次の日、恐る恐る姫の教室を訪ねる。昨日はあのまま姫は早退したらしい、もちろん祐貴先輩も付き添って。俺はといえば、クラスメートからの激しい攻撃をなんとか交わしながら彼女の教室にたどり着く。だけど、期待していた彼女の姿はなく、こちらに気がついた田中先輩がこちらの方へとやってきてくれた。
「熱出して休んでるんだわ、ごめんね」
昨日とはうってかわって落ち着いた表情で答えてくれる。緊張が解けて一気に気が抜けてしまう。
「あ、なんだったらお見舞いに行く?私も行くし」
「え、あ、お願いします」
突然の提案に声がうわずる。
「まあ、冷酷王子がいるけど気にしないで」
今レイコクと聞こえた気がするけど、それって“冷酷”“例刻”あ、やっぱり冷酷だよな。
で、それってあの…。
「祐貴がへばりついてるだろうからねぇ」
ははって乾いた笑いを浮かべるしかなかった。昨日の問答無用の雰囲気に飲まれちまった俺としてはもう一度彼の側に近寄るのは避けたいところだけれど。
俺より少しだけ背の低い田中先輩に連れられて、和奈さんの家へと向う。
通いなれた道のようにサクサク歩き進める田中先輩ときょろきょろと頼りなげに歩いている俺のコンビはどこからどうみても強い先輩と弱い後輩。
そんな奇妙なコンビを迎え入れてくれたのは、和奈さんの母親だった。
予想外に彼女に似ていないお母さんを目の前にして、一瞬挨拶を忘れてしまう。田中先輩がにこやかに挨拶するのに気が付いて慌てて頭を下げる。
「あらあら、あなたが???」
含みのある言葉に笑顔を向けられどぎまぎしてしまう。
「ああ、祐貴が何か言ってました?」
「それはもう…。和奈の部屋に行けばわかるわよ」
と、イタズラを思いついた子どものような笑顔のこの女性に背中を押されるようにして和奈さんの部屋へと案内される。
普通の家の普通の廊下、なはず。なのに必要以上に緊張している。さっきからうまく声がでないぐらい喉も渇いている。
「和奈、いい?私だけど」
中から返事は無い。代わりに少しだけ開いた扉の向こうからは学内で一番有名な男の顔が覗いていた。
「田中さん?」
語尾を上げつつ後ろに控えている俺の方へと視線を走らせる。ただそれだけなのに硬直してしまって声を掛けることすらできない。
「まあまあ、そんなに威嚇しないの」
不穏なオーラもものともせずあっさりと高柳先輩を窘める。
「ちょうど寝たところなんだ。だから下でお茶でもどう?」
まるでこの家の住人のような言い方が気にならないと言えば嘘になる。だけど、それが当たりまえかのように自然とした動作で促されてしまう。
「で、何の用?」
我が家のように慣れた手つきでお茶の用意を手伝っていた高柳先輩が優雅にティーカップを片手で持ちつつ口を開く。
一口だけなんとか紅茶に口をつける。
「謝りに来ました」
「そう、ありがとう」
マイナスの感情しか感じられないけれども、どれだけ和奈さんを大切にしているのかが痛いほどわかる。
「今年って、和奈ついてないよねぇ」
この雰囲気に慣れきっているのか悠然とかまえて高柳先輩に話をふる。
高柳先輩は綺麗な眉を多少寄せて、嫌な顔をする。造作が綺麗だとそういった表情もなぜだかやたらと迫力がある。
「確かに………。変態教師のせいか?」
「まあ、あれが関わってきてから変なことが多いけど、一回目は祐貴も関係あるんじゃないの?」
二人の間で交わされる会話の内容はわからないけど、高柳先輩が関わっている出来事と言えば、球技大会の一件かもしれない。アレは確か、先輩に横恋慕した同級生が和奈さんを突き倒したといった事件だったはず。当時まるで彼女に興味がなかったはずの俺ですら簡単な概略がつかめてしまえるほど、あっという間に広まってしまった出来事。
別に学校側からの公式な説明があったわけでも、当事者から何かが漏れてきたわけでもないのに、そういった話題はまことしやかに侵食していくものかもしれない。
あの後、加害者側の女性徒は和奈さんのファンと高柳先輩のファンの両方に攻撃されていつのまにか転校していったらしい。
「あれは…、確かに。反省はしているよ」
「まあ、そういうことだからこの後輩君のことも許してあげなさいね」
しれっとそんなことを言い放つ。
高柳先輩はそんなことすらお見通しだったのか、まるで動じずわずかに目線をこちらへと寄越す。
「今回はわざとじゃないし、ケガもしてないからいいけど、十分気をつけろ」
「え?あっと…、はい気をつけます」
一瞬何を言われたのかわからなかったけど、どうやら許してもらえたらしい。
でも、どうしてこの人に赦しを請わなければならないのかという根本的な疑問は解決していない、ということに単純な俺は気がついていなかった。
先輩同士が気軽な軽口を叩いているのを眺めていたら、高柳先輩がカップを落としそうなぐらい驚いて立ち上がった。
冷静な雰囲気が似合いそうなこの人の慌てた姿にこちらも驚き、カップを持つ手が止まる。
「和奈!!!何やってる」
その時には何かよくわからない気持ちに囚われていた俺は、その人の名前に即座に反応して振り返る。
そこにはかわいいチェック柄のパジャマを着た和奈さんが、高柳先輩の勢いに驚いた顔をして立っていた。
「何って、お水飲みたくて」
「そんな格好で降りてきちゃだめだよ」
「そんなって、別にただのパジャマじゃない」
「和奈を気絶させた後輩が来てるんだよ、いいから上に行ってて。お水は僕が持っていくから」
大慌てで和奈さんを入らせないように体でブロックしている。
どうやら今の姿を俺に見せたくないらしい。気持ちはわからなくもない。
「あれ?そうなの??じゃあ挨拶ぐらいしないと」
先輩の思惑などまるでわかってないかのように無邪気にこちらの方へ向ってくる和奈さん。必死で止めようとする高柳先輩。
その二人の誰か他の人が入り込めないような雰囲気や、今まで培ってきたであろう二人だけの時間といったものを感じてしまい、なぜだか胸が痛くなった。
その気持ちがなんなのか、その時の俺にはまるでわからなかった。