下駄箱で、足を滑らせていた子を見かけたらどうする?
突然の彼女の問いかけに聞き返す。唐突なのは彼女の特性。大して驚いた様子も見せずに返事をする。
「どうするって、まあ、近くにいたら助けるけど?」
「うん。そうだよな。私もそうしたんだけど」
表情を曇らせながら会話を続ける。
ここは高校の教室で、今は授業が終わった後。おのおのが帰り支度をして部活や家へ向っている。
「だけど?」
再び思考の海へ入り込んだ彼女に先を促す。こうでもしないと彼女はいつまでたっても現実世界へ戻ってこない。
だてに1年彼女の親友をしているわけじゃない。
「いや、うん。そうだな、あれは私のイメージがそうさせたんだな」
勝手に言い出して、勝手に納得している。その間の過程がすっぽり抜けてしまっている。
どうせくだらないことだろうけど、とため息をつきながら説明を求める。
「イメージ?」
先ほどから単語でしか会話をしていないことに気がつく。彼女の思考を整理するには、
黙って聞きながら所々で説明を求めるのが得策である、と、絵里が気がついてからはこのような方法をとっている。
女子高生らしい華やかな会話など二人には無縁のようだ。
「そう、イメージ。自分のイメージは自分じゃわからないものだな」
ますますわからない。原因と結果が一致していない。
相変わらずのこととはいえ、多少混乱しているところへ、不確定要素ともいえるべき第3者が飛び込んできた。しかも息せき切って。
「石原、ごめん」
彼は彼で唐突に謝罪をする。今日はこんなことばかりだろうか、と絵里が再びため息をつく。
石原と呼ばれた少女の方は、表情一つ変えずに、飛び込んできた少年の方を凝視する。
「周りから聞いた、朝のは誤解だったって」
「や、別に」
素っ気無く返すと、それ以上の興味は失った、とばかりに帰り支度を始める。
「別にって、俺ひどい事言ったのに!」
「いや、それはそう思わせた私に非がある」
感情を見せない彼女は、椅子から立ち上がり、かばんを手にする。
「でも!俺の勘違いなのに」
「あの状況でそう思ったのは、そういうイメージが私にあったということだろう。だから仕方がない」
ああ、イメージね、やっと単語がつながった。どうやら先ほどの足を滑らせた子をどうするかっていう質問と関係があるらしい。
そう踏んだ絵里は彼女を制し、飛び込んできた少年に質問した。
「何があったの?」
隣から声がかかり、やっと周囲の状況が把握できたのか、少年がたじろぐ。石原と少年、
彼女達の周りには幾重にも人垣ができている。もちろん野次馬の。
言い淀んでいる彼の後ろから声がかかる。
「それはね」
面白そうに微笑んでいる、眼鏡の少年が先を続ける。
「朝、河口さんが下駄箱の前で滑って転んでね、で、石原さんが助けようとしたんだよ」
苦虫を噛み潰したような顔で眼鏡の少年を睨みつける。よっぽど後悔していることらしい。
「で、こいつを見た途端、彼女がなぜか『石原さんが・・・』って訳アリっぽく呟いたわけ」
その先は言わなくても分かる。そういった顔をして絵里がその言葉を受ける。
「ああ、それでこの単純馬鹿の紀本君が勘違いして・・・」
「そうそう、よりにもよって石原さんが突き飛ばしたとでも思ったんだろうね。『最低!』って言って河口さんを連れて行ったんだよ」
納得した、という表情の絵里に対して、
まるっきり興味がないといった風情の彼女はそんなことよりも早く帰宅したくてうずうずしている。
馬鹿じゃないの?という視線が紀本に注がれる。野次馬達も原因がわかればそれでよし、
とばかりにそれぞれの用事にとりかかる。哀れむような視線だけを残して。
「だから、勘違いだったんだよ。ほんとにごめん」
深深と頭を下げて、謝罪をする。彼が彼女に対してほのかに恋心を抱いていることは彼女以外の誰でも知っている。
だからこそ激昂もするし後悔もする。感情の振れ幅が尋常じゃなくなるのは彼女に対してだけ。
「勘違いも何も、そういう風に見ていたってだけだろう。謝る必要はない」
何の起伏もない声で答える。好意を抱いている彼にとっては切り捨てられているようにかんじるだろう。
「いや、そうじゃなくって!」
尚も続けようとする彼に、めんどくさそうに彼女が答える。
「河口さんは私の名前以外何も言っていない。だからその先は紀本の推測。推測するには何らかの要素が必要だ。
その要素がああいったイメージなんだろう、紀本にとっては」
身も蓋もない言い方に彼の方が居た堪れないといった顔をする。
それじゃ、と片手を挙げて教室を後にする。残されたのは親友の絵里と紀本とその友人。
「馬鹿じゃないの?お前。河口さんの策略にまんまと嵌って」
「うん、あれは完璧に切って捨てていたね」
口の悪い両人共に追い討ちを掛ける。
「その頭に血が昇ったら、後先考えない性格をなんとかしたら?」
「涼子にとって紀本君は“同級生を平気で突き飛ばしそうな女だと思っている人”ってことね」
「だあああああああああああ!それ以上言うな!」
頭を抱えながらしゃがみこむ。イッタイ何度こんなことをしたら彼女の性格を把握できるのか。
「前も似たようなことしたよね、確か」
「そうそう、学習しない」
二人の悪魔がケタケタと笑う中、単純馬鹿だの、後先考えない性格だの言われた紀本は叫びながら教室を走り去っていった。
「おもしろいおもちゃだわ」
絵里が呟く。
「同感だね。まだまだ当分遊べそうだ」
眼鏡の少年が同意する。どうやらこの二人は同じ気質の持ち主らしい。
彼が彼女の持つイメージを崩し、恋人同士になれる日は来るのか?
それよりも友人と彼女の友人におもちゃにされなくなる日は来るのか?
きっと彼の夜明けは遠い。