「何やってんの?」
入り口から冷気を感じる。
えっと、この状態はもしかしなくても危ない?
自分の取っている体勢を考える。
「何って言われても…」
本気で怒っている祐君から絶対零度の視線が突き刺さる。
「鈴木先生だよね。生徒の家でなにしてんの?」
さっきまでアレほど弱弱しかった先生は素早く状態を建て直し、すでに余裕の微笑で応戦する。
「ひみつ」
馬鹿にしたような視線を投げて寄越す。
こういう人だった、この人は。下手な同情はしちゃいけない。
スカートの裾を握り締めながら二人のやりとりを眺める。これが当事者じゃなきゃ楽しめるのに。
「ふーん、そう。ひみつね」
そう呟きながらこちらに視線を向けると、祐君は私の髪の毛に気がついたのか慌てて私のほうへと歩み寄る。
酷く苦しそうに私の髪を掬いながら何も言わずに抱き寄せる。
「どうしたの、和奈」
優しい祐君の声を聞いたせいなのか突然涙が零れてきた。
私の落ち着ける場所は彼の側だけ、そんなことを改めて思う。
私を落ち着かせるため優しく包み込みながら、鈴木先生へと質問する。
「あんたのせい?」
「まあ、そうだ」
「2度と近づくな」
短い言葉がやりとりされる。とても冷たい響き。
誰にでも柔らかい態度で臨む祐君がこういう風になるのは、恐ろしく怒っている証拠。
「おまえには関係ない」
私の存在を確かめるように強く抱きしめる。
「和奈の髪をこんなにしておいて、まだ言い寄る気?」
「や、違う。祐君これは先生のせいじゃなくって」
彼の胸の中で必死に言い募る。
頭を抑えられてるから祐君の顔も先生の顔も見ることができない。
「和奈は黙ってて」
珍しく私に対しても冷気を含んだ声で答える。
祐君がこれほど怒るところはあまり見たことがない。
「あんたが直接やったわけじゃないってことはわかってる。
そこまで馬鹿じゃないだろ?でも、あんたが起因する事で和奈がこんな目にあったのだとしたら」
痛くなるほどの威圧感を感じる。
「二度と和奈にかかわるな」
冷酷に言い放つ。
こんな祐君を感じたことはない。元はといえば私のせいなのだけど。
「それは、お前に言われる筋合いはない」
いつもの声音で冷静に受け止める。
数秒の沈黙の後、鈴木先生が立ち上がり部屋を出て行く音がする。
私は相変わらず祐君に抱きしめられているので、見ることはおろか視線を動かすことすらできない。
緊張が解けたのか、一つため息をついて、私の髪を撫でる。半分ぐらい切られちゃった髪だけど、
それがやっと今ひどく悔しくて悲しくなる。
「和奈」
いつもの優しい声で呼んでくれる。
「あんまり心配させないで」
「ごめんなさい、祐君」
いつもの場所、いつもの安心感。ずっとこうしていたい。
「大好き」
唐突に呟いた言葉に祐君が反応する。静かにだけど抱きしめる腕に力が篭る。
「僕も大好きだよ」
声に出して言いたい、言っても言っても伝わらないかもしれない。でも言葉にしなければ伝わらないから。
私達は間違わないように、すれ違わないように、何度だって言いたい。
「祐君大好き」
結局そのまま鈴木先生の話題が出ることがなく、一日が終わる。
祐君のオーラがその話は聞きたくないとはっきりと主張していたから。
私はと言えば、あまりに衝撃的な出来事が起こってしまったからなのか、
その夜突発的に熱がでてしまった。情けないけど心がダメージを受けた分、身体にまで変調をきたしたのかもしれない。
祐君は一晩中ずっと側にいてくれた。
我侭だけどこんなときは祐君に一番近くにいて欲しい。お母さんよりもお兄ちゃんよりも。
私とは違う大きな掌も汗の匂いも全部好き。ずっとこうしていられたなら。
熱が出たと言うのに、その日見た夢は全部幸せな夢だったみたい。
起きたら全部忘れてしまったけど、それでも、幸せな気持ちだけは残っていたから。
ベッドの側で突っ伏して眠り込んでいる祐君の髪を撫でる。
いつまでもこうしていたい、そんな幸せな朝の始まりだった。