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「じゃあ、一緒に勉強する?」
するっとこんな言葉が飛び出したことに驚く。
そんなことはカケラも考えていなかったのに。
話せば話すほど、どうしてこれほど熱心に、まるで口説いているかのように彼女を誘うのだろう、と。
関係が歪んでいく。
誰のせいでもなく、自分のせい。
なのにもっと彼女と一緒にいたいと思ってしまう欲求。
それ以上汚いものが出てこないように必死で蓋をする。
彼女はただの教え子なのだと言い聞かせる。
空言のように繰り返される言葉には、今やなんの強制力もないのだけれど。
「夏休みはホワイトボードに書き込んどけよー」
先輩にそう言われる季節がまた巡ってきてしまった。
待ち遠しくて来るのが恐かった夏休み。
7月の終わりから始まる夏休みは、実は高校生とそう変わらない。
違うのは宿題のあるなしぐらいだろうか。
もっとも、研究室に配属されてから、夏休みを全て休めるなんて甘っちょろい事を考えてはいられないのだが。
「おまえ、お盆あたり?やっぱり」
「んーー、考え中。はずすかもしれん」
自分と同じく他の地方からやってきた同級生から質問される。
彼女との約束は午前中だから午後や夜は研究室に来る事ができる。
別にそこを休みに指定する必要はない。
だけど、彼女の予定しだいで自分の予定を組もうとしていることに苦笑する。
周囲は結局のところお盆あたりにまとめて休むことが多い。
先生方もそこで休みをとるし、色々と他の人間との予定もあいやすい。何よりその辺りに電気点検だの水道点検だのが組み込まれている事が多いのだ。
どちらも使えなければ実験はおろかパソコンも使えないし、後者ならば切実にトイレに困ってしまう。
つまるところ来ても意味がないのだ。
夏休み中の施設関係のスケジュールを眺めながらぼんやりと考え込む。
彼女はいつでも良いと言っていた。
部活もやっていないし、学校の補習は3年生にならないとないから、と。
それこそ大手塾の夏季集注講座にでも出るのかと思えば、今の自分には行っても無駄だからと笑っていた。
だから、俺次第でスケジュールは決まるのだけれど。
ふと、先輩の方を窺う。
俺と同じくホワイトボードを眺めながら思案している。
なんとなく、彼がいない間にした方がいいのではないかと、そう思ったから。
俺の間抜な脳みそでも、彼女が今の彼女となった原因は彼にあるのだろうと思い至ることができる。
実際の出来事を想像すれば、後先考えずに殴り倒したくもなる。
吹っ切れたような、それ以上に何事もなかったかのように振舞っている彼女。
だけど時折見せるソレは彼女の瞳が見せる深い闇のようで、傷口がどれほど深く、未だに完治していないのかを気がつかせてくれる。
それを抉りだすようなまねだけはしたくはない。
安易に場所を設定してしまったのは俺だけど、もはや後悔している。
あの時は単純に、高校の図書館では俺が浮く、市の図書館は空がない。だから大学、ぐらいに思っていた。
ただ、あの家で二人きりという自体だけは避けたかった。
今も二人きりではないか。
いや、それは仕事だ。
だったら夏休みのそれは?
雑念が払えない。
純粋な気持ちだけだとは言い切れないから。
先輩の予定を確認する。
そこならば地元が遠い彼はたぶんこの町には存在しないだろう。
できるだけ意識しないようにしながら、自分の予定を書き加える。
チラリと先輩の視線が注がれた気がする。
罪悪感のカケラもない彼の視線に戸惑いを覚える。その中にある種の欲望が未だにちらついているようで、全身が粟立つ。おまえも結局は同類なのだと言っているようで、全てを見透かされているかのような錯覚に陥る。居た堪れなくなって、ペンを放り投げるように同級生に渡し、自分の実験室へと引きこもる。
疚しいことはない。
頭を研究へと切り替える。
どうして彼女に拘るのかわからない。
ただの好奇心かもしれないのに。