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あいつに指摘されなくても、千津さんに思いのたけをぶつけることのまずさには気がついていた。
気がついていながら気がつかないふりをしていたのだから。
彼女は教授の娘で、家庭教師先の教え子で、今はまだ高校生だ。
せめて大学生であれば、ハードルも多少は低くはなるだろうけれど、それでも彼女が俺の担当教官の娘である事実は変わることはない。
だけど、そんなものとは別に、俺が彼女が好きになることは止められなくて、思わず正直に告白をしてしまったのだ。
あの時はこんな風に悩むだなんて考えてもいなかった。
単純馬鹿だと言われても仕方がない。
だけど、やっぱり止められなかったんだ。
日頃考えられないことを考えていたせいで、今日の俺は不自然だったらしい。
突然閉じられた教科書に、すでに取り繕えないほど感情が漏れ出していた事に気がついた。
こんなことを高校生である彼女に気がつかせてはいけなかったのに。
だから、どうしてこんな風な体勢でこんな風に彼女を抱きしめているのかがわからない。
いつのまにか口だけは正直に、彼女に思いのたけをぶつけているし。
それに、俺はとんでもない事をしでかさなかったか?
彼女の頬に口付けて、なんて思ったら鼓動がより早まってしまった。
なんとか落ち着けようと試みるものの、彼女の身体は想像よりずっと小さくて、それでもその柔らかさが別の性であることを主張している。
いや、だから、そんな事を考えると別の部分に緊張が走る事がわかる。
冷静に、冷静にととりあえず難しい化学式などを唱えてはみるものの、現実にもたらされる体温に、悲しいかなとある部分が反応してしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。
とりあえず彼女に見咎められないうちに、と、少し距離をあける。
俺の目が自分の希望でフィルターをかけているのか、名残惜しそうに彼女はこちらを見つめている。
首筋の白い肌も、少しだけ見えている鎖骨も全てが自分を誘っているようにしか見えなくなっている。
「ごめん」
「今度はなんのごめんなの?」
最初に会った頃のような少し大人びた笑顔で彼女は見つめ返す。
彼女の方が遥かに年下なのに、こんなところは完全に余裕負けしている。
「いきなり触ったりして…。俺はあんなことしないって約束したのに」
自分の意識を現実に引き返すべく、冷静に事情を説明する。
確かに俺は、彼女を安心させたいがために、そんな事を言った。
だけど、気がつけばあいつらと大差をないことをしている。
いくら俺が彼女の事を好きだからといって、許されることじゃない。
自分は今、再び彼女の傷口を抉る立場にいることを自覚しなくてはいけない。
「別に、先生ならいいのに」
なのに、彼女はこんなことを言って嬉しがらせる。
一瞬にして血が上る。
「そんなこと言わないでくれ、止められなくなる」
二人の間に僅かに開いた空間を詰めようと、彼女が近寄ってくる。離れなくてはいけない、と理性ではわかってはいるのに、本能はあっさりと彼女の侵入を認めてしまう。
再び触れ合った個所に神経が集中する。
安心しきったかのようにこちらに背中を預け、ちょうど心臓の部分に彼女の頭があたっていることがわかる。
抱きしめたい衝動をなんとか抑え、そっと彼女の髪に触れる。
これぐらいなら、許されるだろう、なんて思いながら。
「千津さん…、無防備すぎる」
「だって、先生だもの」
「俺だって男なんだけど」
「知ってる」
本当にわかっているのかいないのか、彼女はこの距離を離すつもりはないらしい。
「止められなくなるって言ってるだろ?」
「うん…」
否定も肯定もなく、ただ彼女は俺に体重を預けてくれる。
「好きでもない相手にあんなことをされるのは嫌だろう?」
恐がらせたくない、でも、これ以上は危険だ。
だけど、彼女はこちらの気持ちも知らずに、この距離のまま俺の顔を見上げてくれる。
まだ涙に濡れた瞳に、薄っすらと上気した頬は、かなりやばい。理性が星の彼方へと消えていきそうになる。
「好きでもないって誰が?」
「千津さんが、俺を」
悲しいことに、彼女から男に対する好意を向けられた記憶は無い。あるのは年上の、言ってみれば兄に対するものにも似た親愛の情。後は秘密を共有した者同士の連帯感。
「そんなこと、ない」
ホロリと大粒の涙が流れる。
俺は彼女の泣き顔ばかりを見ている気がする。
「私、先生のこと好き」
ぼんやりと取り留めないことを考えていた自分にとっては、これ以上衝撃的な発言はないわけで。
後はもう、覚えていない。
二人の距離が重なった事以外に。
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