしまう事が多いらしい。
もっとも、彼は本命には振られつづけて連戦連敗、今までの彼女と呼べそうな女性は全てあちら側から押しかけてきたことがほとんどだという状況がそれを許しているのかもしれないが。
「こいつとお似合いってのはなぁ…」
だからこそ、裏も表もなく軽いこいつと同類だと断言されるのは複雑な気分だ。
つまるところ彼女にとってはこの世で一番嫌いなタイプだと言われているも同然なのだから。
「いやー、こいつには負けるって、俺」
「そんな丙丁(へいてい)を競わなくっても結構よ」
さらりと底辺同士で争わないようにと釘をさされる。や、俺も底辺なのか?
「大人しいだけが取り得だと思ってたのに、随分な口を聞くじゃねーか」
「上げ底どころか底が無い人間に言われたくなくってよ」
相性が悪いだろうな、と予想はしていたけれど、ここまであからさまに火花を散らさなくてもいいじゃないかと、うな垂れる。
「猫かぶり」
「期待を裏切らないほど薄い内面をそれ以上さらけださなくてもいいんじゃない」
知ってはいたが、中身がこんなのだとは思っていなかった友人と、想像通りすぎるこいつの反応に半ばおもしろがっている彼女が一方はひきつりながら、もう一方はにやりと笑う。
「おまえ、ほんとにいいのか?こんなんで」
「うん」
友人の疑問に間髪いれずに答える。彼女の方はそれを当然とも、意外だとも受け取らずただ飄々としている。
「おまえなら選び放題だろう、なにもこんな変わり者を選ばなくても」
「そうでもない」
意外と俺もコイツと同じで本命とは縁が無い。
「よりにもよって」
「どうしてこんなかわいげのない正真正銘のブスに?」
友人の言葉の先を彼女が引き取る。
いくらなんでもここまでひどくはないだろうが、まあ、概ね友人の言いたい事を読み取っているだろう。
後半はおいておくにしても、どうして、というのは自分自身も問い質したい。
どうして彼女でなくてはだめなのか、と。
卑屈になるでもなく、凛とした姿勢でそんなことを言われてしまい、友人は再び言葉を失ってしまった。
「こいつはかわいいし、なぜだかしらないけれど彼女じゃなくてはダメなんだ」
結局のところ理論的な説明なんてできるはずもなく。
感情的に、彼女以外はいらないと叫ぶしかできない。
一見彼女の表情は変わらない。鉄壁の無表情。だけど俺にしかわからないほど微かに照れているのがわかる。
何度も何度も繰り返し叫んでいるのに、まだこうやって照れてくれる彼女が心底かわいいと思う。
「……俺の知らない世界に行ってしまったんだな、おまえ」
友人はなぜだか知らないけれどかわいらしく頬を染め、それだけを言い残してこの場を去って行ってしまった。
一緒に食事でも、と思っていたのに、二人きりとなってしまった。いや、単純に嬉しいけれど。
「メシ食う?」
「そうね、久しぶりに家来る?」
特大のごほうびを放り投げられた俺は、友人のことなど遥か彼方へ忘れ去り、お手をせんばかりに彼女へと飛びつく。
「何食べたい?」
餌付けされた野生動物のように彼女の方へと擦り寄る。
ここできっと「おまえ」だなんて本気200%の冗談を言ったら、口も聞いてくれなくなるんだろうな、なんて。
とりあえず適当に好物をあげておく。
彼女は俺だけに見せる笑顔をみせ、ほんのちょっとだけ嬉しそうな顔をする。
些細な変化一つ見逃すことなく見つめていたいだなんて、俺も十分変わりもの、なのかもしれない。