染まらない花(前編)
6月だというのに今年は空梅雨で、乾燥した風が心地よい。
平凡な一軒屋の2階で燻っている人間、高瀬啓太24歳、男。若いのに日曜日の昼間から惰眠を貪っている。
「啓太、起きなさい」
母親に揺り動かされ、挙句に毛布を奪われても、いまだ眠りから覚めず、といった風情。
「環ちゃんが来てるわよ」
(タマキ??たまきって誰だ?)
働かない頭で考えるが一向に思い当たらない。
「誰?それ」
上半身をゆっくり起こして、頭を掻きながら問う。すかさず母親の平手が頭に飛んでくる。
「いったいな、24の男になにやってんだよ」
「24の男がなにだらしないことしてんのよ。環ちゃんよ、井上環ちゃん、はとこの」
そこまで言われてやっと思い出した、そういえばそんな子いたな。うんと小さいうちは一緒に遊んだ記憶があるが、
やっぱり女の子だからだろうか、小学校中学年ぐらいからはうちに来なくなったはず。
「あの山猿か」
スパーン、と俺の頭を叩く音がする。やっぱり中身がないといい音ね、なんて言いながら、
身づくろいをして降りてらっしゃいと捨て台詞を残す。
懐かしいな。そう思いながらノロノロと着替える。
山猿というのは俺がつけたあだ名だ。短い髪に日に焼けた顔、人懐っこい笑顔で俺の後ばかりついて来てた。
確か歳が離れていたから今年高校生ぐらいか?
山猿がそのまま大きくなった姿を想像しながら階段を降りる。洗面台で軽く顔を洗って、そのままリビングへと向かった。
6人掛けのダイニングデーブルには見たこともない美少女が座っていた。
軽くウェーブがかった茶色い髪。その茶色も染色などではなく自然な色だとその光沢が伝えていた。
零れ落ちそうなぐらい大きな茶色い瞳、それを縁取る睫毛もすごく長い。
極めつけは抜けるように白い肌。一瞬ビスクドールが座っているのかと錯覚した。
入り口で呆けたように立ち尽くす俺は再び母親に叩かれ、無理やりその少女の真正面の席に座らされた。
近くで見てもお人形さんみたいだ。だけど心なしか俺を見て怯えているような、肌も少し青ざめている?
「環ちゃんよ、あいさつは?」
「え?」
いや、目の前にいるのはビスクドールで山猿じゃない。
混乱する俺を尻目にその人形は自ら口を開いた。あ、やっぱり自分で動ける、なんて馬鹿な感想を抱いてしまった。
「環です。ご無沙汰しております、啓太さん」
鈴を転がすような声。いつまでも聞いていたいほど一瞬で聞き惚れた。
「え?たまきって、あのちっちゃくって男の子みたいで・・・」
しどろもどろになって言い募るおれに本日4回目の音がなった。
「何バカなこといってんの?何年前の話。環ちゃんはもう高校1年生なんだから、昔と違って当然でしょ」
ええええええ?やっぱり山猿!どこをどうやって成長したら、アレがこうなるんだ?
女って恐ろしい。あのときの面影なんて微塵もありゃしない。そのまま俺は椅子の上で脱力していた。
いやあ、驚いた。そう思いながら崩れた姿勢を直し、正面の少女をまじまじと観察する。やっぱり見れば見るほどかわいい。
おしいな、あのとき手なずけていれば、なんて危ない思考が浮かび上がる。
「最近、またこっちに引っ越してきたみたいだから、ご挨拶に見えたのよ」
「へー。こっち来たんだ。じゃ、高校どこ?」
「・・・・・・・・・青葉女学院です」
消え入るような声で答えたその学校はこの近辺でも有名なお嬢様学校だ。こいつの家って確かお金持ちだったよな。
それに女子高っていうのも似合う。似合いすぎる。
「すみません、そろそろ」
挨拶したばかりだと言うのに、もう退出の挨拶をしだす。もう少し話したいのに、俺が寝ている間に話が済んだのか、
あっさりと母親が承知した。
「じゃあ、啓太に送らせるから」
お、気が利くじゃんお袋。上機嫌で彼女を見たら、ひどく驚いた表情でおまけに怯えていた。
「・・あの、一人で帰れますから」
「遠慮すんなって、大丈夫俺運転うまいから」
そうやって無理やり助手席に押し込んで、彼女の家まで送っていくことになった。
彼女は俺との距離を出来るだけ離そうと、助手席側のドアに寄りかかっている。いくら女子高育ちだからってこの反応はひどくないか?
「なあ、俺って怖い?」
親戚だからそんなはずないとはいえ、念のためそう訊ねる。
「・・・・・・・・いえ」
いや、その間は十分怖いって言ってるって。
あまりにもひどく怯えるので、かわいそうになり、それ以上追求するのはやめた。
おかしいなー、昔はあんなに元気なガキだったのに。お年頃、思春期ってやつかね。
そう無理やり納得して、彼女を家まで送っていった。
どうせ遠い親戚だから、もう会うことはないだろうし、あったとしても冠婚葬祭だろ?
そう思っていた。
思ったより早く済んだな。ご機嫌で街を歩く。新規開発装置の取り付け作業が思いのほか順調に進んだため、
予定より早い時間に営業所へと引き上げる。営業のように売り込みする必要もなく、開発のように閉じこもりがちな職種と違い、
現在の技術サービスの仕事は自分に向いている。2年目なのでまだまだひよっこだけど、
こうやってい新規クライアントへ一人で赴くこともある。
学生の帰宅時間なのだろうか、制服姿の中高生が街を闊歩している。俺にもあんなときがあったなぁと、
少々じじむさいことを考える。
学生の群れの中をよけながら歩いていると、カラオケ店の前に見知った顔を見つけた。
しかもひどく困惑している様子。右手首を一人の学生に掴まれ、残り二人の学生に囲まれている。ナンパか?にしても乱暴な。
「たまき」
試しに名前を呼ぶと、びくっとしながらも微かに安どする表情を見せた。
「俺の身内に何してんの?」
環の手首を掴んでいる男に睨みをきかせる。こいつら3人がかりでこいつをどうするつもりだ?
「んだよ、てめー何者だよ」
「いやー、何者って、まあこの子の保護者かな」
余裕ぶって相手の腕をとり逆にねじる。集団になると少々怖いが、一人相手だと最近の軟弱少年には負けませんから。
「いってー、離せよ」
「この子の手を離したらね」
わざとにやっと笑って牽制する。こういった輩には隙を見せたらやばい。
ちょっとした騒ぎに周囲の視線がちらちら注がれると、慌てたように逃げ出していった。
よわっちい・・・。や、助かったが。
「ありがとう・・・ございます」
掴まれた手首をそっと摩りながら涙目でお礼を言う。
やー、もうかわいいっちゅーの。
目じりが下がりそうになるのを堪え、真面目な顔で受け答えをする。
「いや、たまたま通りかかっただけだから、知らない仲じゃないし」
まだ恐怖心が抜けていないのか、振るえた声で続ける。
「ほんとに・・、啓太さんがいなかったら・・・」
耐えていたのが少しだけ緩んだおかげで涙が零れ落ちる。
ハラハラ落ちる涙に目が釘付けになる。やばいって、これ。
暴れだした心臓を静めつつ、なんとか彼女を家まで送っていった。
その夜布団の上で自問自答する。
あいつはハトコだ。
確かイトコから結婚できるよな。
高校一年生、少し前まで中学生だぞ。
や、16歳以上なら結婚できるし。
オイ、何で俺全て結婚に結び付けてんだよ。
相手は女子高校生、冷静になれ、自分。
でもキレイな涙だったな、あれ。頭の中で繰り返される映像。大きな目に涙を湛える彼女。まじやばいって。
俺本気か?
いくら女日照りが続いたからってよりにもよってなんでハトコの山猿に惚れるかのか。
はぁ、とため息をついたところで彼女の顔が浮かぶたび高まる心拍数は隠せるものじゃない。
どうしたもんかな・・・・。
途方に暮れた俺はまたためいきをつく。
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