22

 ストレートな言葉は、そういえば生まれて初めて聞いたような気がする。
唐突に先生から飛び出した言葉を、最初は理解することができなかった。
なんどもなんども口の中で繰り返しながら、徐々に全身へと意味が浸透していった時にはわけがわからなくなった。

先生が私のことを好き?

そんなはずはない。
先輩や、その他の家庭教師にされてきたことを話したというのに、彼がそんな思いを抱くはずは無い。
だから、同情されたのだと思った。
先生にそんな風に見られているのだと思うと、あの人が薄っぺらい愛情を寄越したのだと気がついたときよりも自分を情けなく感じてしまう。
どこまでも優しい先生にそんな思いを抱かせるなんて、と。
なのに、先生はその言葉を発した途端、何かに安心をしたかのような穏やかな、私の大好きな表情をする。

「ごめん、ふさわしくないよね、こんな時に」

イタズラがばれた少年のように笑う。

「だけど、言ったらすっきりした」

嫌な考えだけれども、あの人のように小奇麗な言葉でデコレーションしただけの、ただの欲望かもしれない。
それでもいい、と、そんなことまで考えてしまう自分が嫌で、慌ててその考えを追い払う。
あの時、無我夢中であの人の手をとったように、再び今度は先生に縋ってしまいそうになる。
大好きだった、そう信じてはいるけれど、都合よくあの人を利用しようとした気持ちがなかったかといえば嘘になる。
私の方こそ、自分の傷口を塞ぐためにあの人を必要としたのは事実だからだ。

「俺みたいなの嫌い?」
「そんなことは…」

綺麗過ぎて近寄れない。
そんなことは口に出す事もできず、ただ相槌を打つのに精一杯だ。

「良かった。それだけで十分」

キラキラと夏の太陽よりも眩しい笑顔をみせる。
ついっと赤とんぼが目の前を通り過ぎていく。
二人して無言でその後を視線で追いかける。
まだまだ暑い盛りだというのに、トンボの姿をみかけたら、急に物悲しくなる。
もうすぐ二人での勉強会が終わってしまう。
そんな事を思い出し、余計に寂しさを募らせてしまう。
これからも家庭教師としての先生には定期的に会えるというのに。

「とりあえずお兄さんに信用されるのが近道…かなぁ」

そんな呟きにクスリと笑いが漏れてしまう。
つられて先生も笑う。
嵐のような感情を抑えることなくぶつけてしまった私は、抜け殻のような後悔を抱えつつも、どこかですっきりしていた。
まるで関係の無いはずの先生が怒るでもなく、些細な事のようにあっさりと受け止め、笑っていてくれる。
それだけで足元を絡め取っていた呪縛のようなものが溶けていく。
全てから逃げ出していた私は、ようやく先生のおかげで向き合うことができたのかもしれない。
今まで、目を瞑って耳を塞いできた現実というものに。
全ての秘密が逃げだしていく。
もう囚われてしまわないように。


>>次へ>>戻る


9.28.2006

>>目次>>Text>>Home