「俺と付き合わない?」
残業を終え、やっと開放されたと、身体を伸ばしていたら、唐突に声を掛けられた。
最近の私の人生の中でその言葉と言葉に隠された意味が一致するような出来事はないので、瞬間脳がフリーズした。
両腕を下ろしてしばらく考え込む。
声の持ち主は同期の川相君。かっちりとした定番もののスーツとこれまた定番の眼鏡を掛けたこの人は割りといい男だと評判なはずだ。
ただ、同じく同期の大越君と比べると華やかさに欠け、また本人も周りと適当に遊ぶなどという芸当ができないので、今まで浮いた噂ひとつなかった、らしい。ここまでは後輩の女性たちの噂話にすぎないのだけど。
返事をしないままでいるわけにはいかないので、
とりあえず先ほどの言葉を私の身の回りに起こる可能性のある出来事に変換して答えてみる。
「どこに?」
ややむっとした表情をして、それでもめげずに次の言葉につなげる。
「とりあえず居酒屋まで」
不機嫌な顔が気になるが、それはおもいっきり置いておくこととする。どうやら私の解釈は合っていたらしく、自惚れなくて良かったと胸をなでおろす。
なんとなく言葉の裏に潜むナニカを感じ取りつつも、そんなはずはないと素早く打ち消す。地味だけど小奇麗にしていて社内のお姉さまがたは言うに及ばず、年下から遥か年上まで幅広く支持を受けている花形営業マンの彼と、必要ではあるけれど、どちらかというととても地味な部署に所属していている私とでは釣り合いがとれない。おまけに、必要最低限なメークとできるだけ顔を隠すようなショートボブの髪型、さりげなく外界と遮断するための眼鏡でいてもいなくてもわからない存在を演出しているというのに。
母方の祖母がヨーロッパの人という言わばクオーターである私は、何もしなくても派手な顔立ちと髪色に悩まされてきた。外見だけのせいにするわけではないけれど、そのおかげで迷惑を被ったことは数知れず。特に恋愛がらみのトラブルは私とはまるで関係のないところで始まり、いつのまにか凄まじい勢いで巻き込まれることが多々あった。そのたびに彼女達にとってみれば異質である私は、簡単にクラス単位で排除され、時に陰湿ないじめに発展することもあった。そこから学びまくった私は、身を守る手段として派手すぎず、あまりに古臭く逆に悪目立ちしないような外見を作り上げることが一番良いのだと気がついたのだ。
周りから浮かないよう、もっといえば沈んでしまえるよう努力していれば誰も私を排除しようとはしない。逆に積極的に仲間に取り込もうともされない。おかげで会社に友達はいないけれども、誰とでもそつなく付き合うことができとても快適だ。だからこそ、こんな私に同期とは言え川相君が声を掛けるなんて、まさに青天の霹靂。
腑に落ちないまでも彼の後についていく、同期で親睦を深めたいのかもしれないし。
「深谷おまえ酒飲めるの?」
勝手にビールを頼んでおいてよく言うな、とは思ったが、彼の主張ももっともなので渋々口を開く。
「飲める」
「飲み会じゃあ、飲めないフリしてたのか?」
そういうことになる。ついでに門限があるフリをして途中で切り抜けたりもしている。
私にとって会社は仕事をするための場所であり、友達作りをする場所ではないから。
ただ、必要最低限の付き合いというものも仕事関係をスムーズにするには必要らしく、仕方なく付き合っているだけだ。
「俺にばれてもいいわけ?」
「ばらさないでしょ?川相くんは」
断言できる。彼はそういった情報を外へ漏らす人ではない。だからまあ、油断したというかなんというか。
「ふーーーん、フリか…。ちゅーことはおまえ門限も嘘か?」
そこまでコイツが頭が回るとは思わなかった。
眼鏡越しに彼の顔を睨む。
ソーセージの盛り合わせなんかをつまんでみる。
結構いける。
意識をできるだけ他の方へと分散させる。
「あのさ、おまえなんでそんな格好してんの?」
そんな、とはひどい言い草だ。別に汚い格好をしているわけではない、ただ限りなく地味だというだけだ。
「動きやすいから」
彼は彼でキムチをつまみながらたわいもない言葉を吐く。
「で、さっきの返事だけど」
「はい?」
何杯目かのジョッキを重ねて、彼は少し酔いが回ったらしい。
私はこれぐらいの量ではまるっきり平気だ。酒ははっきりいって強い。自慢できることではないが。
「付き合ってくれってやつ」
「付き合ってるでしょ」
会社で言われた言葉がリフレインする。
確かにそう言った。
だから今こうしてここにいるのではないか、と。
「わざとだろ?」
「なにが?」
彼の意図する意味がわからないではない、いや、嫌な予感はしなくもない。
「あのな、俺ずーーーーーーーっと、深谷のこと狙ってたの気がつかなかったの?」
無言で対抗。
視線、は気がつかなくもない。
そういえばいつでも視界の中にいたような気もする。
だけど、それは同期の中でわりと目立つ部類に入る彼がたまたま入ってしまった、というだけで。
いや、それだったらもっと目立つ大越君の方が頻度が高くなくてはダメだ、二人とも同じ部署なのだから。
「そうやって気がつかないフリする気?」
焼き鳥を持つ手が止まる。真剣な話をするにはこの喧騒なお店の中は相応しいような相応しくないような。
「もっとはっきり言わなきゃだめなわけ?」
「聞きたくない」
すべてを遮断する。
わかっている、今までも言葉が何を指すものなのか。
だけどだめだ。私はだめだ。
この人の隣に立つ勇気はない。
目立ちすぎる人間の隣にたてば、隣人にもその視線が突き刺さる。
そんなものは耐えられない。
地味に生きていくと決めているのに、いまさらそれを覆すのは怖い。
「聞けよ」
「いやだ」
繰り返される押し問答に彼のテンションがぐんぐん上がっていく。
いつもは低めの落ち着いた声で、それに相応しい振る舞いをする人なのに。今はそんな片鱗すら伺えない。
「だから!」
さすがに辛くなって、横を向く。やっぱり安易に着いてくるべきではなかった。
地味女の生活にこんな麗しい出来事があってはいけなかったのだ。まるっと最初の出来事から反省し後悔する。
ジョッキを握り締めて、それを机に勢いよく置く。テーブルとグラスの衝突する音がして、一瞬店内が静まり返る。
「俺はおまえが好きなんだ!!!」
どこからそんな大声が出るのか不思議なぐらいの大絶叫。周囲の息を呑む音がする。
しばらくして、誰からともなく沸いてでた拍手と口笛の音。そうしてかすかに聞こえる私を蔑む声。
カッと頭に血が上り、伝票をひったくって出口へと向かう。
あわてて彼もついてこようとするが、少々飲みすぎたためワンテンポ遅れる。
それでも会計をし終わったときには私へと追いつき、私を抱えるように店の外へでた。
「そろそろ離してくれない?川相君」
「やだ」
やだってあなた、大の大人がそんなわがまま言って。
「答えもらってないし」
「聞いてないから」
聞こえていなかった、知らなかった、そのほうがいい。
このままちょっと仲の良い同期のままいる方がお互い、いや少なくとも私は安心できる。
「あのな…」
あきれ果てたように私の両肩に手をかけ、真剣に話しかけられる。
「俺は真剣におまえに告白したの、だからイエスでもノーでもどちらでも返事をするのがおまえの方の礼儀じゃないのか?」
あまりの正論に言葉が出てこなくなる。
確かに彼が真剣なのはわかる。それに対して真剣に答えるのは礼儀かもしれない。
「わかった、じゃあ…」
「まった!!!」
答えようとした瞬間とめられてしまった。
こちらがせっかくその気になったというのに。
「おまえ断る気まんまんだろ」
どうしてわかったのか、という顔をしていたのだろうかすかさず突込みが入る。
「どうしてだ?おまえ彼氏いないだろうが」
大きなお世話だがその通りなので黙っておく。
「それに深谷って俺のこと嫌いじゃない、いやむしろ好きな方だろ」
どこからそんな自信が沸いてくるのか、この人の頭をかちわって、脳の構造を調べてみたくなる。
しかもあたっていたりするから余計にたちが悪い。
「それともなんだ、大越みたいなのがいいのか?おまえも」
「いや、それはない」
思わず秒速で返事をしてしまう。
あの手のタイプは苦手だ。もてるくせに本気にならなくて、お友達レベルで簡単に関係がもててしまうような貞操観念は嫌いだ。
それでも最近はその遊び癖もほとんど鳴りを潜めたらしいが。
「じゃあ、問題ない」
「なんの?」
話がかみ合わないような。
「やっぱり俺たち付き合うべきだよな、いや絶対そうだって」
「なにを夢見たいなことを語っている、いいかげん酔いを醒ませ?」
ぷぅっと頬を膨らませて拗ねている。だからそれが大の大人のやることかと…。
呆れてため息をついたら、その口が何かで塞がれる。
経験のほとんどない私ですら何かわかるぐらい堂々としたキス。
おい、道の真ん中でなにやってやがる?
思わず突き飛ばそうとしてその腕を掴まれ、そのまま痛いぐらい抱きしめられる。
いくら私が背が高くとも、悔しいことに男女の体格差はなんとも仕様がない。
彼のなすがままに口付けを交わし、どう考えても傍からみたららぶらぶカップルのアホなラブシーンにしか見えないじゃないか。
冷静に頭を保つため色々な思考を飛ばしながら考える。そうじゃなきゃ、力が抜けてしまう。
「な?嫌じゃなかったろ?」
さわやかな笑顔を見せて言い放つ。
だからその自信はどこからやってくる?
「恋人同士だからな、やっぱり名前で呼ばないと」
「はい?」
新幹線どころか飛行機並みの展開の速さについていけない。
「美里」
家族以外から久しく聞いてない私の名前を耳にして、キスされた時よりも照れてしまう。
赤くなって俯く私の頬を撫でて満足そうな顔をしている。
「よし、俺んちこい」
勝手に決めて私の腕を引っ張っていく。
あまりな行動にとっさに判断ができず、ずるずると引きずられる。
やっとの思いで思考回路を戻し反論を開始する。
「だから、なんで?」
「え?明日休みだし」
「いや、それ関係ないし」
「朝までゆっくりできるぞ、俺体力あるし」
その意味するところは、わかってたまるか!!!
「つきあわない」
「ダメ。決めた、俺と付き合うの、美里は」
否定の言葉もあっという間に被せて逆に否定される。
なおもそのまま引きずられている。このまま思いっきり流されるのか?私。
「おまえね、何をそんなに怖がってんの?」
先ほどまでとは違う、恐ろしく真剣な顔で痛いぐらいの核心を突く。
何も言えなくて、でも何かに負けたくなくて彼の目を見る。
「俺に任せとけって、こう見えて包容力あるほうだし」
歯磨き粉のCMのように爽やかな笑顔を見せる。
勝敗は最初の段階でついていた気がする。
彼と私との距離。現在シーツ一枚分。
だから、これは、きっと何かの間違い、にはしてくれない男が目を覚ます。
「つかまえたから」
不敵に微笑むこの人は、こんなイイ性格だったのか。
見た目で周囲をだましている女が、だましている男に捕まった。
こんな笑い話ほかにあってたまるか。そう小さく悪態をついた。