「げ、直樹兄さん」
家へ帰ったら、当たり前のような顔をして幼馴染の直樹兄さんが居座っていた。
新聞なんか読んじゃって、あまりにも馴染んだその姿は違和感を感じさせない。
「女の子が、なんていう言葉使いを」
大袈裟に呆れたフリをして、素早く距離を縮めてくる兄さんは、相変わらず意地悪な表情をしている。
数ヶ月前、あるハプニングのせいでちょっとギクシャクしたけれど、さすがに長い付き合いだけあって、あっという間にモトのような関係に戻っていた。もっとも兄さんは隙あらばベタベタ触ってくる変態親父になっちゃったけど。
「どうしているわけ?」
「どうしてって、美夏一人でお留守番でしょう?」
「誰から聞いたの?」
両親は、母方の何十年目かわからないぐらい気が遠くなるほど縁遠い故人の法事に参加するため、田舎の方へ行っている。母ですら禄に顔を合わせたことがないような人の法事には、さすがに私まで出なくてよいという事になった。しかし、両親の目的は実家付近にある温泉であることを知っている。さしずめ子供の私は邪魔だったんだな。
夫婦仲が良い事はいいことだから、反対する気はサラサラないけど・・・、自由に過ごすのは楽しいし。
だけど、どうしてそれを目の前の悪魔は聞き出したのか?最近仕事が忙しいらしくて全然顔を合わせなかったというのに!
「いや、そんな胡散臭い顔をしなくても」
「兄さんの存在そのものが胡散臭いわ」
「・・・・・・それはおいといて、おばさんに頼まれたんだよ、一人きりになるから出来たら様子を見てくれないかって」
「大丈夫よ、一人で留守番ぐらいできるし」
「や、そっちの心配じゃなくって、これ以上遊び呆けて成績が直滑降起こすのを心配してるみたいだよ。もうすぐテストだろ?美夏のとこ」
「・・・・・・・・・」
成績の事を持ち出されると、何も言い返せないというか、ごもっともでございますと全面降伏するしかないというか。
「ちゅーことで、家庭教師してやるよ」
胡散臭い笑顔で胡散臭い言葉を吐く直樹兄さんの提言を、もはや後がない成績を量産しまくっている私は断る事ができなかった。
「・・・まじ?」
「まじ・・・。」
前回の成績をぱらっと見せた兄さんはそのまま絶句してしまった。
「中学の頃は成績そこそこだったよ、な」
それは兄さんの気のせいです。今の学校だって、なにかの奇跡で滑り込んだとしかいえない。それでもその学校が世間的にはあまり頭の良くない部類に入っていたりするので、当然私の成績もたかがしれている。
「大学行く気あるの?」
「うーーーん、一応」
「いや、確かに少子化で入りやすくなった・・・、らしいけど」
言葉尻を濁す兄さんは、私の成績を前に沈黙する。
「いやいや、まだ高校入ったばかりだもんな。まだまだ挽回できる、かもしれないし」
とても弱気な宣言をしながら、兄さんが教科書をぱらぱらめくっている。
「やっぱり、俺のときと大分違うなぁ」
そもそも、進学校だった兄さんのところと、私のところが同じような教科書であるはずもないのだけれど。
ぶつぶつ言いながらも、そこから先の兄さんは真剣で、私もそれにつられて久しぶりに勉強に熱中していった。
「やべ、ってもうこんな時間」
集中力がふと途切れた瞬間、兄さんは壁掛け時計を一瞥してそう呟いた。
「あれ?もう?そういえばおなかすいたかも」
時計の針はすでに9時を回っていて、いつもの夕食の時間はとっくに過ぎてしまっている。
一度意識し出したら、無性におなかが空きだした。
「今から作るのはメンドクサイなぁ」
「なんか頼む?」
「うーーーん、そんな気分でもないし」
兄さんさえいなければ適当にうどんでも煮ておしまいにしたいところだ。さすがに、勉強をみてもらった未だ食べ盛り!と主張している兄さんに、それだけで我慢しろ、というのも忍びない。
「・・・・・・兄さん。なんだか距離が近づいている気がするんですが」
「気のせい気のせい」
ずるずると後退していくも、ずるずると兄さんが引っ付いてくる。
「これぐらい、いっつも引っ付いてたじゃないか」
まるっきり意識してなかった時はそうかもしれないけど、少しでも意識してしまった今はそんな無邪気には振舞えない。
猛獣危険、餌やり厳禁。
「えっと、兄さん。その手はなんなのかしら?」
私の左隣にいる兄さんの右手が、がっしりと私の右肩を抱え込んでいる。
「久しぶりにスキンシップの一つでも」
「エロ親父」
「男はみんなすけべなんです」
開き直った兄さんは、私の顎をしっかり捕らえて以前の事故のようなキスとは違う、濃密な口付けを私に落としていく。
(うわ!!何考えてんのよ。舌なんて入れてくるんじゃない!)
パニックになりながらも、兄さんのされるがままになっている。悔しいけど、なんだかんだいって兄さんの事は慕っている。ただ、こういう生々しい男女の関係っていうのに感情がついていかないだけで。
思考回路が麻痺しそうなほどの兄さんの行為に、うっかりそのまま流されてしまいそうになった瞬間、身体に感じる違和感に一瞬にして素面に戻ってしまった。
「どこさわってんのよ」
そのままの勢いで景気よく平手打ちをする。
「・・・・・・・・・・・・イタイ。美夏ヒドイ?」
「それはこっちのセリフでしょうが!!!高校も出てない小娘に何してんのよ」
「身体は十分育ってるような?」
「変態!!!」
兄さんのどこぞかを踏みつけ、台所へと向う。
腹が立ったら、余計におなかが空いてしまった。
なんだか有意義だったような無意味だったようなよくわからない時間を過ごしてしまった。
やっぱり、兄さんには隙を見せてはいけない、成績も・・・、自力でなんとかしなくては。
よろよろした足取りで続いて台所へ入ってきた兄さんは、涙目でこちらを睨んでいる。
そんな顔をされても私は知りません。それこそ自己責任というやつです!!
「なんか食べる?」
無言で頷きながら、椅子に腰掛ける。
私は冷蔵庫の中を見て、適当にメニューを考える。
妹のままでいられるのは本当にあとどのくらいだろうか。
残り少ないカウントダウンの音が聞こえる。