06

  「お久しぶりでーす」

背後から掴まれた腕を反射的に振り払おうとする。寸前のところで、掴んだ人間が亜紀子だと知り、なすがままにすることにした。

「どうしたんですか?こんなに天気のいい日曜日に」

いつのまにか初めて彼女と邂逅したコンビニ前へとやってきたようだ。再び、この場所でよりにもよってこんな日に彼女に出会ったことに、僅かな罪悪感と、もっと違う何がしかの感情を抱きながら、笑顔を返す。

「別に」
「別にって、あ、暇ならデートしません?デート」

あまりに軽くその言葉を吐く彼女に、洋行の中の理性が緩む。彼女は、洋行に恋人がいることを知っていながらこんなことを言える人間なのだと、普段の洋行なら思わないほど見下した醜い気持ちが浮かぶ。
彼女にとってはこんなことなどほんの軽い出来事なのだ、と。
恋人のいる人間とどんなことになろうとも、彼女にはきっとゲーム感覚なのだろう。
そうに、違いない。
今までの亜紀子に対して抱いてきたイメージと、瞬時に湧き上がった感情がかけ離れていたにもかかわらず、洋行はそう思う気持ちをとめる事ができなかった。
張り付けたような笑顔で承諾の返事をしたのち、積極的に腕を取り、家とは反対方向へと歩き出す。

「まずは健全なデートでも」
「あ、不健全なやつもありですか?」
「望むならね」

僅かに赤く染まった頬に、チクリと胸が痛んだものの、洋行はそれをどこかへと追いやり、駅のホームへと滑り込んでいった。



「好きです」

一糸纏わぬ姿でシーツだけでその身を隠しながら、座っている彼女がそんなことを口にした。
昨日は随分とあちこち二人で駆け回り、久しぶりにデートらしいデートを満喫した洋行は、当然のようにホテルに誘った。
始終俯き加減で、それでもしっかりと彼の腕を掴んだままの彼女を連れ、久しぶりにそういう目的のホテルに入った洋行は、内装を堪能する間もなくあっという間に彼女を組み敷いていた。
今思えば、お酒も入っていないのに十分どうかしていたのだ、自分は。
そう後悔するものの、彼女もほんの軽い気持ちだろうという憶測が、彼の罪悪感を幾ばくか軽いものにしていたのだ。
なのに、突然口走った言葉は、彼に思いを告げるもの。
内心の動揺を隠すように、ことさら辛らつな言葉を吐き出してしまう。

「恋人がいるって知っているよね?」
「…」
「知っていてついてきたのだろ?恋人がいる男とも平気でなんでもできるってわけだろ?」
「でも!」
「悪いけど、迷惑だ。それに、彼女とは近いうちに結婚する予定だから、これ以上周りをうろちょろしないでくれる?」
「……ひどい」
「どっちが。恋人のいる男を寝取ろうなんて思う女と付き合うわけないだろう?どう考えたって」

素早く脱ぎ散らかされた衣類を身につけ、清算を済ませるとさっさと置き去りにする。
洋行の最後の言葉は明らかに強がりだった。
彼女の存在に心がかき乱されたていたことは事実だったのだから。
それが恋愛感情なのだと、今気がついたところで遅いのだと、洋行は悟る。
自分には秋絵しかいないのだから。



 洋行が土井亜紀子とデートを楽しんでいる間、秋絵にも本日二通目のメールが届いていた。

「東京に、転勤?」

いつのまにか声に出していた彼女は、慌てて周囲を窺う。小声だったせいか、ホームでメールを読み上げている彼女に視線を送るものは一人もいない。
慌てて、仲に返事を送る。
"こちらに来ても会えますか"
半ば、今日の洋行との会話で吹っ切れた彼女は、今までどっちつかずの態度をとっていた事を改め、積極的に仲に好意を示すことにしたのだ。瞬時にして返事が戻ってくる。これまでのゆったりとしたやり取りとは異なり、そのスピードが二人の間の関係を縮めていってくれているようにすら思えてしまう。
"もちろん。嬉しい。初めて会いたいって言ってもらえました"
再びメールを打とうとしたものの、電車の姿が確認でき、慌てて、夜に電話をします、とだけ書いて送信する。かばんの中に携帯を放り込み、洋行との一方的な喧嘩のことなどすっかり忘れ去っていた自分に気がついた。
もう、終わりにしよう。
自宅へ帰りついたのち、秋絵がとった行動は、靴を脱ぐ事でも、かばんを置く事でもなく、洋行に別れのメールを送ることだった。洋行が受け取った事を確認するまでもなく、彼女は携帯から彼のアドレスを削除する。
長く付き合った二人の関係がこんなにもあっさりと終了するなんて、と、別れる寂しさよりもなんとも思えない自分に少し哀しい気持ちになりながら。



「今大丈夫?」
「大丈夫です、大丈夫です。嬉しいなぁ、秋絵さんから電話をくれるなんて」

二週間しかたっていないのに、と、思いながらもまんざら悪い気持ちがしないことに驚く。

「あの、東京に転勤って」
「はい、もともと本社はそちらですしね、自分もいつかは行きたいって思っていましたから」
「じゃあ、出世?」
「はぁ、そうともいえます、かね」
「おめでとうございます。それに近くだからいつでも会えますよね」
「……あんまりうれしがらせないでくださいよ、誤解しますよ?」
「誤解って」
「秋絵さん、最初断るつもりだったでしょ?俺結構お見合い経験していますからわかるんですよ、なんとなく」
「いえ、あの」
「いえいえ、当然ですよ、実際年齢も10も上ですしね」

年齢を言われ、秋絵は本当に名前以外のことを覚えていなかったことに気がついた。今さら聞けるわけもなく、後でどこかに山積みになっている資料をひっくり返そうと、慌てて返事をする。

「いえ、たかだか10じゃないですか」

「んーー、そういいますけどね、あなたが生まれた頃にはすでに小学生高学年で、あなたが二十歳の時には、すでに自分は今のあなたの年齢だったわけなんですよ。10年一昔っていいますけど、今は二昔って感覚じゃないですかね?」
「二昔」
「そう、技術の進歩が早いですからね、学生時代に携帯がない、子供時代に家庭用ゲーム機がないっていったら信じます?」

仲の説明に、秋絵はなんとなく二人の年齢差が具体的に想像できたものの、それによって彼が自分から離れていくのが恐くて曖昧に返事をする。

「まあ、それはいいんですけどね。でも、本当にいいんですか?」
「……いいって?」
「あの、これってお見合いなんですよ」
「はあ、お見合い、ですけど」
「お見合いっていうのは、普通結婚を前提、なんですよね。わかっています?」

わかって、いなかった。
秋絵はそう呟きそうになるのを必死に堪え、なんとか沈黙を守ることができた。

「その感じだと、やっぱりわかっていなさそうですね」
「あの、すぐってこと、でしょうか」

すぐに結婚をする、という非常事態よりも、今この場で仲に関係を切られてしまう方が嫌なのだと、秋絵は必死になって言葉を紡ぎだそうとする。

「まあ、半年か一年後ってところでしょうかね」
「……そんなに」
「あ、やっぱりわかってなかった。お見合いってそういうもんですよ、結婚したいからするものだし。最初の合意さえあれば後はとんとん拍子」
「あの…」
「と、言っても僕はそこまで焦るつもりはありませんけど」

自分があまりにもお見合いというものを軽視していたことに気が付き、混乱したままだった秋絵を、あっさりと仲の言葉が救い出す。

「幸い、というのはあれですけど、こっちは煩くいう係累もいませんし、秋絵さんさへ嫌でなければ、ですが」
「嫌、なわけ、ないです」
「じゃあ、のんびりと結婚を前提に、ということで、僕と付き合ってみませんか?」
「は、はい、あの……、お願いします」
「こちらこそお願いします」

通話を終了し、興奮しながらも床についた後も、秋絵は洋行のことなどカケラも思いださなかった。


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8.27.2007

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