俺は彼女のことを何も知らない。
体育祭の時に嫌と言う程思い知った。
和奈さんと俺はなんの接点もなく、彼女に関して知っている情報も第三者から聞かされたものでしかない。なのにあんなことを口走ってしまった。良く考えたら、あなたは自分一人では何もできないんですか?と言っているも同前の言葉なのに、頭の悪い俺はそんなことにも気がつかずにいた。情けないことに。
勝手に囚われの姫のように扱って、ひとりよがりにそこから解放してやるとでも思っていたのかもしれない。
再びただ遠くから眺める生活に戻る。それにしても学年すら違う俺は、めったにその顔を拝むことはできない。
選択授業の音楽を受ける為、クラスメートと移動する。そういえば、移動途中に彼女を蹴飛ばしたんだよな、と、ほんのわずか前の事なのにもう大昔の事のように思えてしまう。
自分の足下だけを見ながら歩いていたら、隣を歩く友だちの肘がこつこつと当たる。何ごとかと思い、見上げると、呆然と視線を固定したクラスメートの顔が目に入った。その視線を辿った先には、さっきから俺の中身のない頭を支配しっぱなしの彼女が田中先輩と歩いていた。
「綺麗だよな・・・」
ぽつりと呟いた友だちの声に、思わず頷く。
楽しそうに談笑しながら歩く彼女がこちらの方に気がついたのか、本当にわずかだけど顔を顰めた。蹴倒すは余計なことを言うは、のあまり印象の良くない人間がいれば、それは当たり前の反応。だけど、憶えていてくれたことの喜びと、嫌われているのじゃないかという不安で胸の中はとても複雑だ。
「あら、真柴君、だっけ」
田中先輩が気がついて声をかけてくれた。にこやかに話し掛けてくれる田中先輩とは対照的に、和奈さんは視線を窓の外へと向けている。やっぱり嫌われているのかもしれない。
「和奈」
田中先輩の言葉に、少しだけ鬱陶しそうにこちらへと視線を合わせ、軽く頭を下げてくれる。
「ごめんねぇ、こんな反応するのって珍しいんだけどね」
ずっとその綺麗な唇を引き締め、一言も発してくれない。
「移動?」
「はい、音楽なんですけど」
「そうなんだ、こっちは美術」
なんて他愛のない会話を交わし、それぞれが授業をする教室へと移動しようとする。その間、和奈さんは一切口を挟まない。
唐突に彼女の声が聞きたくなる。
彼女に名前を呼んでもらいたくなる。
もう、そんなことは望むべきじゃない。そう理性ではわかっているのに。
彼女の、声が聞きたい。
「あの」
急に和奈さんに話し掛ける俺に、露骨に不振そうな顔をする。
笑っていてほしいのに、俺はいつも彼女を不機嫌にさせてばかりいる。
だけど、でも。
呼び掛けたはいいけれど、そこから何も言えない。彼女の表情はどんどん曇っていく。
「何?」
初めて開かれた唇で発された言葉。ただの疑問を口にするものなのに、どうしても聞きたかった声が頭に響き、頭の中が一気にスパークする。
「俺、あなたのこと好きです」
真っ白になった俺は、今自分が何を口走っているのかも理解できていない。
和奈さんは大きな目を2-3度瞬きさせ、周囲からはどよめきが聞こえる。
「俺、和奈さんのことが好きです!!!」
何かを言わなくちゃ、そんな焦った思いがだめ押しの告白をさせる。
「………あ、えっと」
自分が今何を言ってしまったのかを、徐々に理解する。
和奈さんの方も、自分が何を言われたのかを段々理解しているらしく、顔を真っ赤にさせている。
好奇心だとか嫉妬心だとか様々な思いがこもった視線が突き刺さる。
「真柴君、やるわね。こんな場所で告白なんて」
「・・・こく、はく?」
「いやーー、若いわねぇ、大声で好きですなんて」
「好きって・・・」
田中先輩の言葉を鸚鵡返ししながら、自分がしでかしてしまったことを改めて自覚する。
「和奈も照れてないで返事してあげたら?」
俯いたまま黙ってしまった和奈さんは、田中先輩の促す言葉も効果がない。
自覚した途端、急激に恥ずかしくなる。
この俺が、和奈さんに告白している!よりにもよってこんな場所で!!
最初から気がつけよ、とひとり突っ込みするものの、気がついてしまえば周囲の視線やらなにやらでいたたまれなくなる。
「いや!!いいです!!!」
何がいいのかわからないけれど、ともなくそんなことを叫びながら、音楽室とは反対の方向へと走りだしてしまった。
無茶苦茶に走って、あっという間に校舎から飛び出す。
やみくもにただひたすら走る。
体力だけが自慢の俺は、随分遠くにある公園に辿り着いてしまった。
さすがに体の方が先に悲鳴をあげ、水飲み場で水を飲んだ後、一気に蛇口から頭に水を浴びる。ともかく色々な意味で頭を冷やしたかったから。
「俺、何やってるんだろう」
地面に水滴が吸い込まれていく。
今さらながらに、やってしまったことの大きさに気がつく。
だけど、それよりももっと、気持ちがすっきりしている。
水分を飛ばすように乱暴に頭を振る。
キラキラと水滴が散っていく。
やっぱり俺は和奈さんが好きだ。