カゴノトリ1

 気が付くと視線が常に誰かを追っている。学年が違う自分が彼女を目撃する機会がそう多いとはいえないはずなのに、鮮やかにその姿が飛び込んでくる。
こんな時期はやたら暑くて気が滅入る窓際の席すらも、彼女の姿を目にする機会が多くなるという理由だけで、捨て難い場所になっていたりする。その気持ちが何に起因するのか、どうしてなのか、そんな難しいことは考えずに、ただ彼女の姿を見つけて喜んでいる。

「ああ。やっぱりいいよな」
「…」

かねてから和奈さんのファンを自認する友人は誰憚ることなく、そんな言葉を口にする。しかし、少し前までは良く知りもしないで反発していた天邪鬼の俺は、素直にその言葉に頷くこともできないでいる。

「あんたもいいかげんミーハーはやめたら?」

彼の隣の席の同級生が呆れながら何度となく繰り返している言葉を口にする。

「いや、だって、目の保養だろう」

突然自習になった授業で、課題をさっさとやり終えた連中は小声だけれどもあちこちでおしゃべりを始めている。さほど難しくなかったため、あまり成績の良くない俺でも難なくこなすことができ、今の3角形で雑談を交わしている。

「真柴君は興味ないの?」
「や、興味ないっつーか」
「おまえはそんな資格があるものか」

この間和奈さんにケガをさせそうになったことを、今でも思い返しては愚痴愚痴攻撃される。彼が彼女のファンであることは知っていたが、思ったよりも思いが深いのかもしれない。

「そういうお前こそ高柳先輩に興味ないわけ?」

学内の人気を二分しているという噂の彼に、好きとまでは言わないけど憧れに誓い想いを抱いているものは多い。

「うーーーん、それこそ興味ないというか、どっちかっていうと嫌いかも」

おおよそ彼に対する評価では聞いたことが無い言葉にしばし固まる。

「は?つーかなんで?男から見ても綺麗だとおもうぞ、あの人」
「綺麗なのは認めるけどさ、なんていうか縛りすぎ?」
「縛るって…」

呆気にとられる俺たち二人をよそに、彼女はやっと吐き出す相手が出来たとばかりに先を続ける。

「酒口先輩みてるとさ、まるで籠の鳥みたいだなって思うわけ」
「かごの…トリ?」
「そうそう。だってさ、小さい頃から一緒にいてずーーーっと傍にいて見守られてっていえば聞こえはいいけど、見張られてるわけでしょ?ようは…」
「幼馴染っていないからわかんねーけど、そんなもんじゃねーの?」
「異常だって、絶対。何をやるにも高柳先輩の許可がいる感じがする」
「嫌いだって言うわりにはよく観察してるな」

友人が感心したように素直な感想を述べると、彼女は一瞬にして赤面して顔をそらす。

「……最初はちょっといいなって思ったからさ」

そういうことか、やっぱり見た目に引き込まれていたんだな。

「だから、ちょっと見だけでもそう思うって。私だったら息が詰まる、あんな関係」

彼女の言葉に、最近目にした彼女の光景を思い出す。確かに授業以外は常に彼の姿がそばにある。部活だって高柳先輩が終わるまで待っているみたいだし。和奈さんの生活は彼を中心に回っている。それは観察期間が短い俺ですら簡単に気が付いた出来事だ。

「たまたま、高柳先輩がいい男だったからいいけどさ、最初から選択肢がないなんてつまらなくないのかな…」

そう呟いた彼女の声が頭の中をぐるぐる回っている。

誰もがお似合いだという二人。

そんなことを疑問に思うことすらなかった。
あまりにも自然に二人一緒に過ごしているから。

同級生が発した何気ない一言は、思った以上に深く俺の中に突き刺さっていった。



 ストーカーのようだけど図書館で勉強している和奈さんを同じ空間で眺めるのが日課になっている。彼女は蹴倒したのが俺だとは未だに知らされていない。高柳先輩に機会を潰された以上に、俺自身が彼女に直接声を掛けるのをためらっているからだ。
肩より少し上で切りそろえられた髪の毛を、ちょっと鬱陶しそうに耳に掛ける仕草が溜息もので、いつも見惚れてしまう。
ついつい見入ってしまう俺の視線に気がついたのが、もう一人の人気者、独身数学教師の鈴木雄一郎だった。

 6人掛けの机の窓際に一人で座っている彼女の真正面に座っている。和奈さんはいつも田中先輩といるか祐貴先輩といるかその両方、もしくは一人でいることが多い。あまり人付き合いが得意じゃないらしい。そんな彼女に堂々と近づけるやつはいなくって、図書館内でも遠巻きに姿を窺う連中ばかりいる。俺もその中の一人なんだけど。
 ふと、数学教師の長い指先が彼女の髪に触れる。俯いている彼女の耳から零れ落ちた髪を掬ってまた掛ける。たったそれだけの仕草なのに妙に二人の雰囲気が色っぽくて、知らず知らず赤面してしまう。彼女もどうしてだかその動作に慣れているようで、まるで反応を示さない。もう一度鈴木先生が、こちらを一瞥する。その視線はおもしろがっているような、獲物を狙っている動物のような複雑な色を湛えていた。
 9月だとはいえ、すでに日は傾きかけている。そろそろ部活動も終了する時間である。彼女は、窓際に視線を移し、一つ簡単に伸びをして帰宅準備に取り掛かる。
図書館の方も閉館時間に近づいている。俺もそろそろでなくちゃいけない。
読みもしない本を漁りつつ、貸し出しカウンターの方へと向う。
彼女になにやらプリントを届けていたらしい数学教師の姿はもうなく、一人きりで図書館を後にしている。後姿にすら見惚れている俺は、何を手にしたかもわからず適当に貸し出しの処理が終わった本を適当にかばんの中へと突っ込む。
姿を見かければ嬉しくて、声を掛けたくて掛けられなくて。

彼女のことを思うと胸が痛い。

こんな気持ち、知らない。

>>目次>>Text>>Home>>Back>>Next
KanzakiMiko/4.8.2005