気が付くと、ベッドの上にいた。正確にはまだ身体は覚醒していない。脳だけがゆるゆると活動を始めた状態。
隣から話し声が聞こえる。
早く起きなきゃ、そう思ったとたん激しい痛みが襲った。
頭の後ろ辺りのズキズキとした痛みと頭全体を覆う鈍い痛み。ひょっとするとまた発熱したのかもしれない。
痛みに耐えながら、どうしてこうなったのか、ここはどこなのかを考える。
確か、下級生の女の子と話していて…。それで最後に突き飛ばされた?
はっきりと覚えていない。痛みと曖昧な気分を引きずったままゆっくりと目を閉じる。
隣に誰かいる?
「お前がついていながらどういうことだ?」
これは、先生の声?どうしてココにいるの?
「大方あの1年生はお前のファンかなんかだろう?適当に愛想振り撒いて気を持たせるからこんなことになる」
「確かに、あの子は僕に告白してきました。だけど僕ははっきりと断りました」
祐君?祐君がいるの?
「どうだか、お前のファンには妙なやつがいるってことはわかっていただろうが、どうして和奈を一人きりにさせた?」
「それは・・・確かに僕のミスです。まさか日中堂々とこんなことをするなんて」
祐君と先生が口論している。なぜだかわからないけれど、とりあえず止めに入らないと。
「祐君、先生ここどこ?」
「「和奈」」
ほぼ同時に叫ぶ。
どちらに返事を返していいものか迷っていると、先生が簡単に説明してくれた。
「おまえはあの下級生に突き飛ばされたんだ。運悪く後ろにあったベンチで激しく頭をうって、
ここに担ぎこまれたんだ。気分はどうだ?」
「そう、なんだ。覚えてなくて」
やっぱり突き飛ばされたのだと納得する。でも、名前を呼んだのは誰?祐君?先生?
「和奈、熱もでているだろ?あんなことがあったんじゃ仕方がないけど」
「検査の結果、頭の中には異常が見当たらなかったみたいだから安心して」
私を安心させようとして祐君が話し掛けてくれる。
「異常って。そんなに激しく打ったの?」
「本当に覚えていないんだな。ものすごい音がしたぞ。振り向いてみたらおまえが倒れているし」
心配そうにそう告げる先生はひどく焦燥している。まるで自分が怪我をさせたみたい。
それほどひどいのだろうか。
「けが、ひどいの?」
人事のように尋ねるけれど、実感が湧かないものは仕方がない。
「ううん、怪我自体はたいした事ないよ。ただ場所が場所だけにきっちり検査しといた方がよかっただけ。
今日は熱がでていることもあって、念のために入院だけどね」
祐君が優しく説明してくれる。
良かった、明後日からは学校にいけるかも。学校好きじゃないけれど、嫌いじゃないので、
できるだけ出席したいのだ。これ以上休むと数学の点数が目も当てられなくなる、ということもあるけれど。
そんな私の気持ちを察したのか、手廻し良く祐君が釘をさす。
「和奈。一週間は自宅療養だよ。今無理しちゃだめ。勉強なら僕が教えてあげるから」
さすがに付き合いが長いだけある。お見通しです。
「おまえ、こんな状態で学校行く気だったのか?あほだろ?勉強なら大丈夫“俺”が特別に個人授業をしてやるから」
あ、いつもの口の悪いこの人に戻った。さっきまではひどく萎れていてこっちが気を揉むぐらいだったのに。
やっぱりこの人は少々意地が悪い方がいい。
「あほって、先生。確かに数学の点数は誉められたものじゃないですけど」
少し怒ってみせる。もう大丈夫って安心してもらいたい、二人に。
「そういえば両親は?」
祐君は幼馴染とはいえ、家族ではない。先生に至ってはただの担任であって赤の他人。
血のつながった家族である二人がここにいないのはおかしい。まてよ、確か今日は…。
「おばさんは旅行中でしょう、携帯に連絡いれたけどすぐには戻れないみたい」
そういえばそうだった。叔母さんと一緒に温泉ツアーにでかけたんだった。
あれは山奥だったから、すぐに取って返すというわけにはいかないよね。
「でね、おじさんは出張中でしょう?ちょっと連絡がとれないみたいなんだ。ごめんね」
いえ、祐君が謝ることじゃないです。父は仕事の都合で携帯がつながらなくなることはしょっちゅうあることだから。
幸いホントに怪我の程度もたいした事ないみたいだし。一日程度の入院、誰もいなくてもなんとかなるもん。
「あ、祐君、和兄には?」
「うん、黙っておいた。だって乗り込んできそうだから。そうしたら和奈がゆっくり寝ていられないし」
適切な判断です、祐君。和兄はちょっと、というか異常なほどのシスコンだから祐君を敵視しているわりに、
こういうときばかり責任転嫁しそうだからなぁ。
一人納得しつつ先生の方に顔だけ向ける。
「先生ありがとうございました。ここまで付き添っていただいただけでも、
とてもありがたかったです。もう遅いですからお帰りになってください」
心からの感謝を込めつつ帰宅を促す。担任ってだけでここまで付き合ってくれるなんて、たとえ下心があったとしてもすごいことだ。
「いや、俺ここに泊まるから」
「はあ?」
私の代わりに祐君が返事をしてくれた。ちょっと今の状態ではこの人に対抗する気力がない。
しかし相変わらず突拍子もないことを言う。
「却下です」
「なぜおまえが判断を下す、高柳」
「あたりまえです。いったい何を言い出すんですか」
「付き添いが必要だろ?病院には許可をとってあるから安心しろ」
いつのまに!って顔をしているよ、祐君が。
たぶんその役割は祐君のほうがふさわしいと思う。家族ぐるみのお付き合いをしているし。
「僕が付き添いますから、先生はどうかお帰りください。“他人の男性”がそばにいると和奈もゆっくり休養できないでしょうから」
力をこめて説得する。うん、私も祐君のほうがいいかな。
「いや、おまえは未成年だろ?それに他人なのはおまえも俺も一緒だ」
そうなんだけどね、そうなんだけど。
「それに高柳は一人暮らしだろ?家を留守にするのはあまりよくないし、まして今夜は和奈のうちも留守なんだから、
余計に家に帰った方がいいだろう」
と、ここで重大なことに気が付いた。祐君をちらっと見ると祐君も気がついたみたい。
「和奈…。ひょっとしてココアの世話するの僕しかいない?」
ココアというのは我が家で飼っているミニチュアダックスだ。普段は私がメインで世話しているのだけれど、私が帰れない、家族がいないって状態だと必然的に、祐君の世話を必要とする。
「そうみたい。祐君ごめんね、お願いできる?」
はあ…。
大きなためいきをついて祐君が了解する。
なんか迷惑ばかりかけているみたい。
「でも先生、祐君が帰るのと先生が付き添いするのは別問題ですからね。先生も帰ってください」
「いやだね。頭の怪我は何が起こるかわからないんだ。一晩中見張っている人間が必要だろう」
いやだねって、また駄々っ子みたいにこの人は。一見もっともらしいこといっているから始末に終えない。
「いえ、ここは24時間完全看護ですし、必要とあればもう一度僕が戻ってきますから」
祐君がんばれ、引き下がるな。先生と一晩一緒だなんて考えただけでも恐ろしい。
「悪いが、看護婦の許可はとってあるんだ。おまえはいいからもう帰れ」
片手をヒラヒラさせて帰宅を促す。
うそ。この人その端正な顔で看護婦さんをたぶらかしたわね。
私の無言の拒否と、二人の言い争いは永遠に続きそうだったけれども、担当の看護婦さんが来たおかげで、あっさりと決着してしまった。
祐君は、笑顔に買収されたであろう看護婦さんに無理やり部屋の外へだされてしまったのだ。尚も付き添いを拒む私にも「目が届かないこともあるから、一緒にいてもらった方がいいわ」なんてハートマークを散らしながら説得するし。
言い出したら止まらなさそうなこの人には何を言っても無駄な気がして、私は静かに目を閉じた。
まだアタマが痛い。
こんな状態の私に何かする、ことはいくらなんでもないよね。
ずっと立ったままこちらの方を眺めていた先生は、ベッドの隣に置いてある椅子に腰掛る。
本気で泊り込む気だろうか?
どれくらいそうしていたかわからないけど、先生は眠った私をずっと見ていたらしい。
窓から差し込む光が薄暗くなってきた。もう夕暮れ?
ふいに私の手が掴まれる。
不審に思い、彼のほうを見る。
彼は私の手を両手で大事そうに抱えている。
「暖かい…」
体温を確かめるかの様にそう呟いた。
「心臓が止まるかと思った。和奈が倒れているのを見たとき」
そう言ったきり黙りこむ。手の甲を頬にあて、何度も何度も体温を確かめる。
そんなに心配しなくても。今日の先生はいつもとは違った意味でおかしい。確かにケガはしたけれど、たいしたものじゃなかったんだし…。
大丈夫ですよ、そう言おうとした瞬間、手に冷たいものを感じた。
涙?
確かめたかったけれど、大人の男としては泣き顔を見られるのは嫌かもしれない。
触れられているのに、一番最初に感じた嫌悪感はもうない。
先生の手のぬくもりは私をひどく落ち着かせ、そのまま眠りへと落ちていった。