笑顔とともに


 2月某日、とある女子大キャンパス内にて井川千春は悩んでいた。
形のよい小さな唇に華奢な人差し指をあてがって、なにやら深く考え込んでいる。



「ちーちゃんどうしたの?」

早速近づいてきたのは、好奇心を隠そうともせずニコニコしているあきちゃん。
どうしたことか彼女には隠し事ひとつできない。

「ん、いや、ちょっと・・・ね」

からかわれるのが嫌で曖昧に濁してみたけど、やっぱり無駄な努力だったみたい。

「で、おねーさんに何でも話してごらん」

これは話すまでは話さないって勢いよね。目ざとい彼女に見つかってしまった不運を嘆いた。

「はい?それで?」

呆れたを通り越して脱力しているあきちゃんをみてためいきをつく。だからちょっとってぼかしていたのに。

「響さん、総合大学だし」
「それにしても一ノ瀬さんのいるところはほぼ男子校みたいな学部でしょうが」
「そうだけど、研究室にだって女の人はいるし」
「まあ、そりゃあそうだろうけどさ」

ちょっと不機嫌な私と呆れ顔のあきちゃん。最近なんだかパターン化しつつある情景。

「で、一ノ瀬氏が他からチョコレートをもらうのが嫌だと」

私の口からはっきりといえないくだらない理由を、たっぷりの余裕をもって言い切られてしまう。
真っ赤になってうつむいて次の言葉が出ない私を尻目にあきちゃんはなおも続ける。

「いや、でもほら一ノ瀬氏って優しそうだけど、なんていうか一般受けするってタイプじゃあ・・・」

あきちゃんは語尾を濁しつつ、笑顔でごまかす。

「でも、でも、響さんってかっこいいし」

言葉がでた瞬間自分でもびっくりしてしまった。これってば、どう考えても。あせってあきちゃんの方を見ると、黙りこくっている。

「結局、のろけなわけね」

思いっきり図星をついた後、ぱったりと机に突っ伏しながら脱力してしまった。
私も自分で言ってしまった思いがけない言葉に赤面する。

 もうすぐバレンタイン、初めて渡せるチョコレートは何がいいかな、なんて思っていたけど、それはどうやら自分で考えたほうがいいみたい。





 同日、N大学内の教官室にて一ノ瀬氏が非常に憂いていた。
日ごろあまり悩み事のない、どちらかといえば能天気に近い部類の彼が悩む出来事とは。



「まさか、姉さんたち、今年も送ってくるんじゃないでしょうね」

自分以外誰もいない部屋で思わず声に出してしまうほど、チョコレート会社に煽られたとある行事に対して恨めしい気持ちを抱いている。

「いや、今年は千春さんがいますから・・・」

珍しく落ち着かない様子で教官室を歩き回る。
彼をこれほどまで落ち着かなくさせるのは、愛らしい恋人でも、できの悪い教え子でもなく、小さい頃からいいようにおもちゃにされ続けてきた姉x2のことであった。

(そもそも学校に送ってきますかね、普通)

響氏の姉二人はこれ見よがしにバレンタインチョコを大学へと郵送してくるのが習慣となっていた。都合の悪いことに結婚して苗字が違う上に、誰からのチョコも受け取らないと評判の一ノ瀬氏がためいきをつきつつも受け取る二つのチョコに周囲は興味津々。
いくら彼が姉二人からです、と言い張ったところで事務室や年上の教官の間では格好のネタとなっている。

(あの人たちの行動は予想がつかないですからね・・)

教官室の見慣れた壁を眺めつつため息をつく。





2月14日バレンタイン当日。

今年も何も知らない女学生からいくつかのチョコを渡されそうになるも、それを笑顔で交わし、おまけに恐れていたチョコ攻撃に会うこともなくご機嫌で帰宅する。
いつものように駐車場へと車をとめ、何気なく自分の居住する部屋へと目を向けると、あるはずのない明かりが窓から漏れてくるのが見て取れた。

「消し忘れ?」

独り言をつぶやいて足早に階段を駆け上がる。
ドアの鍵を開け、玄関に目を落とすと見慣れた彼のものとは違うサイズの靴を見つける。
思わず顔がにやけるのをこらえ、帰宅時間を慌てて確かめる。
午前1時。おおよそ予想した人物がここに存在するにはふさわしくない時間に、多少眉根を寄せてしまう。
こんなところが過保護なのだと笑われるかもしれないけど。

「千春さん?」

スリッパを履いて小さく声をかけながら明かりがついている台所へと進む。

「千春さん」

テーブルに自分の腕を枕に眠ってしまった彼女の姿を発見する。
彼女の姿を見つけてしまったら、いまは夜中なのに、だとかそんなことはどうでもよくなってしまった。
彼女がここに存在する、ただそれだけで心が暖かくなる気がする。

「風邪ひきますよ」

そっと肩に手を触れできるだけ優しく起こそうと試みる。
閉じられた長い睫毛が微かに揺れ、ゆっくりと目が開けられる。
まだはっきりと覚醒していないであろう彼女を後ろから抱きしめ忙しさで最近感じていなかった彼女の感触を確かめる。

「えっと・・・・響、さん?」

今だ状況を把握していない彼女は、それでも到底この腕をほどくことができなくて。
思ったより深く彼女に依存しているのだと自覚してしまう。
まだコートも脱がないまま何も言わず抱きしめる私に彼女は耳まで真っ赤にして照れている。しばらく沈黙が二人を包む。
ようやっと落ち着いて口を開いたのは彼女のほうが先だった。

「あの、ごめんなさい。こんな時間まで」

いつも私が口うるさく言っているのが身に染みているのか、真っ先に謝られてしまう。

「本当です。ご両親が心配しますよ」

大人ぶって答える私だけど、彼女の身体から離れようとはしていない。全く言ってることと行動が一致していない。

「どうしても、今日中に渡したくて」

膝の上に載った小さな包みをそっと机の上に置き、私の方へと視線を向ける。
起きたばかりの少しぼんやりした瞳に見入ってしまう。

「チョコ?」

わかっているくせに彼女から言わせたくて意地悪く確認してしまう。

「はい。えっと、響さんはたくさんもらって、迷惑かもしれないですけど・・・」

段々と声が小さくなっていく。付き合い始めてだいぶ経つというのに、こんなところにもまだ彼女の遠慮が見え隠れする。
クスリと笑って彼女から離れる。

「受け取っていませんよ、1つも」

小さく驚いて、こちらを振り返る。

「もともといただかない主義ですが、今年からは特別です」

小さな箱を手に取る。まだ赤いままの彼女はテーブルの上で組んでいる指を見詰めている。

「今年からはずっと千春さんがくださるのでしょう」

再び彼女の隣に立ち、額に口付けを落とす。
唇に触れないのは歯止めが利かなくなりそうだから。

名残惜しくも彼女から離れ、コートを掛ける。

「夜中ですけど、一緒に食べませんか?」

彼女の方を見ると、今日やっと見ることのできた笑顔で頷いた。
やっぱり千春さんには笑顔が似合う、ずっとずっと笑っていて欲しい、私の傍で。


嬉しそうにチョコを食べる彼女を眺めながら、こんなバレンタインなら毎月でもいいのに、なんて思ったことは内緒の話。

02.11.2005
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さりげなく一ノ瀬氏って自信家ですよね。なんとか甘いお話になってますでしょうか。
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