「おい、涼介、危ないって」
友人の一人の制止もかまわず階段の手すりを乗り越え、いっきに階下まで飛び降りる。
特に運動部に所属しているわけじゃないが、運動神経だけはやたらといい俺はこんなことぐらい楽勝でできちまう。
いつもの慣れた行動と少しばかり自慢の運動神経のせいで、うっかり前方確認をしないままつっこんでしまう。案の定、
ヒラリと飛び越えた後、突然俺の視界に黒色の物体が飛び込んできた。
それが女生徒なのだと認識するころにはすでに、彼女を蹴り飛ばし、階下に突き飛ばしていた。
勢いがついた自分自身は彼女を下敷きにしてやっと止まることができた。咄嗟に押し潰さないように両手を突いたので、その女生徒は俺の両腕の間に横たわっていた。
後ろから女の悲鳴と、たぶん友人たちの怒声が聞こえてくる。
振り返ることもできずに、地面に横たわる彼女。気絶してしまったのか、ぐったりしている。慌てて抱き起こし、意識を確認したとき女生徒が先ほど噂をしていた姫――――酒口和奈なのだと気がついた。
伏せられた長いまつげ、色を失った白い肌、艶やかな唇。
初めて間近でみた彼女の顔は噂通り、いや、それ以上の美しさだった。
姫は起きることなく、俺の腕の中で意識を失ったまま。顎のラインで揃えられた黒髪が幾筋か頬に流れる。
彼女に見惚れ、身動き取れなくなった俺は、後ろからの強烈な蹴りで我にかえる。
「なにやってんのよ、このばか、さっさと保健室に運びなさい!!」
怒りの形相で見下ろす彼女は、姫の友人なのか、仁王立ちして睨みつけている。
彼女の言葉でやっと自分のやらなければならないことを思い出し、慌てて保健室へ急ぐ。
保健室のベッドに彼女を横たえた瞬間、襟首をつかまれ先ほどの友人らしき人にひっぱたかれる。
「和奈に何かあったら、ただじゃおかないからね」
激昂しながらも冷ややかな声音で言い放つ。
「まあまあ、田中さんもほどほどにして、大丈夫だから」
慌てて保健医が止めに入る。
「でも、前にも頭を打ってるし、和奈身体弱いし、華奢だし、心配じゃないですか!」
「確かに酒口さんは華奢だけどね、今回は大丈夫よ、彼が咄嗟にかばったみたいだし」
保健医が俺の手首を掴む。
「痛くない?捻挫してない?」
そういえば微かに痛むような。
「や、大丈夫です、ちょっと痛いだけですから」
「そう?彼女を押しつぶさないように腕ついたでしょ、少しして痛むようなら遠慮せずに言うのよ」
「はい…、で、あの、先輩は大丈夫なんでしょうか」
保健医と俺を睨みぱなしの先輩の方を見て訊ねる。
「軽い脳震盪ね。それほどひどくは打ってないみたいだし、念のため痛むようなら医者に行ったほうがいいと思うけど」
少し安堵する。だけど、原因を作ったのは俺だというのはかわりないので、ちっとも心は軽くならない。
「俺、ここにいていいですか?目が覚めるまで心配だし」
心の底からの心配とわずかに混ざった邪な心でたずねる。
「必要はない、それは僕の役目だから」
後ろから冷気を含んだ声が突き刺さる。
振り返ると、保健室の入り口には、酒口先輩にはお似合いだと噂の彼氏が立っていた。
あまり見えなくてもよくわかる感情。
氷のようなオーラを纏って近づいてくる。
「君が元凶?」
視線が突き刺さる。
目をあわすことができない。動物同士の勝負だとこの時点で大負けだ。
俺と、この人では格が違う。
彼の右手がわずかに上がった瞬間、殴られると思った。思わず目をつぶる。
だけど、いつまでたってもその衝撃は訪れず、恐る恐る目を開けたら、片手で制している田中先輩の姿が映った。
「私が数発殴っといたから、祐貴はもういいでしょ、それより和奈の側にいてあげて」
氷点下の彼のオーラを楽々と制し、尚且つ目先を変えてくれた彼女に感謝するとともに畏敬の念を感じてしまう。たかだか1つしか違わないのに、どうしてこれほどこの人たちと異なるのか。
「じゃあ、あの…。今度ちゃんと謝りに来ますから」
なんとか発した言葉も祐貴先輩の冷笑とともに却下される。
「こなくていい、君の顔など2度と見たくない」
そんな彼の態度にため息をつきつつ、真剣な顔で田中先輩がこちらに言葉を掛けてくれる。
「あー、直接こっちの教室にくれば和奈に会えるから、2-2なんだけど。そうしたらこの怖い人もたぶんいないだろうから、謝りにきて」
目線に怒りを乗せ、それをあからさまに向ける祐貴先輩と、何事もなかったかのように受け流す田中先輩。
そんな二人に気圧されて、もう一度姫の顔を覗いていこうかなんて考えも浮かばないほど慌てて、保健室を後にした。
このときにはすでにもう、姫に恋していたんだと、後になって気がついたときにはすでに手遅れだった。