きっかけ

 久しぶりに彼の家へ遊びに行く事になって、上機嫌でビールと食料を片手に彼の部屋の前に立ったら、聞いたことがない程華やかな声たちに引き止められた。

「えぇぇぇ、うそーー、だれぇ?」

わざとなのか生まれつきなのかよくわからない甘ったるい話し方をする女と、その後ろに二人、恐らく同年代の女がこちらを睨みつけてくる。先頭の女は、私の足先から頭までをねっとりと観察、小さく鼻で笑う。
とりあえず理性的に、と自分を励ましながら用件を問う。

「えーーー、っていうかあんたこそだれ?」

こちらが恐らく地なのだろう、ゾンザイな言葉遣いがしっくりときている。
どちらかといえば闖入者、といえばあちら側だというのに、明らかに私の方が排斥されるべき人間であるかのように振舞っている。コメカミをおさえたくなって、ビールの重さで諦める。その代わりに、合鍵をとりだしてさっさと彼の部屋を開ける。
その取り出した鍵を一瞥し、やや強ばった表情でこちらを再び睨みつける。
後ろの二人は、先ほどから一言も口を聞かずにこちらに敵意のこもった視線を投げつけるだけだ。こんな風景は子供時代で終了だと思っていたけれど、そんなことはないらしい。それとも彼女達の中では未だにそのなつかしくも幼い行動が正当化されているのかもしれないが。

「ちょっとーー、お客さん」

部屋の中にいる彼氏を呼び出す。
説明するのもあほ臭く、私は修羅場などには巻き込まれたくない。
絶対この手の女は、私が彼女だと知ると、私にさらに敵意を剥き出しにしてくるのだから。

「は?こんな時間にか?」

だるそうに辛うじて短パンとシャツ、というコンビニぐらいまでなら大丈夫だろう、という服装で玄関までやってくる。いつもならトランクスなのだから、まあ、これでもましだろう。

「お客さん」

睨んだまま一言も発しない一塊は、彼の顔を見て安堵して、でもすぐに泣きそうな顔をした。その顔色の変化はたいしたもので、あれほどツンツンしていた雰囲気は瞬く間にどこかへいってしまった。

「へ?高橋さん?」

びっくりして指を差したまま固まってしまった彼氏は、この様子だと高橋さんとやらとなにかがあったわけではない、と、今度はこちらが安心をする。
疑っていたわけではないけれど、ナチュラルに優しい彼氏もちの私としては、こういった心配事は尽きないのだから仕方がない。
だからといって携帯チェックや、束縛じみたことなどできるはずもなく、私は精一杯の虚勢と、たくさんかかえた不安に押しつぶされそうになりながら右往左往している。
神様は私にかわいく焼きもちを焼く術を教えてはくれなかった。
なんでもない風に聞き出せばいいのに、たいしたことが無い一言を飲み込んで、私の中で大事にしていく。
親しくしている後輩、お世話になっている先輩、私より長く時間を共有している幼馴染。そのどれもが彼に気があったわけではないけれど、あっけなく関係を問うてみれば済むのに、飲み込んでは邪推して、爆発する前にとりあえず距離を置く、を繰り返してきた。

−ただの知り合い。

その言葉を聞けば安心をするのに、それを聞けなくて疑心暗鬼になる。
不器用でプライドだけは高くて、そんな自分が嫌になる。

「なんで?っていうかどうして家知ってんの?」
「えーー、それはーー」
「迷惑なんだけど」

殊のほかあっさりと、そんなことを言い放つ彼に驚き、彼女の方はもっと驚いたように目を見開いて、後ろの二人は初めて表情を変えて、怒りをあらわにしている。

「もっと言い方があるでしょ?」
「ただの同僚のとこに、こんな時間に押しかける方が非常識だと思うけど」
「ちょっと、高橋さんの気持ちも考えなよ」
「俺、前に断ったはずだよね?」

厳しい顔を保ったまま、矢面に立たされている高橋さんに詰め寄る。彼女はチャームポイントなのだろう、黒目がちで大きな目を潤ませながら彼を見上げている。それだけでくらっとくる男は世の中に何割かはいそうだ。それが彼氏だったら心底嫌だけど。

「でもぉ。彼女がいるって話だし」
「彼女がいるって聞いたら普通あきらめるよね?」
「でもでも、私のことは嫌いじゃないってことでしょ?」

どういう思考回路をしたらそういう結論に達せられるのかを問い質したい衝動に駆られる。
それは彼にしても同じだったようで、思わず口をあけたままぽかんとしている。

「高橋さんは入社以来ずっとずっとあなたのことが好きだったんですよ?ずるいじゃないですか、そんな突然ふってわいたかのような女と付き合うだなんて」

全く私は彼女達の事を知らないのに、あちらはどういうわけかこちらの事をよく知っているらしい。気持ち悪くなって彼氏をにらみつけると、ふるふると頭を振って無実だと訴える。

「別に長いとか短いとか関係なくね?」
「同期はみーーーーんな高橋さんの味方なんですから!」

いや、多数決じゃないだろう、という私の突っ込みは声に出ていたらしく、思い切り睨まれる。最初から睨まれっぱなしだから痛くも痒くもない。だけど意味不明の憎悪を向けられるのはやっぱり気持ちのいいものじゃない。

「やーーー、だから、それも関係ないだろ?皆応援してるからって、高橋さんと付き合いたいわけじゃないし」
「でも、ずっとずっと好きだったんですよ?彼女」
「だーかーらー、それって俺に関係ないよね?」

きゃんきゃん吠えつづける二人と、じっとりと彼を潤んだ瞳で見つめっぱなしの彼女を前に、私はいつまでこの茶番に付き合えばいいのかと、我に返る。
このままでは大切なビールがぬるくなってしまうし、お惣菜だって食べごろを逸してしまう。

「で、いつまでこうしてるんですか?お三方」

初めてまともに口を聞いた私を全員が一斉に振り返る。
私はビールを持った片手をひらひらさせる。

「とりあえず、俺付き合う気はないから」
「……ひどい」
「ひどいって言われても、前から言ってるよね?」

ループに突入した会話に、額に手をあてたまま彼がうんざり、といった雰囲気を発散させる。
よほどその顔がお気に入りなのか、上目遣いの目を器用に潤ませている。

「あのさ、早い者勝ちだって言うのなら、こいつの方がずっと昔から付き合ってるわけ」
「でも」
「でさ、俺たち婚約してるんだけど、そういう男に手を出すリスクってわかってんの?」

初めて聞いた言葉に、先に一口と飲み込んでいたビールを噴出しそうになる。
辛うじてうろたえた姿だけはみせずに、上目遣いの女と、こちらを睨みつけている女たちに笑顔をむかる。

「慰謝料請求しましょうか?」

こういう条件でそういうことができはしないのだろうが、とりあえず彼氏の言葉に乗っかってみる。
案の定そういうこと、といわんばかりに彼が腕組みをして頷く。

「だって」
「だから、結婚するし、そうじゃなくってもこんな時間にアポなしでやってきて、おまけに便所行くみたいにつるんでるような女の子には興味ないから」

女の子、のところを強く意識した発音に、彼女たちは気がついてくれたのだろうか。
女優のように一粒だけ涙を流し、泣きながら高橋さんとやらが走り去っていく。取り巻きたちもきっちりとこちらを睨みつけることを忘れずに、後にくっついていく。とりあえず私に不細工、という言葉を残しながら。

「まいったなぁ」
「なにが?」

勝手にごはんを並べ、ビールを煽る私に、おなかのあたりを掻きながら彼が所定の位置につく。
少し温かくなったビール缶をあけ、半分以上開いた私の缶と合わせ乾杯の形をとる。

「仕事、しにくいだろうなぁ」
「まあ、そうだろうね。事務にそっぽ向かれたら大変だし」

あの手のタイプは、今まで下心で親切にしていた分、倍返しで嫌がらせをするタイプだ。同性として彼女たちのような同僚をいかにうまく付き合うかは、私の仕事のかなりの部分を占めているといってよい。

「それに、なんか、あんなかたちで」
「ん?」
「あんな形でプロポーズってありえないし」
「……本気だったの?」

嘘も方便だ、と疑いもしなかった私の手が止まる。

「ばーか、そんな嘘簡単につけるかよ。よし、こうなったら仲人立てよう、既成事実にしてしまえ!」

空いた缶をしつけの行き届いた犬のように、きちんと一洗いしたのち流しに置き、さらに冷蔵庫から私の分と自分の分のビールを取り出す。
慌てて残りを飲み干し、彼に習って流しに缶を置く。

「忙しくなるな」
「あんたのせいでしょ」

かわいくない私は、かわいくない返事をし、飛び上がって喜びたい衝動を抑える。



 その夜飲んだお酒は、洗い場に置き去りにされた空き缶を見てうんざりするほどの量で、それでも不思議と二日酔いをしなかった私は、おいしそうに朝食を食べている彼の顔を盗み見る。

「夢じゃないからな」
「……わかってる」

私の考えそうなことなどお見通しの彼は、あっさりと釘をさす。
ようやく現実味を帯びてきた彼の言葉に、もう顔すら覚えていない高橋さんに感謝すらしてしまう。

このとき食べた朝ごはんは、今までで一番おいしかった。
もちろんそんなこと言えないけど。



11.19.2009
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