小さな嵐

 放課後、しぶしぶ数学準備室に足を伸ばした。ココ遠いんだよね。教室から。
今日は英語の宿題がたくさんでたから、図書室でとっとと終わらせるつもりだったのに。

色々な準備室がある校舎の廊下をトボトボ進み、一番奥まったところにある数学準備室にたどり着いた。
ふぅ。小さくため息をついてノックする。

「2組の酒口です。鈴木先生に呼ばれてきました。入ってもよろしいでしょうか?」
「酒口か?いいぞ、入って来い」

うわ、あいかわらず冷気を含んだ声だ。
私がいったい何をした。
うっかり口に出しそうになり、あわててドアを開け、室内へ入る。
そこにはネクタイの首元を少し緩め、銀縁めがねをかけた担任教師が座っていた。

「先生、何か御用でしょうか?」

単刀直入に切り出すと、先生が、ちょっと目元を細めて笑った。

珍しいこともあるものだ。冷血教師(と言われている)鈴木先生が笑うだなんて。
ファンの子たちが見ていたら卒倒するだろうなぁ。

「いや、用事はない」

しれっと、端正な顔をした数学教師が言い放った。
はい?用事がない?じゃあこの呼び出しは?

元々良くない私の機嫌は急降下。軽く睨むつもりで先生を見る

それを見て、先生が口の端をあげ、ふっと笑う

「相変わらず、無表情だな、酒口」

そうそう、私、無表情らしい。よく周囲に言われる。自覚ないけどね。 親しい人たちはそんなこと言わないけれど。むしろ表情がわかりやすい。と、言ってくれる。
まあ、先生とは親しくないし。
いえいえ、そうではなくて。どうして用事もないのに呼びつけたのかが問題なのよ。
って、いつのまにか私のそばまで近づいてるし。
先生はすでに目の前まできていた 。
思わず数歩あとずさってしまう…。

逃げの体制をとりつつ

「私が無表情であろうと先生には全く関係がないことです。御用がありませんのでしたら、 失礼させていただきます」

一気に宣言して、くるっと、きびすを返し、入り口に向かう。

その行動を読まれていたのか、一瞬でつかまってしまった。
後ろから抱きしめられる形で。

不可抗力とはいえ、とんでもない格好になってしまった。
イッタイ何を考えているのだ、この教師は

「先生、セクハラです。離してください」
「イヤダ。おまえ、こんなときまで感情ないな。普通の反応じゃないだろ、それ。」
「普通かどうかは私がきめます。ともかく離してください」

私の言葉が聞こえてないのかこの教師は、ギュッと腕の力をこめてきた。

「しかも、この俺にぜんぜん興味がないし」
「いやもう、全くもってないですし。ええ、これっぽっちも全然」

感情を抑えて話す。この教師は背が高く、小柄な私が力いっぱい抗ってみてもこの腕から逃げるのは不可能だろう。 そう思い、できるだけ冷静にお願いしてみる。
しかし、不快感からか自然と眉根がよってしまう。

「おまえね、ほんとーに俺をみても何も感じないの?」
「感じません、全く。何を感じればいいんですか?」

無機質に呟くと、こころなしかまた腕の力が強くなった。


一瞬の沈黙。

「それは高柳のせいか?」

いきなり祐君の名前を呼ばれて、はじめて動揺した。少しだけど。

「祐君、高柳君がどうしてこの場で出てくるのですか。いいかげんにしてください」

堪忍袋の緒が切れる。とうとう私が声を荒げると、この男は、私の体の向きを変え、無理やり向かい合わせた。 あいかわらず抱きしめたまま。

「高柳の名前を出すと、表情がでるのな、少しだけど」
「いいかげんにしてください」

今度ははっきりと、言い放つ。奴の胸の中にすっぽり収まる形だから迫力はないけどね。 だいたいさっきから不快感が背中を走っている。もともと人に触れられるのは好きじゃない。 相手が例え校内随一のオトコマエだとしてもだ。
頭を押さえていた手がはずされたので、やっと顔を見上げることができた。
黒くて、少し長めの前髪を鬱陶しそうにかきあげ、こちらも私の目をじっと見つめる。

さっきまでのどこか余裕のある、人を小ばかにした表情とは違う。素の表情。

「俺はおまえが好きだ。」

薄暗い数学準備室の中で、先生の声だけが響く。

今理解できなかったぞ。たぶん日本語だとは思うけど。
普段見る先生と、今のセリフが結びつかない。
脳が考えることを拒否して、うかつにも固まってしまった。 その隙をつかれ、この教師はキスしてきやがった。触れるように軽く。


ドスッ

地面に響く低い音。私がやつを殴った音だ。もちろんグーで。力いっぱい。

殴られたところを押さえて入ってきたときに座っていた椅子に倒れこむ。

「寝言は寝てから言ってください。お話もお済みのようですし、失礼いたします」

乱暴に扉を開け閉めして、自分の教室へ向かう。

怒りに任せて足早に廊下を歩く。渡り廊下から見る空は行きと変わっていない。
ずいぶん時間が経ったような気がしたが、それほど過ぎてはいないらしい。

教室に着くと、いつもはまだ部活に出ているはずの祐君が、私の席に座って待っていた。

「祐君…。部活は?」
「今日からテスト週間だから休みだよ?さては和奈、朝のHR聞いてなかったな」

にこにこ笑いながら祐君が話し掛けてくれる。もうそれだけで先ほどの怒りはどこかへ行ってしまった。

「あ、ごめん、朝は少し考え事をしてて。待たせてごめんなさい。さっきまで鈴木先生に呼び出されていたから」
だめだ、また怒りがぶり返してきた

「それで不機嫌だったんだ、いや、怒ってる?、和奈。先生に何か言われたんだろう、どうせ」

うそ。祐君どうしてわかるのですか?
びっくりして祐君に問い詰めると。祐君はまた私の心臓を止めるようなことを さらっといってくれる。

「うん、あの先生和奈の事気にいってるだろ?執着している、 というか。授業中や廊下ですれ違った瞬間、すげぇ目で睨まれるし、おれ」
「いや、あの。どうして祐君を睨むと、私を気に入っている、ってことになるの?」

ポフって大きな手のひらを、私の頭の上に載せる。
そしていつもみたいにぐりぐりってやって。

「和奈の一番近くに居るのが俺だから。俺が邪魔なんだろ。先生は」

諭すようにそう説明してくれる。
わかったような、わからないような。
はてなのマークを飛ばしながら、考え込む。
祐君は少し真剣な表情になりながら、

「で、告白されただけじゃ、あんなに怒らないよね。なにかされたの?」

考えごとをしながらだったので、上の空気味に先ほど先生にされたことを伝えた。


一瞬、祐君の瞳に怒りの表情が見えた。他の人なら見逃すぐらい小さな変化だけど、
私の目はごまかされない。
いつも優しい祐君なのに。

戸惑って、心配そうに彼を見上げる。

さっきの怒りはどこかへ消え去って、今は優しく私をみつめ返す。

「和奈を怒ったんじゃないよ」

と言って、そっと私に口付けを降らせてきた。

「消毒。和奈は先生との事は忘れて。」

いたずらっ子のような目で笑い、ギュッと私を抱きしめてくれた。
やっぱり祐君だとキモチイイ。落ち着くし、ドキドキする。
矛盾した感覚が同居する。でも、やっぱり祐君がいい。
数えきれないぐらいキスをしてきたけれど、毎回毎回新鮮な気持ち。
今日のは特に、不思議な感じがする。

他の人とのキスでは何も感じないことがわかってしまったから?

私は今日の鈴木先生とのやりとりをキレイさっぱり忘れ去ることにした。
余計なことを覚えておくのは脳に負担だしね。うん。

いつもと同じ帰り道。見上げる祐君の顔はいつも通りで。
私はその横顔をみるたび安心する。

いつまでもそばにいて。

そう強く願った。

>>目次>>Text>>Home>>Next>>Back
KanzakiMiko