チョコと琥珀
「ふっふっふーーん」 なにやら不気味な笑い声が零れているような・・・。 琥珀と暮らし始めてだいぶたつが、ここまであからさまに上機嫌なのは初めてではないか? 多少訝しく思いながらも、琥珀特製卵焼きを食べながら飲み込む。本日は巷ではなにやら色めいた行事で大騒ぎらしいが、この家にはそんなものに縁があるはずもなく、ただ静かに一日が始まり終わっていくはず――――――だった。 「ただいまー」 「おかえりなさーーい」 やっぱり機嫌の良い琥珀が出迎えてくれる。白いエプロンをつけた和装の男はかなり怪しいけれど、そんな光景にも十分慣れた。 「宿題が山のようにあるから、とりあえず部屋に篭る」 「はいはーーい、おやつもっていきますね」 ハートマークが飛び出そうな程の笑顔にやや不気味さを感じる。 大人しく宿題を片付けていると、静かに琥珀が入ってきた。お盆の上には暖かいココアとなぜだか塩饅頭が・・・。このあたりのセンスがいいのか悪いのか。 「ありがとう」 「いいえ、どういたしまして」 いつも通りの会話を交わす。 だけど、琥珀は私の後ろに立ったままで動こうとはしない。平素なら入ってきたときと同様に静かに部屋を出て行くというのに。 「どうしたのだ?」 「いいえ・・・」 あからさまに視線が定まっていない。隠し事が出来ないのは相変わらずだ。 「何か悩み事か?」 「いえ、そんな。違います」 「じゃあ、どうしたんだ?」 口篭もったまま、それでも立ち退こうとしない琥珀はかなりおかしい。 「あの・・・昨日机の上にあったやつなんですけど」 意を決したというように口を開く。 琥珀の言葉に昨日の机の上を思い出そうと努力するが、生憎きれいさっぱり忘れてしまっている。 「綺麗にラッピングされてて、あの、リボンとか掛かってて・・・」 もじもじと照れたような琥珀は・・・、かわいいと思えるかどうか微妙なラインだ。だけどそこまで言われてやっと琥珀が指しているものが何か思い出すことができた。 「ああ、あれか」 「そうですそうです、それですそれ!」 思い出したことによって私の頭の中にあったイメージが漏れ出したのだろうか、琥珀がやっとわかってくれたのか、とばかりに手を叩いている。 「あれがどうしたのか?」 「いやーー、その。綺麗な包みだなぁと思いまして」 「そうだな」 「あの、それで、その箱は今どこに???」 「ああ、あれか?あれなら真にあげたぞ。だいぶ遅くなってしまったが」 「ええ!!!!!あのオカマ野郎に!!」 「琥珀、真が女顔だからって、それはあまりにあんまりではないか?」 そういって嗜める私の声が聞こえていないのか、琥珀はただ口をあけて呆然といった表情をしていた。 「琥珀、琥珀???」 名前を呼べども固まったまま動いてくれない。 「琥珀!!!」 耳元で大声で叫んでやっと目玉を少し動かしてくれた。 なにやらとてつもないショックを受けたらしい。よくはわからないが。 琥珀は無言で、でもカクカクとしたぎこちない動きで私の部屋を退出していった。まさにヨロヨロになりながら。 先ほどの会話を繰り返し思い出してみても、琥珀がそれほど衝撃を受ける内容だとは思えない。ただ、真にもらった包帯を返すのになぜだか由貴がかわいらしくラッピングするの、といって飾り立てていたのが、琥珀が気にしていた綺麗な箱だが・・・。それほどあれが欲しいのなら、我が家の救急箱にいくらでも入っているのに、と訝しく思う。そう言われれば、真も貰った瞬間やけに大喜びしていた。中身はただの白い布だというのに。 「どうしたんだ?」 「いえ、なんでもありません」 なんでもあります、思いっきり顔にかいてある琥珀がショボンとしている。 夕食の時間になったから、いそいそと台所に下りてきたらこの有様だ。 さっき受けたショックをまだ引きずっているらしい。 わけがわからない。 琥珀と二人きりの食事は、当然琥珀の機嫌の良し悪しに影響される。 そんな当たり前のことに気がついたのは、琥珀が常に一定のレベルで機嫌がいいからだ。だから、こうやって落ち込んでいる琥珀を見るのは初めてで、本当にどうしていいのかわからない。 「琥珀、本当にどうしたんだ?私は何か気に触ることを言ったのか」 「違いますぅぅぅ。翠さんのせいじゃありません」 犬のように耳があったら、確実に垂れている。ますますもって琥珀を立ち直らせる事ができない自分に腹が立ってくる。 「昨日の箱を気にしていたが、そんなにアレが欲しかったのか?」 「・・・・・・でも、オカマちゃんにあげちゃったんでしょう?」 「それは・・・。一応貸し借りはなしにしておきたいからな。消耗品だし、真や私のように武道をやっていればいくらあっても困らないものだから」 「他は、他の人にはあげたのですか?」 やや血色が戻ってきた琥珀がにじり寄ってくる。 「はぁ?他の人って。私は他の人に貰うほど怪我はしていないが?」 「怪我?怪我をしたのですか?翠さん」 「いや、だいぶ前の話しだが」 話が壮大にずれ始めている気がする。琥珀が心配そうに私のあちこちを確認する。 「だから、だいぶ前の話だと。ちょうど手持ちの包帯がきれていたから真に分けてもらったのだが」 「は?包帯」 「そうだが?」 「包帯ってあの白くて長い布ですよね。怪我した時に巻く」 「生憎と私はそれ以外の使い方をしらないが・・・」 「包帯がどこでどう関係してくるのですか?」 「いや、関係って。あの箱の中身は包帯だという事だが・・・。というか、ひょっとして琥珀は、あの中身が何か別の物だと思っていたのか?」 ここにきてようやくお互いのズレが確認できた私は、琥珀に詰問する。 「いえ・・・、あの・・・。というかなぜあの包装を?」 「由貴が面白がって飾り立てていたが・・・」 「あんの、小娘」 やっぱり由貴の事を好きではない琥珀が静かに握りこぶしを作っている。 「結局、中身はなんだと思っていたのだ?」 「ええ?えっと、あの」 なんだかまたもじもじし始めた琥珀がへたり込んだ床に“の”の字を書いている。 「ひょっとして翠さん、今日が何の日か・・・。忘れてません?」 「何の日って、平日」 「じゃなくて、ほら、TVでも宣伝してるでしょ」 「ああ、あのチョコレート会社の陰謀か?」 「翠さん!!華の乙女がなんてこというんですか!!!今日は女の子の特別な日じゃないですか!!!」 いや、なんかキャッチフレーズに出てきそうな言葉に思わず寒気がする。とは言えない雰囲気になってしまった。 他の人間がああいう行事をするのは別にかまわない。というか、まあ、微笑ましいと思う。由貴がそんなことをするなら暖かく見守ろうと言う気にもなる。もっともあの子が身銭を切って男に何かをするというのは想像できないが。 だけど、自分の立場に置き換えると、とたんに鳥肌がたってくる。 先輩、これ・・・、とか、好きです・・・とか言ったりして・・・、なんて考えていたら遠い世界へ飛び立っていたらしい。琥珀が私を揺さぶりながら心配そうにしている。 「翠さん翠さん!!!」 「大丈夫だ。ちょっとインナーワールドで凍りそうになっただけだ」 ははは、とひきつった笑いを浮かべる。 「で、結局琥珀はチョコが欲しいのか?」 私の問いに、琥珀は再びのの字を書き始めた。どうやら本気で照れているらしい。 「だって、バレンタインだしぃ」 何百年の生きてきた妖怪がこんな行事を気にするなんて思いも寄らなかった。私の思考が漏れたのか、琥珀が両手で私の手を握り締めながら力説する。 「こんなにすばらしい行事があるなんて日本最高!」 全国のもてない男の人は抹殺したいぐらいの行事だろうが、琥珀ほどの男前ならありがたい行事なのだろうか。 「琥珀なら町内を一周したら山程もらえると思うが」 「違います!!翠さんのが欲しいんですぅ」 今度は哀願口調になる。 いあ、そこまで所望されれば悪い気はしないが、生憎とバレンタインなどという行事にはトンと疎く、チョコはひとかけらも用意していない。 本気で困った、と思案に暮れるがいいアイデアなど浮かぶはずもない。 「わかった、琥珀。今から買いに行くのではだめか?」 ぱっと目が輝くが、三度のの字を書きながら照れている。 「翠さんに無理強いするわけにはぁ」 上目遣いでこちらを窺いながら、どう考えても期待している。 「そうだ、琥珀。一緒に行こう。琥珀がどういうものが欲しいか知りたいし。来年からは忘れずに用意しておくから」 あまり使用しない筋肉を総動員しながらにっこりと笑う。一応今の私には邪気はないはずだ。 琥珀が掛け値なしの笑顔で大きく頷き、早速とばかりに出かける準備をしいる。 こうやって喜ばれるのは素直に嬉しい。ここまで期待されて待ってもらえる私はとんでもない幸せ者ではないかと思えてきた。 だから来年はきちんと用意しておこう、琥珀のためにも、自分のためにも。 財布を確認し外套を羽織った私とだらしないぐらいの笑顔でいる琥珀が寒空へと歩き出す。 なんとなく、居心地がいい。 そうやって私が琥珀と幸せ気分を満喫していた頃、もう一方のある意味当事者である真が、箱を開けた瞬間絶叫していたことを知らない。 バレンタインも悪くない。
02.14.2006
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一番バレンタインから遠い二人をチョイスしてみました。
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