07

この日ほど、自分の無神経さに嫌気をさした日はなかった。
ずっと抱いていた疑問。
次々と変わっていった家庭教師たち。
片方の当事者が口を割らないのなら、もう片方に聞くしかないのではないかと、気軽に口に出してみた。
彼女から放たれた返事は、想像すらしていなかった内容だった。

「簡単よ。あなたの先輩にレイプされたから」

あっけなく些細な事のように溢した彼女はとても静かな表情をしていた。
何事にも動じないように。
そんなはずない。
この年頃の、いや、どんな年齢だって、そんなことをされれば傷つくに決まっている。
まして彼女は曲がりなりにも信用していた人間にそんなことをされてしまったのだ。
なのに、彼女はそれ以後その話題に触れることはなく、淡々といつも通りに過ごしていった。
だからこそ、最初は疑った。
彼女が冗談を言っているのではないかと。
そんな思いをして、再び同じ立場である俺を家庭教師として雇うはずはない。
彼女の父親が気がつかないということも解せない。
いくら家庭にいる時間が短いとはいえ、彼女が変わったということは先輩ですら気がついていたことなのだから。
ふと、気がつく。
先輩が言った、半分正解で半分不正解という謎かけのような言葉。
思春期特有の変化だけじゃない、彼女はあんなことがあったから変わってしまったのではないかと。
辻褄は合わないことはない。

変化を齎したのは誰だ?

でも、だとしたら。

彼女にそんなことをした人間が特定できてしまう。



何か問いたそうな表情をした先輩とは、たまに視線がかち合う。
だけど、彼女がされたという蛮行が、相手が先輩の顔となって鮮明に映像として脳裏に浮かんでしまう。
とてもじゃないけど、それに応える余裕がない。
些細なきっかけ一つで、彼を罵ってしまいかねない。
身近な人にこんなことをされれば、感情移入してしまうのは仕方がない。
だけど、それだけでは説明できないほど彼女に深入りしすぎている。
自覚は、している。
同情なのか、彼女の持つ容姿に惹かれているだけなのかはわからない。
何も知らないくせに、彼女のことを考えない日はない。
そんな風に思ってはだめだと、ブレーキをかける。
俺と彼女は、ただの家庭教師と教え子なのだから。





「こんばんは」
「こんばんは」

相変わらず定番の挨拶を交わす。
一度だけ彼女の妹がいたことがあるけれど、他はやはり彼女一人きりだ。

「やっぱり無用心だと思うけど」

最初から思っていたことだ。
この家に、若い男女が二人きりになるのは、いくら両親が能天気でも無用心すぎる。
まして彼女は人をひきつける何かを持っている。
彼女は曖昧に笑って、俺の言葉を聞き流す。
彼女はきちんと俺と自分の間に一線を引いている。
それを越えてしまったのはあの告白ぐらいだ。
むしろ俺の方がたびたび引き締めておかないと、あっさりとその境界線を越えてしまいそうだ。
そんなところも彼女の年に不似合いな大人びた様相を助長している。

「先生は、大丈夫でしょう」

意味ありげな微笑で、彼女は釘を指す。
ただ俺を信用していると。
チクリと胸が痛んだ。
俺はただの一度も彼女をそういう対象で見たことがないのかと、見透かされる。
全てを見通しそうな黒い瞳を正面から見返すことができない。
その白い首筋に何かの欲望がよぎらなかったと言えば嘘になる。
思うことと口に出して言う事には限りなく隔たりがある。
まして思うことと行動に移すことは越えられない壁のようなものがある。
思うだけは自由じゃないかと。
だけど、そういう風に見られること自体汚らわしいのだと、この少女は思うのかもしれない。
強引にはできない。
だけど同意の上ならば?
そんなことを一度でも考えなかっただろうか。
自分がひどく汚いものに思えてくる。

「先生?」
「いや・・・」

彼女の呼ぶ声に、ようやく覚醒する。
思考の渦に巻き込まれ飲み込まれてしまいそうだった。
今日もいつのもように淡々と時間が過ぎていく。
いつしか、二人きりの時間がずっと続けばいいのにと、願っていることに気がつきもせず。



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7.4.2006

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