ビールと海と年下の彼

 愛だの恋だの私には無縁だと思っていた。
バツイチはもてるだなんて友人はからかうけれど、今の私には億劫だしなによりも面倒くさい方が大きい。
今更そんなことにエネルギーを使うぐらいなら仕事で発散した方が余程生産的である。
そんなところが離婚してますます男らしくなったと言われる所以ではあるのだけれど。

「付き合いません?僕たち」

想像もしていないことを言われると人間機能停止になるものだと、意味を理解せずにそんな事を考える。
たぶん頭が思考を拒否しているに違いない。
数秒たったのちも思考回路はまるで機能せず、酸欠の金魚のように口をぽくぱくさせているのみだ。

「やだなぁ、そんなに驚かれるとささやかながらに傷付くんですけど」
「どこにそんな神経がある」

やっと言い返せた言葉はそんなかわいくない一言。こいつと私の間には甘いムードなんて流れたことは一秒たりともないのだから、いつもながらの会話とも言える。

「あまりにも場違いで相手違いの言葉が聞こえたような気もしなくもないが、きっと気のせいだろう」

さらりと流しながらクーラーボックスの上に置いてある飲み物を持ち上げる。
大量に投入されていた氷でだいぶ薄くなったであろう中身は、それでも炎天下でパラソルの下とは言え寝転がっている自分にはありがたい。

「いえいえ、気のせいじゃないですから、もう一度いいましょうか?」
「いや、いい」

いつものへらへらした雰囲気とは違うこいつを見て、幻聴が現実になりそうで思わず紙コップを落としそうになる。

「あぶなっ!」

慌てて掴んだコップを元通りボックスの上に置き、そのまま視線を海の家の方へと彷徨わせる。
梅雨明けとともに急激に気温を上げ、海辺は人でごった返している。もうそろそろ昼になるせいなのか、店に入っていく人の数もかなり多い。
海の家ではやっぱりおでんか焼きそばでしょう、と自分にとって居心地の良い方向へ思考を巡らせる。

「焼きそば食べにいかない?」

二人きりで取り残されたパラソルの下、真剣なこいつとふざけた方向へと持っていく私。

「冗談でもからかってるでもないんですけど」

頼りなくていつも笑っていて、もう一人の弟のようだと思っていた弟の友人がじっとこちらを見据えながら呟く。
できるだけそういうものからは遠ざかっていたい私にしても、真面目な相手をこれ以上からかうようなまねをするのは躊躇われる。

「年上だし」
「わかってます」
「バツイチだし」
「気にしません、だいたいあんなに反対していたのにあんなやつと結婚する方が悪いんです!」

よくわからない主張だけれども、そういえば私の結婚に最後まで笑顔を見せなかったのはこの子だったのだと思い出してしまった。
相手にしても欠点があるわけでもなく、よく言えば真面目、悪く言えば面白みの無い相手で、平均的で平凡な私には願っても無い相手だった。ドラマような激しい恋愛話が我が身に降りかかるはずもなく、そんなものに情熱を注ぐつもりもなかった私にとって、穏やかでささやかに暮らしていけるパートナーというのはとてもありがたい存在だったのだ。もちろんある種の愛情はあったし、今でも相手のことを完全に嫌ってはいない。ただ、暮らしていくには相性が悪かっただけだと思っている。

「ああいうタイプは真面目じゃなくって、流されやすいだけじゃないですか。案の定激流に飲まれてどっかにいったみたいですけど」

何気ない生活に幸せを見つけていた私と違って、彼のほうは一世一代の大恋愛というものをしてみたかったのかもしれないし、この子の言う流されやすいというのもある意味あたっている。結婚2年目に、いきなり土下座して離婚してくれ、と言ってきた時には世界が壊れるかとも思ったけれども、それでも今、私は生きている。

「まあ、断りきれない性格ではあったよね」
「わかってて結婚したんですか?」
「いやー、わかったのは結婚してからだけど」

それまでは優しい人だとしか思っていなかった。
私に優しいだけではなく誰にでも優しいということと、優しいというよりも相手に合わせているだけだと気がついたのは割と直ぐだったと思う。

「今の彼女はかなり強いみたいだから大丈夫じゃない?ああいう依存タイプはより強い飼い主に従順だからさ」
「誰があの男の心配をしてるって言うんですか!どこかで野たれ死ね!って思っているのに」
「うーーん、さすがに死なれちゃうのはさ、後味が悪いと言うか…。私も強烈な飼い主になれなかった責任もあるし」
「こっちが責任感じてどうするんですか!って、まあ、あなたを解放してくれ事だけは感謝しますけど」
「夫婦っていうのも当事者にしかわからない色々があるわけ」

そう言いながら再び紙コップに手を伸ばすものの、そこには申し訳程度に色づいた水が悲しく残る程度。仕方なしにボックスを開け、かなり冷えた缶ビールを取り出す。ついでに隣に座る人間にも渡す。あっさりとそれを受け取った彼は、私よりも早く缶を開け、一気に飲み始めた。

「帰りは弟の運転決定、ということで」

今日私を無理やり引き込んだ弟は子供たちと波打ち際で遊んでいる。
余程私の生活が寂しそうに見えたのか、二人目を妊娠中で里帰りしている義妹の代わりに甥っ子の世話をまかせようとしたのかはわからないけれど、いつのまにかこんな人の多い海水浴場までくっついてきてしまった。
家族全員が乗れるようにといって新しく購入した弟の車には、なぜだかこいつもちゃっかり乗り込んでいて、姉弟、その子供、おまけに友人という良くわからない一行でここにいるのだけれど、それは弟とこやつの謀だったのだと気がつく。

「まだ、好きなんですか?あんなやつのこと」
「まあ、好きと言われれば好きだけど」

それが愛情なのか恋心なのかは判断しかねるけれど、嫌いではないのは確かだ。再び結婚したいかと言われれば即座にノーと答えるだろうけど。

「僕では対象外ですか?」
「対象外って言うか…」

考えたことがないというのが正直なところで、この子はあくまで弟の友人であって、私の友人ではないし、それにしては仲良くしていたという不思議な関係だ。嫌いじゃない、と言うと元夫と同じ立場になるけれど、よくわからないというのが本当のところだ。

「じゃあ、対象にしてください」
「くださいって言われても」
「ちょっとデートとかしてくれればいいんです。今まで二人きりでどうこうってなかったでしょ?」
「そりゃあ確かにないけどさ」

そう言われて、即座に拒否反応が出ない自分に気がついてしまった。
今まで言い寄ってきた人間は、己の欲望を隠そうともしなかった連中だから無理も無いけれど、この子のようなアプローチの仕方をされて、おとなしく話を聞いたかと言われると、首を傾げざるを得ない。
弟みたいな物だと高をくくっていたのかとも思うけれど、それにしては衝撃が足りない。どこかでこの子がこんなことを言い出すのがわかっていたような、そんな不思議な落ち着きぶりだ。

「やっぱり年上だしなぁ」
「今は少し年下ぐらいどうってことないですよ」
「うーーん」

首を捻るけれども、どこまでも嫌な感じはしない。

「じゃあ、焼きそば買って来てくれたらデートするってことで」

ぱっと顔を輝かせながら大きい声で返事をしてあっという間に海の家へと突入していった。
とてつもなく喉が渇いている事に気がつきビールを煽る。喉をとおる炭酸の感触が心地よい。

「あいつ、しつこいぞ」
「聞いてたわけ?悪趣味」

いつのまにか甥っ子を連れてパラソルに戻ってきた弟が笑いながら忠告をする。

「聞いてたって、前々から俺にはダダ漏れだったし」
「ダダ漏れって…、いつからなわけ?」
「いつからって、最初から」

最初からと言えば、あの子がまだまだ背が伸び悩んでいた中学生の頃からなのかと、思わず指を折ってしまう。
その年月の長さにちょっと自分が言ってしまったことを後悔する。

「絶対諦めないっつーか、最後まで追い詰めるっていうか、こと姉貴に関しては不屈の闘志を持ち合わせているっていうか。離婚したって怒って喜んだのはあいつだけだしな」
「私の代わりに随分怒ってたものね、あの子」

その当時を思い出しながら姉弟で笑いあう。私の家族は怒りを通り越して呆れていたのだけれど、そんな中彼だけは正常に怒りを保ちながら彼の不貞を糾弾していたような気がする。私があっさりと離婚届に判を押しそうなのを制して、かなり有利な条件で離婚できたのは彼のおかげだ。
それ以来弟を通じずにメールのやりとりなどはしていたけれども、やっぱりこんな展開になるとは思わなかった。

「捕まった、っていうのかね、こういうの」
「じゃね?ぜってー離さないとおもうぞ、ああいうタイプは」
「覚悟しておく」

空になったビール缶をゴミ袋に放りこむと、焼きそばとおでんを両手に持った、彼が小走りにこちらへとむかってくる。
ついでにおでんも購入するなんて、なんて気の利くやつだと、そんな事を思いながらボックスの中からビールを取り出す。

「じゃあ、俺たち親子は海の家で食べるから、お好きなように」

さりげなく嫌味とも取れるセリフを残して、弟はパラソルから離れていく。甥っ子はわけはわかっていないものの、父親の楽しそうな姿にキャッキャとはしゃいでいる。

枯れきった私と粘着質の彼。
暑い夏と海とおでんとビール、ついでに年下の彼
悪くないかもしれない。

8.1.2006
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軽い恋愛もの。

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