「じゃあ、どうすればいいと思ってんの?綾ちゃん」
「どうすればって言われても」
先程からループしている会話が、相変わらずツルツルと滑りながらも、元の問題へと帰っていく。
「あのね、うちのばばぁどもは本気なの、綾のとこみたいに甘くないわけ」
それは、確かにそうだろう。幼馴染として彼の両親とも顔なじみだけど、正直言ってあのおばさんと長期に渡ってお付き合いしようだなんて度胸は無い。そんなことをしたら確実にこちらの寿命が先に縮んでしまう。それぐらい彼の母親とそれに付随する姉妹は強烈である。
「でも、だからといって」
この期に及んで言い淀む私に、彼がぴしゃりと切りつける。
「あなたの娘は不倫した上に相手の子どもを孕んでいますよって、正直に言ったほうがいいわけ?」
口に出してみると、私の置かれた立場というものはどうしようもないものである。
妻子ある中年男と恋愛して、おまけに子どもまでできただなんて、どの面下げて父に言えばいいのかわからない。母親などは卒倒してそのまま三途の川を渡っていきそうで恐ろしい。
普通に出会って普通に恋愛して、普通に家庭を作ってきた二人にはそれこそ太平洋を超えた先ぐらい遠い世界の話だろう、浮気や不倫だなんて。そんな平凡な家庭に生まれた私が、どうしてこんな状況に立たされているかと言えば、それは単に私が世間知らずだったからだろう。
“妻とはうまくいっていない”だなんて言葉を鵜呑みにして、ずるずるとそのまま付き合って。彼には私しかいない、だなんてどこの昼ドラかよ?って今なら十分突っ込めるほどのめりこんでいった。妻とは別れる、その言葉を信じたわけじゃないけど、それでも心のどこかでそれに縋って生きてきたのは事実で、それが私の妊娠をきっかけにやっぱり偽りだったと気がついた時には、私らしくも無くこの世から消えていくことを望んだりもした。
おまけに彼の奥さんは妊娠中で、追い討ちを掛けられた私のすさんだ生活を支えて励ましてくれたのは、今目の前にいる彼なのは確かなんだけどさ。
「でも、やっぱり、結婚するだなんて極端すぎやしない?」
眼鏡を掛けた幼馴染は、今日何度目かの溜息をついた。
立ったままだった私は、彼に促されて、食卓の椅子に腰掛ける。彼は目の前の席につき、私のことを気遣ってなのか、暖かい麦茶を湯飲みに注いでくれる。
「それぐらいのことしないと逃げ切れないって言ってるだろ?」
「それは、なんとなくそうじゃないかと思ってるけどさ」
「だったら、いいじゃないか。綾の子どもには戸籍上父親ができて、俺の方は母親の要求から逃れられる」
「正直に言ったら?」
私が投げやりにそう言ったら、彼が鬼のように鋭い視線を投げて寄越した。そんなものには慣れっこなので、鼻で笑ってやる。だいたい、私の今置かれている状態も最悪だけど、彼の持っているカードだって、考え様によっては私以上に最悪だ。
「自分はゲイで、女相手には役立たずだから、結婚できませんってさ」
再び彼がギロリとこちらを睨みつける。あっかんべーとばかりに軽く舌を出してやる。その彼がおばさんが強烈に推し進めてくるお見合い話に閉口しているだなんて、おまけに、今現在自分達を納得させる相手を連れてこないなら、この人と結婚させる!と最後通牒をうけただなんて、立場の悪さは対等だと思う、やっぱり。
「それを言ったら、ばばぁどもの絶叫と共に、本家のばあさまの長刀のツユと消えかねん」
「あんたんとこは良家って言われるやつだからねーーー。まあ、あんたがそれじゃあ、お家も断絶ってやつだろうけど」
彼は長男家庭の一人っ子だから、彼が子どもを作らなければ必然的に跡取はいなくなる。今時そんなことを考える家なんて、私ならごめんだが、彼単体ではスペックとやらがいいらしく、女が言い寄らない時期は無かった・・・らしい。
「だから、お前と結婚するって言ってんだろうが」
「は?」
「今なら仕込まなくても、もれなくついてくるんだろう?跡取が」
「は??ってちょっとあんた!!」
ココまで言われたら頭の悪い私でも、理解できる。彼は自分の性癖を隠すべく妊婦の私を利用する気だ!
「もちろんそれだけじゃない。綾なら一緒に暮らしていても苦にならないっていうか、むしろ実家族より家族らしく暮らせそうだし」
それはそうだろう。大学時代も隣同士の下宿先で、すごい勢いでとっかえひっかえ新しい“男”を連れ込んでいた彼とはどう考えても間違えようが無い。いや、あってたまるか。
実の兄弟以上に清らかに家族らしく暮らしていけるに決まっている。おまけに、不思議と波長だけは合うのか、私も彼と一緒にいるのは苦にならない。というよりもむしろ積極的に居心地はよい。
「ゲイと暮らしてこのまま枯れ果てろっていうわけ?」
「や、それは綾も女だから、彼氏を作るのはやぶさかじゃないし」
「コブ付き既婚者の女と付き合うような男はろくなもんじゃないわよ」
「自分が逆の立場だったくせによく言うよ」
それはそうだけど、と痛い所をポンポンついてくる。でも、だからこそ次こそはって思うわけよ。そんな気持ちが顔に出ていたのか、簡単に突っ込みをいれてくれる。
「あのね、自分が男運悪いってそろそろ自覚してくれない?いっつもいっつも後処理するのは俺なんだからさ」
言葉もございませんと白旗を振りながら降参したくなるぐらい彼の言う事はもっともなことで、中学生からこっち、ろくな男と付き合っていない。
大体スタートがまずかった。中学生の頃に付き合った社会人の男は、今考えたらそれだけでロリコン決定なんだけど、独身だと偽ってちゃっかり妻子がいた。次の男は、マザコン。こいつはデートの途中でもママからの呼び出しがあればホイホイ帰っちゃうようなやつ。あまりのことに振ったら、あっという間にストーカーに変身した。そういえば、その後の彼氏も軽いのから重いのまで全てがストーカー化したのはやっぱり私のせいか?そのたびにコイツが彼氏のフリをして追い返してくれたんだったっけかなぁ、なんて記憶を掘り起こしてみる。マザコン、浮気モノ、借金癖、それらの複合系ともう見るからに不良債権ですって男ばかりと付き合っていたかもしれない、そういえば。彼氏がかわるたびに友人が忠告してくれていたのに、そのアラームを振り切って突進していく私に友人達は徐々に減っていった。だから最後に残ったコイツは本当に貴重な友人でもある。
でも、いくら男運の無い私にしても、最後の恋人がゲイだなんて笑い話にもなりはしないんじゃないのか?
「納得してくれた?」
「いいえ、全然」
にっこり笑顔の幼馴染と、ひきつり笑顔の私。正月早々どうしてこんな殺伐とした会話を交わさなければならないんだろうか。
「あ、でも。俺母親には言っちゃった」
なーんて、とんでもない爆弾をかましてくれる。
「ちょっと!!!おばさんに言ったって言ったって、言ったって!!!」
興奮して次の言葉が出てこない私に、おかわりの麦茶を注ぐ。
「元々、家柄といい学歴と言いおまえの事気に入ってるしさ。あっさりとお許しがでたし」
「でたし!じゃなくって!!!」
「まあまあ、嘘からでたマコトって言葉もあるし」
「嘘も真実もないじゃないかぁぁぁあああああああ」
私の絶叫虚しく、やっぱりおばさん方の迫力に押され、彼の指し示す方向へと流されていく私。大人しく振り袖を着込みあいつの親戚連中に囲まれた最中に、発作的に「ホモと結婚なんかするもんかあああ」って叫びたい衝動には駆られたけれど。
だけど、私は知らなかったのだ。正月早々の話し合いで彼が最後にニヤリと不敵な笑みを浮かべていたのを。その笑顔の意味がわかるのは結婚した後。
「あ、おれってバイなんだよね。女で反応するのは綾だけなんだけど」
なんてサラリと言われたときだった。
アホのようなコネタです。ちなみに彼はホモでもなんでもなくノーマルです。なぜだか知らないけど綾が
そう思い込んだ後、それを訂正せずに誤解させたままにしていた模様。策士?
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