影が揺れる2

毎晩和奈さんを抱く夢を見る。
現実の彼女の体を知っているわけではないから、都合のいいように自分好みの肢体を持つ彼女が毎夜俺を誘惑する。目が覚めた瞬間、激しく後悔する。彼女が好きだとか奇麗事を並べ立てているにもかかわらず、つまるところそういう欲求の対象でしか見ていないということに。
けれども、肉体的な欲求は溜まる一方で、仕方なしに自らで発散させるような真似をするが、精神的な不満は蓄積されていくばかり。
誰にも言えない悩み事はどんどん自分の中で大きくなっていく。
そうして馬鹿だけど割と安定していた精神が徐々に疲弊していくのがわかる。
だけど、それを止める術を知らない。



「おまえ、なんか暗いぞ」
「そうか?」
「うん、なんつーか、オーラが曇天?」
「そうそう、なんにも考えない能天気な雰囲気が売りだったのにね」

クラスメートの男女がそれぞれにからかう。彼らは割と安易な気持ちでそんなことを言うのだろうが、なんとなくささくれだっている自分は些細なことでカチンときてしまう。機嫌が悪いことを隠そうともせず押し黙る。彼らもなんとなく俺の調子が悪い事を察知し、溜息をつきながら離れていった。 彼らの顔を見ることもせずに、先ほどから覗き込んでいる先には、高柳先輩が笑顔を振り撒いている。

男の俺でも一瞬見惚れてしまいそうになる。
あんなに爽やかな人がもう和奈さんを抱いたんだろうか。
彼女はあの時どんな風なんだろうか。
ある意味男としては健全な想像を働かせてはいるけれど、少しずつ疲弊していった心は暗い影に支配されていく。



俺も、力ずくで彼女を手に入れたらどうなるだろう?

そんな恐ろしい思いが正当化されそうになる程、黒い影が揺れる。
こちらを思ってくれないのならば、身体ごと奪ってしまえばいい。
ゾクリと体が震える。
それがそんなことを思ってしまった事に対する後悔によるものなのか、歓喜によるものなのか、もうわからない。





「今日は宿題はないんですか?」
「えーー、うん。さすがに数学ばかりはやってられないし」

大量のプリントから開放されたせいか、心なし彼女は嬉しそうにしている。
今日は英語のテキストを開いて予習をしているらしい。こうやって毎日高柳先輩を待っている間勉強している彼女は、そこそこ成績がいいらしい。数学を除いて、といっても、それでも俺よりも遥かにいい点をとっているらしいが。
相変わらずカモフラージュのように読む気もない本を片手に、彼女がノートの上に走らせている指先を見つめる。白くて華奢な手はうっかり掴んでしまったら壊れてしまいそうだ。
突然、ハラハラと白い紙が和奈さんの目の前に降って来る。
彼女だけを注視していた俺は、それが誰からもたらされたものなのか気がつかなかった。

「・・・・・・・・・これ以上やれって言うの?」

和奈さんは紙だけを見つめ、犯人が誰かをわかったようだ。
ゆっくりと視線を上げると、相変わらず端正な顔をした鈴木先生が不敵な笑みを浮かべて、彼女の後ろに立っていた。

「あの成績で文句を言えるとはいい度胸だな」
「赤点じゃないもん」
「平均点ごときで威張られても困るな」
「私より出来ない人いっぱいいたじゃない」
「人は人、自分は自分。こうやって目にかけてやることをありがたく思え」

恐らく開放されたと思っていた数学の宿題が追いかけてきたのであろう、プリントを握り締めながら明らかに嫌そうな顔をしている。そんな顔を見ても鈴木先生は平然としている。
渋々と舞い降りてきたプリントを整え、英語のテキストを閉じる。
口答えしてもまるで引かないことをわかっているのか、2−3言い返すものの諦めるのは早い。
彼女の一連の動作に満足したような表情を浮かべ、チラリとこちらへと視線を寄越す。
こちらを値踏みするような視線は、自分の中の邪な欲望すら見透かすようで居た堪れなくなる。
思わず視線をそらす。
和奈さんとは反対側にそらした視界には、図書室の通路が写っている。どれだけそのまま固まっていたかわからない。気がつくと鈴木先生は和奈さんを伴い図書室の外へ出ていた。
こちらからは彼が何を話しているのかわからない。
だけど二人の近すぎる距離に、再び嫉妬心のようなものが沸き立ってくる。
彼が彼女の髪に触れる。
彼女は笑ってそれらを受け流す。
たったそれだけのやりとりにじりじりと胸が焦げ付く。
やがて、彼女は笑いながらこちらへと戻ってきた。ユラユラと黒髪が揺れる。その間から覗く白い肌に釘付けになる。

「あの、鈴木先生と何かあったんですか?」
「えーー、なんでもないよ」
「仲・・・いいですよね」
「そう?いいおもちゃにされているみたいだけど」
「しょっちゅう図書室に来るし」
「ああ、心配性なのよ、単なる」
「心配性?」
「あーー、うん。まあ、ちょっとね」

そのまま俺には関係のないことだと言わんばかりにプリントへと取り掛かり始めた。
いつまでたっても縮まらない距離。
そんなことは最初からわかっていた。
手に入れられないことも、一番近くにいられないことも。
友達、なんて言っても、所詮彼女にとっては名前を知っているだけで、通行人とさほど代わりはないことも理解している。



それだけでは嫌だと本能が訴える。

心が影ばかりになる。

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KanzakiMiko/3.7.2006