「ほら、少しでも食べておかないと」
そう言って大越さんにすりおろしたりんごを見せる。
鬼の霍乱というべきか、最近の急激な寒暖差で彼が風邪を引いた。
本人にしてみても、小学生以来のことらしく、うろたえて家へ電話してきたみたい。
もっとも、「理佐さん」って言ったきり無言なんだもの、変質者かと思った。
荒い息遣いなんてものが聞こえたりするし。
「水分とって薬飲んでたっぷり寝てください」
弱気になった彼に果汁を口に含ませる。
いつもはせわしなく動く口も、今日は飲み干すのがやっとというところ。
こうやって世話を焼くのも悪くない。
あいつに勝てることってなんだろうか。
容姿、体力、運動神経、どれをとっても負けっぱなし。
あんなに良く出来る高校生なんて卑怯じゃないか?
悔し紛れにそんなとこにケチをつける。
それにあの叔父さんとやら、背の高い優男だよな。あんなのに囲まれて城山さんの基準はおかしくならなかったんだろうか。
あ、おかしくなったから、俺なのか。
言ってて落ち込んできた。
だけど、せめて気持ちだけでも負けたくないから。
胸を張って「好きだ」と言いたいから。
今はその準備中。
負けてなんていられない。
「あんまりかまってくれないから寂しすぎて死んじゃうかと思った」
しょんぼりワンコがそんなことを口走る。
たしかそれって犬じゃなくってうさぎだったよね・・・。俗説だけどさ。
「う…。ゴメンナサイ」
デートのドタキャンに次ぐドタキャン。これはもう言い訳はできないレベル。
だけど辛抱強い(?)彼は愚痴を繰り返しながらも待っていてくれる。
甘えている、かもしれない。
彼の優しさに頼りっきりにならないように。
「と、言う事でやっぱり一晩中・・」
張り切り顔で言い切る彼をかるーーーく睨みつける。
前言撤回しようか。
「こだわり、ないよね」
「はい?」
「洋服とか小物とかさ」
「そんなことないけど?」
彼が何を言わんとしているのかわからない。地味な格好はしているけれども、それはそう見えるように、それなりに拘っているつもりなんだけどな。
でも、やっぱりそうは見えないんだろうか。
まだこんな間近で見る機会は何度目かの出来事で、近すぎる距離に心臓がばくばくいっている私は、さりげなく彼から距離をとりつつ考える。
「いや、あのさ、実は」
物静かで出来る男の仮面の下に、やけに俺様な素顔を隠していた男がためらっている。
珍しいものを見る目で眺めてしまう。
「コレ買ってきたんだけど」
そうやって差し出したのは華奢なタイプのブレスレット。普段つけていてもきっとあまり気にならなさそうなデザイン。
「はい?」
「はいっておまえ、プレゼントに決まってるだろうが」
「は?誕生日もクリスマスもホワイトデーも時期が違うが?」
「それはそれとしてちゃんとするけど、って、美里さん誕生日教えてもらってないんですが?」
藪をつついて蛇を出すってこのことか?
彼はすっかりいつものペースに戻ってにやりとした笑顔でにじり寄ってくる。
私の手首にブレスをはめてにやっと笑う。
「まあ、これは、なんだ。俺のってことで」
やっぱり俺様の彼は意地悪な笑顔をそのままに私の眼鏡をはずす。
「誕生日については今からじっくり聞き出すから」
いや、その笑顔が怖いんですが。
すっかり彼に呑み込まれた私は今日もすっかり彼のペースに落とされる。
本当にこんな話ってあるんだろうか。
無常にも目の前で電車のドアが閉まる。
一歩遅かった。
や、もともと家を出るのが遅かったからいけないんだけど。
次の電車は15分後。これで遅刻決定。
慌ててバッグから携帯を取り出す。
「ごめん、寝坊した」
「……また?」
言うに事欠いて第一声がこれ?
実際問題“また”だけどさ。
「適当に時間つぶしとくからあわてんでええよ。あわてたらろくなことないし」
「ろくなことないって」
「この間はあわてて反対方向の電車乗ってさらに遅刻するし、その前は階段から落ちるし、そのまた前は」
私の過去の失敗の数々を言い募る彼の電話を無理やり切ってやる。
聞きたくない、そんなもの。
でも、やっぱり、遅刻はいけないことだろうから、とりあえず第一声は謝っておこうか。
悔しいけど、これは私が完全にいけないことだしね。うん、そうしよう。
うだうだとそんなことを考えていたら次の電車がホームへ入ってきた。
深呼吸して電車の行き先を確認する。
大丈夫。間に合わないけどたどりつくから。