1 愛か恋か【Love】

 上半身に猛烈な寒さを感じ、まだはっきりと働いていない頭をゆるゆると動かしながら、自分の姿を確認する。
寝ぼけていて、なおかつ視力がよくない俺ですら、自分が今置かれている状況をすぐに理解することができた。
真っ裸だ。
恐ろしいほど真っ裸だ。
いや、俺としてこの年にもなってこういう状況が一度や二度とはいわない、むしろ結構良くある、と言い切れてしまうほど、俺は女の子とこういう状況になることは大好きだ。
だが、と、僅かに痛むこめかみを意識しながら、昨日から今にかけての自分を思い起こしてみる。
とても不快な現実が突きつけられたような気がして、思わず寝なおしたくなってくる。
コレは夢だ、夢に違いない。
だが、現実感を伴ってせまってくる、この日本人に生まれてよかった、と、思わざるを得ない朝飯の匂いを前にして、自分は今、口に出すのもおぞましい現状に放り投げられているのだと自覚する。

「おきたのか」

聞き間違えるはずもないこの、少しハスキーだが、色気もカケラもないこの声の持ち主がにやりと、笑みを作って立っていた。
右手のお玉が武器に見える、といったら、問答無用で蹴り倒されそうで、ゆっくりと我が身を起こす。
自分のものではないベッド、自分のものではないリビング、素っ裸の俺。
俺だけがこの部屋の中では異質であり、どうしてこんなところに自分がいてしまっているのだろう、と、自問自答する。

「食うだろ?」
「……せめて食べるといってくれ」

この女の口の悪さは今に始まったことではないが、それが同期の俺の前では遠慮会釈もなく発揮される。たとえ、俺が素っ裸でベッドの上に寝転がっていたとしても、だ。

「そんなことを気にする間柄じゃないだろう」
「いや、気にしてくれ、っていうか、どうしてこうなった?」

正直なところ記憶はある、断片的ではあるものの、俺は俺自身の意思でここに転がりこんでいる。わざわざ口に出して言ったのは、どう考えても罪悪感からくる責任転嫁だ。
俺は覚えていない、そう念じつづければ現実になってくれそうで、卑怯だけれど口について出てしまっていた。

「お前ってそんなに酒弱かったっけか?」
「弱い、の定義にもよるが」

目の前のこいつはざるなんてもんじゃない、あれは網だ、枠だ。学生時代が遠ざかり、そろそろ食べる量も何もかもペースダウンしていく年齢に差し掛かったお前が、いや、俺もだが、しかも女のお前がどうしてアレだけの酒量を納めてけろっとしてやがるのだ、と、密かに悪態をつく。

「まあ、じゃあ覚えてないのも仕方がない。いいからメシを食え、冷めるぞ」

けろっと、何気ない風に、いや、本当に全く気にしていない様子で純和風の朝食を勧められる。
炊き立ての白ご飯に、ねぎが散らされた味噌汁、小ぶりだけど脂がのっていそうな鯵の開きに、ほうれん草のおひたし、野沢菜漬けまでそろった朝食は思い切りよく俺の腹を刺激してはいる、してはいる、が。

「あのな、おまえよくそんな平気な顔していられるな」
「はぁ?平気って、おまえなんかやったのか?」
「やったか、じゃねーよ」

激高して、すぐにひょいひょいっと朝食を食べ始めたこいつにテンションがしぼむ。
こういうやつだとはわかってはいたが、と、空腹に負けてついつい俺に用意されたらしい朝食に手をつける。

「げ、うまい」
「あたりまえだろう、わざわざまずいもん作ってどうすんだ?」

世の中にはいるんだよ、わざわざ手間ヒマをかけて不味い物を作る女ってやつが、と、わけのわからないところで八つ当たりがしたくなり、一口汁物に口をつける。
俺の好みとしてはもう少し辛いものが好みだが、これはこれでうまい。
うっかりと食事に懐柔されそうになり、思考回路を本題へと修正する。

「……悪かったな」

昨日の自分の大失態を思い浮かべながら、とりあえず謝罪の言葉を口にする。
あれは、完全に俺が悪かった、と、思う。
いくら泥酔していたとはいえ、一人暮らしの女性の家に、それがたとえガサツで力強くてとてもじゃないけれどそういう目で見たことがなかったとしても、押しかけるのは紳士じゃない。
おまけにその後俺がしでかした事を考えれば、おそらく訴えられないだけましと言えるだろう。

「なにが?」

だが、目の前のこいつは、何が?というった表情を、本当に心の底からしてくれて、おまけにおかわりをジャーからもりつけている最中で、俺の屈辱的な謝罪の言葉などまるっきり気にしていない。

「何が?じゃないだろうが。おまえ、何が、じゃあ」

腹がくちくなったせいか、脱力こそすれ、先程みたいなカリカリした気持ちなどどこかへいったらしい俺は、ついでに、とばかりに茶碗の中に白ご飯を追加してもらっている。こんな格好では、あまりにもあれではあるが、とりあえずこいつ相手にまともなペースで話を進められると思っていた自分がアホだったのだ。

「昨日酔っ払って押しかけて」
「珍しいよな、あんなに酔うなんて」
「えらいペースでグラスを空にしていったおまえに言われる筋合いはない、ってそうじゃなくて」

カラカラと笑いながらご飯をかきこんでいるこいつに、そういえば仕事の愚痴なんかもごちゃごちゃ大量に吐き出してしまったことを思い出し、どちらかというとそちらの方でひどく後悔をする。

「ここにきて、ほら、あれだろ、おまえ」

さすがに、いくら女傑だとか揶揄されるこいつの前でも、それをストレートに口に出すのは憚られる。今までまったく、全然、本当にそういう意識をもっていなかった相手だからなおのこと、思春期の野郎のように緊張してしまう。
だが、俺の繊細な心などおかまいなしに、おいしそうに野沢菜を頬張るこいつに、そういうささやかな羞恥心を期待した俺が馬鹿なのだ。

「ああ、おまえ結構上手いのな」

だから、なにが、だ、と、大声で叫びだしたい気持ちを必死で抑える。

「……責任とる、とはいわないが、その」

泥酔状態でのあれでは、まさかとは思うが、一発一中、などという洒落にならない出来事が起こらないともかぎらなく、だが、胸を張って責任を取る、とは言いたくない俺は口を濁す。

「妊娠か?それなら薬のんでっから大丈夫」
「は?おまえにそんなもの必要があったのか?」

我ながら失礼な言葉だとはおもうが、することをしておいて、それでもなお女だとは認識していない相手に対してウッカリ本音が漏れ出てしまった。
そんな俺の失態など気にもとめずに、これでも生理痛がひどくってね、としれっと答えるこの女相手にどうしての俺のナニは反応してしまったのだろうか。

「まあ、野良犬にでも噛まれたと思って」
「それは俺のセリフだろう!」
「ん?おまえって野良犬」
「ちがーーーーーう」

あくまでもかみ合わない会話を繰り返し、出勤前にぐったりした俺は、昨日と同じスーツ同じネクタイで職場に現れる、という失態をおかしてしまう。
だけど、俺自身一番信じられないのは、あれほど男みたいだ、色気がない、女の癖にともいえないほどのシロモノ、と言い張っていた同期の小早川比呂にうっかりと女の片鱗を感じ取ってしまったことだ。
冗談じゃない、と、それでも自分の家のものとは違うシャンプーの香りが気に掛かる。
なんとなく、目の端に入る回数が多いような気がするのは、本当に気のせいだと言い聞かせながら。


>>次へ>>戻る


3.4.2008

>>目次>>Text>>Home