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 いきなり唐突なことを言い出さなくて良かったと胸をなでおろす。
朴念仁の俺にしては上出来な提案だ。

「千津さんは心配しないで、チョクチョク遊べるから」

なんて、よくも言えたものだと今更ながらに感心してしまう。こんな風にサラリと次の約束を取り付けてしまえるだなんて。
胸の中の思いは、それ以上のことを求めているから、咄嗟に零れ落ちる言葉はかなり本音に近い部分だ。
だからこそ、行き成りとんでもない事を言わなくて良かったと安心する。いくらなんでも付き合いたいを飛び越してあんなことやそんなことをしたいだなんて、彼女じゃなくても言ってはいけないことは理解している。
好きだと、告げただけでも良かったのに、確かにひた隠しにしていた本心を打ち明けてしまってからの自分は、彼女と接することが楽になったと思う。
だけど、思った以上とは言わないけれど、その10分の一でも返して欲しいと思ってしまうのは、我侭なのだろうか。
あれから変わったことといえば、屈託なく笑う彼女が見られるようになったぐらいで、いや、それも十分な報酬だとは思うけれども、それ以上を望む自分はなんて贅沢になったのだろうと、ため息の一つもつきたくなる。
このままでいけば、ただの家庭教師と教え子で終わってしまう。
それだけでは嫌だと、真剣に思う。
なのに、これ以上の接触は彼女の過去を思えば躊躇うのも仕方がない。
いや、違う。
俺はただ恐いのだ。
勢いのままに突き進んで後戻りが出来なくなることが。
今のこの関係すらなくなってしまうのが恐いのだ。このまま何もしなければ、少なくともあと1年以上は彼女の近くにいられる。
その特権を失いたくないのだ。

「何難しい顔してるのかね」
「……暇なわけ?」
「いやーー、時間待ち」

子供のお守は大変だね、と、からかっていた友人が真夜中だというのに、俺の実験室へと遊びにやってくる。あちらの方ではすでにほとんどが帰宅しているらしい。さすがに金曜日の夜は色々約束があるのかもしれない。俺の方は、別に大して切羽詰った実験でもないのに、こうやって無駄にここで時を過ごしている。一人きりではいらない事を考えすぎて、色々な意味でつらいのだ。現実逃避みたいだけれど。

「そういえば、バイトどう?」
「どうって」

一日の思考の大半を俺から奪っている相手のことを聞かれてギクリとする。
もちろんこいつは俺が複雑な思いを抱いていることを知らないわけだから、当然純粋な仕事としての部分を聞いているはずなのだけれど。

「うん、まあ、順調」
「ふーーん、で、いくつだったっけ?」
「2年生」
「そっか、の割には大人っぽいなぁ、子守だなんて言ったら失礼だったな、彼女に」

一瞬呼吸が止まるのかと思った。
何も聞き返せずにただ黙って彼を睨みつけている俺に、彼はいつになく真剣な表情で追い討ちをかける。

「噂になってる。お前に彼女ができたって」

なおも口を開けない俺に対して淡々と彼が告げていく。

「相手が誰だかは今のところばれていないみたいだし、たぶん、これからもわからないと思う」

彼女が教授の娘だとは言わなければわからないだろう。昔はちょくちょくつれてこられたというキャンパスへも、あの時以来彼女は足を運んでいなかったそうだから。

「だけど、あの子がバイト先の子、なんだろう?」

ただ静かに頷くほかはなかった。
それほど真剣な顔をしていたから。

「どういうつもりかわかっているのか?」

俺はただ、図書館で彼女に勉強を教えていただけだ、何も疚しいことはない、と、言い切ればいいのに、そんな風に器用に自分を誤魔化せない。

「彼女は教授の娘だろう?それにまだ高校生だ」
「そんなことは、わかっている」

やっと声になった言葉は、ろくな反論にもなってやしない。

「手を出していい相手と、ダメな相手がいるだろう、いくらなんでも」
「出して、ない。そんな関係じゃない」

気持ちは彼女に100パーセント向いているけれど、確かに手を出した覚えはないからと、自分自身に下手な言い訳をする。

「おまえね、夏休みのあの雰囲気を見て、誰がその言葉を信じるっちゅーの」
「でも!」

大の男二人が真夜中で二人っきりで実験室で話し合う姿は、客観的に見て少し滑稽だ。お互いの呼吸が聞こえるほどの静寂があたりを包んでいる。
数拍の沈黙の後、それを破ったのは彼のほう。

「だけど、お前は好きなんだろ、彼女の事」

首を横に振ることも出来たはずなのに、俺はただ自分の心に素直に頷いていた。


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10.8.2006

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