テスト週間中のせいもあり、いつもより人気がない廊下を歩く。
目的は数学準備室。
そう、和奈にちょっかいかけてくる数学教師がいるところだ。
やつが和奈を気に入っていることは、視線からオーラから嫌と言うほど伝わってきた。本人もそれを隠すつもりがないとみえる。
――全く教師としての自覚がない。
今まではそれでも直接接触してくることがなかったので、放っておいたが、今回ばかりはそうはいかない。
よりにもよって、やるに事欠いて、和奈に…。僕の和奈にキスをしてきたからだ。
――本当に教師としての自覚がない。
やや挑戦的な気持ちで扉の前に立つ。ただ、今日は単なる敵情視察だ。
「こんにちは、先生」
「ああ、高柳」
白々しい挨拶を交わして、対峙する。僕が来ることがわかっていたかのような余裕のある表情で出迎える。
癪に障るが、確かにいい男だ。
「昨日は和奈がお世話になりまして」
「は?お前は彼女の保護者か?ただのご近所さんだろう」
ぶっきらぼうに言い捨てる。どうやらつまらなさそうな表情はできるらしい。
何を言っても動じなさそうだけど。
「単刀直入に言います。和奈に手を出さないでください」
どうせ小細工が通じない相手なら、ストレートにぶつかっていった方がいい。
「それは。彼女が言ったことか?」
確かめるように視線を合わせる。その瞳には感情が感じられない。この人から本音を引き出すのは並大抵のことじゃない。
「いえ、違います。僕の意思です」
「なら、お前には関係がない。お前は彼女じゃない、なんの権限があってしゃしゃりでてくる?」
冷笑を浮かべながら、淡々と受け流す。
これ以上は話すことはない、とばかりに窓を開け、タバコに火をつける。
「昨日和奈に拒否されているはずです。それが答えだと思えませんか?」
「いや、あれは手順を省きすぎて驚かせただけだ。問題ない」
タバコの煙を吐き出しながら、抑揚のない声で答える。
あれだけ強く拒絶されといて、どの口が言う?その不屈の闘志を他へまわしてくれ。お願いだから。
「彼女はまだ学生です。あなたの立場で彼女に不必要に近づくのは、彼女のためになりません」
「はん、奇麗事をいうな。お前が近づいて欲しくないだけだろう」
「では、言い方を変えます。彼女には僕がいます。邪魔ですからちょっかいかけないでください」
本音を引き出されているのは俺の方か。
彼の方は、対して驚いた風でもなく、飄然とかまえている。
「おまえはただ偶然、彼女の近くに生まれ育っただけだ。
雛鳥がはじめに見たものを刷り込みで慕うようなものだとは思わないのか?」
雛鳥、ね。確かに彼女は僕以外の男を知らない。また知ろうともしない。
それがいい傾向なのかどうかはわからない、少なくとも僕にとっては都合がいいが。
「違う。とは言い切れませんね、確かに。でも、僕は和奈を必要としているし、彼女もそうだと思っています」
「います、だろ?ただの推測だ。それに、お前らの恋愛は所詮オママゴトみたいなもんだ。
お前は知らんが少なくとも彼女は無自覚だ」
痛いところを突いてくる。言われた通り、彼女には自覚がない。
僕に対する気持ちも家族愛なのかどうかすら認識していないだろう。
それでも、彼女は僕のそばにいてくれる。それから先は少しずつ彼女のペースで進んでいけばいい、
そう考えていたけど、そう余裕はないのかもしれない。
「今一番彼女の近くにいるのは俺です。それは紛れもない事実です」
それだけが僕らの関係を確かめるすべ。
「そんなものはただのルーチンワーク、習慣だ。たまたまお前が近くにいただけにすぎん。
俺や他の誰かがその関係に取って代わったって、何も問題がない」
ばっさりと切って捨てられる。思った以上に動じない性格らしい。
僕の自信や根拠をことごとく粉々にしようとしてくれる。もっともそんな程度で壊される想いじゃないけど。
退屈したように、これで話しは終わりだと告げられた。
しかし、最後に一番疑問に思っていることをぶつけてみた。
「どうして和奈なんです?あなたほどの男ならいくらでも釣り合う女性はいるでしょう。それとも女子高生好きなんですか?」
和奈は美少女だが、精神的に幼いためか大人の女性としての魅力にやや劣る(らしい)。
目の前の男性教諭ならば、そんな少女を相手にしなくても吐いて捨てるほど女性が言い寄ってくるはず。
「どうして?それをお前が尋ねるのか?じゃあなぜおまえも酒口じゃなきゃいけない?」
想定されたことだが、逆に質問で返される。
「僕は彼女しか要らない。勘違いだろうと思い込みだろうと、そう心が欲している。ただそれだけです」
それだけ、とはいえ彼女の全てが欲しいのだから、僕はとても貪欲だ。
彼女を欲しがる心は日増しに大きくなっていき、彼女を思う気持ちの重さに気がつかされる。
(あなたはそれと同じだけ、いやそれ以上の気持ちを持っているのか?)
「あなたは、それだけの想いで彼女、酒口和奈を望んでいるのですか?」
一瞬の空白。戸惑いが生まれた。
今までの表情とはまるで違う。
それが癖なのか、少し長い前髪をかきあげ窓の外を見つめる。
感情の一端を初めて見た気がする。
ただそんな顔もすぐにいつもの無表情に戻る。
「望んでいる、彼女を」
彼の少しの本音を聞き出した後、すぐに準備室を後にした。
ただ、なにかが引っかかる。どうしてあそこで迷う、彼のあの性格で。
もしかすると、彼自身も和奈に対して抱いている思いが、執着心なのか恋愛感情なのかわからないのか。
もっとも、あんなことで迷いが生じる程度なら到底負ける気がしないけど
今日の敵情視察はまずまずの成果かな、そう呟いて彼女の待つ教室へ急いだ。