初デート

「少しはましになったか?」

口調は今までと同じだけれど、優しくなった先生に甘えるようにしてまたここへ来てしまう。
こんなことではいけない。そう思ってはいるものの、授業を受けるために教室にいる、というだけで精一杯の私にとって、ここは唯一の逃げ場所となってしまっている。

「……たぶん」
「無理するな」

あまりに悪くて紙飛行機にして飛ばしてなかったことにしてしまいたい答案用紙ではたかれる。あのことを言い訳にしたくはないけど、少しは人間らしくなった数学の成績がここのところの小テストでは低空飛行を続けている。

「あんまり暇だとろくなことを考えないだろうから、かわいい生徒のお前に特別に宿題をやろう」

口の端だけをあげる独特の笑い方で、分厚い紙の束を見せ付けられる。それはたぶん、じっくりやりこんだら身につくものだとは思うけれど、どれだけたってもやっぱり数学は好きにはなれない。

「当分ここで勉強すればいい、高柳も不安と不満をはかりにかけたら不満の方がましだろうからな」

よく、わからない事を言いながらも、私に勉強をするように促す。こういうところはこの人が教師だったのだと再認識させてくれる。
私のペンの走らせる音と、どちらかというと豪快に動かしている消しゴムの音だけが響くなか、先生は黙々と仕事をこなしている。あれ以来苦手を通り越して恐怖に近い気持ちを抱いてしまっている男の子たちだけれど、祐君や祐君の友達、先生などを手がかりになんとか笑顔、まではいかなくとも、極端に避ける事をしないように努力している。突然彼らが私の視界に入り込んできたときなどは条件反射のようにビクリと体が震える。もちろん彼らは私の身におこった事を知らないから、そんな風にされれば嫌な気がするかもしれない。もともと少人数の友人以外と口を聞くことは少なかったものの、それでも前にも増してよそよそしくなった自分に内心イライラしているかもしれない。以前は全く気にならなかった周囲の思惑、というものに、やけに敏感になっているような気がする。むしろ、今までまるで周りがいないかのように動いていた自分が不思議ですらある。

「さっさと手を動かす」

筆記具を握り締めたまま考え込んでいた私に、再び見たくもない点数の小テストをヒラヒラさせながら先生が学習を促す。先生は私にどんなことがあっても先生で、私はやっぱり幸せものなのだとしんみりと思った。





「久しぶりにどこかへ遊びにでもいかない?天気も良さそうだし」

本当は、たぶん「大丈夫?」という言葉を言いたい祐君は、私が気にすることにとっくに気がついていて、あえてその言葉はつかわない。
その代わりにその日に起こった細かい出来事を静かに聞いてくれる。あまり今までそういったことをしたことがなかったので、最初は言葉がつかえていたけれど、聞き上手な祐君に促されるままに喋り散らしているうちに慣れてきた。最近では、何か小さな出来事、教室の窓際からカワイイ猫が見えた、とか、がおこれば、それを祐君に話したくてうずうずしている自分がいる。うざったくないのかな、なんて思わないでもないけれど、その優しさについつい甘えてしまう。

「そうだねー、久しぶりにいいかも」

そういえば、祐君と改まって二人でどこかへ出かける、ということがなかったことに気がつく。夏もその後もずっとずっと何かが起こってそれどころじゃなかったせいだけれど、それにしてもそうやって意識してしまうと急に照れの感情が湧きあがる。
祐君に顔を見られないように少し俯き加減になった私に、祐君の声が追い討ちをかける。

「初デート…、なんてね」

それ以上何も言えなくて、でも嬉しくて、小さく「うん」とうなずくだけが精一杯だった。





「デートだああああ?」

美紀 ちゃんが大好物なから揚げをフォークで突き刺しながら素っ頓狂な声をあげる。それに伴って、周囲が一斉にこちらに注目しているような気がして、ちょっと、いや、すごく恥ずかしい。

「美紀 ちゃん、声大きいし」

慌てて美紀 ちゃんを制してみるけれども、どこか激しく納得がいかないという顔をしている美紀 ちゃんは、意に介しない。

「毎日会ってるじゃん」
「それは、そうだけど」
「登下校も一緒だし」
「まあ、それもそうなんだけど」
「土日だって一緒っしょ?」
「そういわれると、一緒、なんだけど」
「で、初デート???」

心なしか周囲が箸を持つ手を休めて、こちらを窺っているような気がしないでもない。気がついてからは、なんとなく美紀 ちゃんか祐君を見ているとばかり思っていたけれど、その何割かは自分に視線が注がれているような気がしないでもない、自意識過剰かもしれないけれど。

「いや、だって…」

私が祐君に告白をした、ということをそういえば詳しく言っていないような気がした。でも、たぶん、いまさら言ったらものすごく怒られる。絶対に、確実に。
何も言えないで、黙り込んだ私に何かを察したのか、美紀 ちゃんの目がきらりと輝いたようなきがする。

「ああ、ようやく自覚した後ははじめてってことね、ほほう」

わざとらしく顎に人差し指をくっつけて、こちらを窺っている。こういうときの美紀 ちゃんはまったく容赦がない。

「まあ、いい傾向だけどねーー、今まで自覚しない方がおかしいっちゅーに」
「でも、でも、だって」

全てお見通し、といった風な美紀 ちゃんに言い返したくて、でも何も言えないでだた同じ言葉を繰り返してしまう。

「脱お子様ってところかしら?一応友人として忠告しておくけど、魔王に食べられないように」
「魔王?」

ニヤリと笑って美紀 ちゃんはそのままお弁当にとりかかる。
意味がわからない私も、空腹には勝てず、とりあえず途中で放り投げたままのお弁当に手をつける。こういうところは祐君と美紀 ちゃんは良く似ている、といったら、美紀 ちゃんが怒りそうでとてもとても言えない。



「尚子さん」

最近めっきり姿を見なかった尚子さんにぱったりと出会う。良く考えれば学年が違うのだから、今までのようにしょっちゅう行き会う方がおかしかったのかもしれない。隣にはあいかわらずかわいい四宮先輩も一緒だ。

「和奈ちゃん…」

一瞬だけ真剣な顔をして、でもすぐにいつものどこか自信に満ちた先輩の顔に戻って私に手を振ってくれる。私の隣の祐君はあからさまに不機嫌なオーラを隠そうともせず、大放出している。なんとなく、最近の祐君は今まで私が思っていた祐君とは違う側面を見せる事が多い。それで彼を嫌いになることなんてないけれど、驚く事が多かったりもする。美紀ちゃんが今までブツブツ言っていた事が少しずつわかったようなわからないような。

「元気?」
「元気ですよ?」

私の頭をわしわし撫でながらそんなことを聞いてくれる。久しぶりにあったのだから、別におかしい挨拶じゃないけれど、今までの尚子さんとちょっと違うような気がする。本当に気がする、だけなのだけれど。

「そうそう、明日」
「用事があるので」

先輩の言葉を素晴らしい反射神経で祐君が遮る。

「あなたには聞いてなくってよ?」
「和奈の用事は僕の用事ですから」
「あら、自信過剰ね」

やっぱり、というか、二人は相性が悪いらしく、さっそくそれぞれ何か激しいオーラを出しながらサイコバトルを繰り広げている。四宮先輩はちゃっちゃと私の隣にきて、のんびり二人を見物する構えに入っている。

「よく……声を掛けられましたね」
「あら?あなたに許可なんていらないと思うけど?」
「もう一度いいますけど、明日和奈には用事がありますから」
「だから、あなたには聞いていないって言ってるでしょ?」

刺々しい言葉の応酬に、気後れして入りそびれていたけれど、尚子さんがこちらをみて「ね?」と聞いてくれたおかげで、ようやく会話に入ることができた。

「いえ、あの、用事があるっていうのは本当…です」
「それって明日じゃなくっちゃだめ?」
「だめっていうか…」

そう言う風に強く言われたことがなくて、返答に困る。

「駄目です、用事があるんです、お呼びじゃないんです」

ギロリ、と祐君を睨みつけたかと思うと、次には笑顔でこちらに振り返る尚子さんは、口に出せないけれどちょっと恐い。それに渡り合っている祐君もちょっと…かもしれない。

「あの、デート、なんです…」

口に出して言ってみると、とても恥ずかしい。祐君とは散々一緒に色々なところに出かけているのに、こちらの意識一つ変わったぐらいでこんなに感じ取り方が違う物かとびっくりしてしまう。

「そういうこと…」

おもしろくなさそうに祐君を睨みつける。

「ま、じゃあ、しょうがない。目をつぶりましょう」
「あなたにいわれる筋合いは毛先ほどもありませんが?」

どす黒い何かが見えたような気がした。

「あ…、ひょっとして魔王って祐君?」

二人を見て唐突にお昼休みに美紀 ちゃんがいった言葉を思い出す。そんな私の言葉に、高笑いの尚子さんと苦笑いをする祐君。だけど、私は、その次に続いた、「食べられないように」という言葉の意味を探し当ててしまって、一人ひっそりと悶絶していた。
美紀 ちゃんってば、なんてことを。
だけど、一度わかってしまって意識してしまうと、もう照れてしまって照れてしまって。その後の私は右足と右手が一緒に出ながら歩くほど、おかしかったと思う。

こんな調子で明日になったら、私はどうなってしまうのだろう。

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KanzakiMiko/5.10.2007