24/小さな花が咲く時に

「おはよーございます」

上機嫌の葉月に挨拶をされ、今日も早くに出勤していた高山は首を傾げる。
あれほど普通ならインパクトの強い告白をあっさりと忘却していた人間だ、昨日の意味不明の会話も記憶が無いに違いない。ましてや、熱を出していた葉月が、だ。

「昨日、電話」
「覚えてるんですか?」

失礼と言えば失礼な、葉月を良く知る人間からしれば至極当たり前の答えを返した高山に、葉月は気持ち眉根を寄せる。

「あー、夢じゃなかったんだ」
「ええ、現実です」
「そっか」
「どういう意味か聞いてもいいですか?」
「いいかげんその敬語なんとかなりません?もっとこうフランクに」
「癖です」
「なんか、他人行儀な」
「……そういうことなら、そういうこととして受け取りますが?」
「いいんじゃないんですか?そういうことで」
「どういうことかわかってて言ってます?」
「わかっているようなわからないような」

わざわざ葉月の方から高山の居室へ赴き、勝手にコーヒーサーバーからコーヒーを失敬しながら会話を続ける。
性格通り綺麗に整頓された書類や資料の壁に囲まれながら、自分の椅子に座った高山と、客用の椅子に座った葉月が相対している。

「私、男嫌いなんですよね。実は」
「は?」
「やーー、嫌いっていうか、異性としての男がだめっていうか」
「それは、兄弟と関係ありますか?」
「話したっけ?」
「昨日?」
「あーー、そこのとこは覚えてないや」

ぼんやりとした意識の中で覚えているのは最後の数回のやりとりだ。最初に話し出しただらしのない兄弟のことなど露とも覚えていない。

「睦月、は兄なんですけど、もうこれがまた女の子大好きで、二股三股はあたりまえ、しかもそれを隠そうともしないっていうお間抜けなやつで」
「……それと自分を一緒にしようとしてたんですか?」
「まあまあ、で、文月の方は、女を馬鹿にしているくせに女の子の体は好きっていうどうしようもないやつで」
「だから、そんなのと同じカテゴリーに入れられたんですか?私は!」
「はっはっは、まあまあ。それに八木はあれだし」
「まったくもって心外です。葉月さんも噂の事務員と同じカテゴリーに入れられたいんですか?」

高山が例に出した事務員とは、接する学生に片っ端からちょっかいを掛けていき、たまらずあまり学生とは接点のない会計課にいれられたものの、再び返り咲いた図書館勤務で再び学生を食べまくっている、と真っ黒な噂を振りまいている女性だ。確かに、同じ性別、というだけでそこに自分も入れられてはたまらない、と、腑に落ちる。

「それを言われるとねーー、気が付かなかったっちゃ、気が付かなかったんだけど、そのことに」

あまりにも考えなしで行動していた自分に嫌気がさしつつも、さほど後悔はしていない。
兄弟のことがなくとも、葉月の行動にそれほど違いがあったとも思えないからだ。

「まあ、そういうことで」
「どういうことですか?」
「んーー、ぼちぼちいきましょうってことで」
「その先に結婚があっても泣き言はいいませんね?」
「……そこまでは」
「そこまで考えてください」
「じゃあ保留」
「……ぼちぼちでいいです」
「やっぱりそういうことで」

一気に高山の入れたコーヒーを飲み干し、上機嫌で葉月が立ち上がる。
さらり、と零れ落ちるかのような彼女の髪の毛に思わず触れる。
今までは注意深く触れないように触れないように、後からセクハラだと訴えられないように行動してきた高山は、今日の今日で少々そのガードが外れたようだ。

「何?」
「いえ、なんとなく」
「なんとなく、ねぇ」

下心を持って触られれば、良くて平手、悪ければ癖の悪い足が出る葉月にしては珍しく大人しくしている。

「まあ、そういうことで」

曖昧な返事を残して、葉月は高山の居室を後にする。
なんとなく今日は気分が良い。
このままならば、渡会准教授の理不尽な押し付け仕事も、全くもって向上する気配すら感じされないアナログなままの教授の仕事も、文句一つ無く受け入れる事ができそうである。
そんな風に寛容の心をもって挑むと、それ以上の仕事がやってくる。
何かの法則かのように、葉月は仕事におわれ、昂揚した気分などどこかへ消え去ってしまった。
必死の思いで仕事を終わらせたのはとっくに終業時間を過ぎ去った頃。
ため息をついて両肩をほぐす。
そこへ、タイミングよく高山が現れ、笑顔で葉月へと近づいてきた。

「送っていきますよ」
「……ありがとうございます」

初めの頃の葉月からしてみれば、考えられないような素直な言葉が口から零れ落ちる。
そんな自分が嫌じゃない。
リラックスした気持ちで高山の隣を歩き、雑談を交わす。
二人は一緒にエレベーターに乗り、一階を目指す。
周囲からしてみれば、最近良くある風景で、だからこそ近しい人たちは二人の微妙な雰囲気の違いに気がつくことはない。

ただ一つの例外たちを除き。

「葉月!!!そいつ誰だ!」
「出た、変態」

帰りの遅くなった葉月を待ち伏せして、兄、睦月が仁王立ちをしている。
研究室までこなかったのはましだが、それも一度やって葉月がこっぴどく彼らを叱り倒したからだ。
そう、当然社会人の睦月と違い、もっと暇な文月もその後ろに睨みつけるようにして待ち構えている。
高山の存在は聞いてはいるし、弟にしても顔は見てはいるものの、ここまで近い距離で対峙するのはまだ二度目だ。

「葉月、兄さんたちと帰ろう」
「絶対嫌」
「だめだ、そんなやつ危ない」
「あんたじゃないし」
「男はみんな同じようなもんだ」
「世間一般の普通の男の人が聞いたら怒るから、それ」

口下手な弟は文章にならない言葉を発している。
恐らく、兄と同じようなことを喚いているのだろう、と、葉月はそちらも睨みつける。

「うざい。あんたたちがしたこと、ばらすけどいいわけ?」

煩く喚いていた兄弟がぴたりと口を閉じる。
己の悪行の数々が、どれなのかもわからなくなるほど心当たりのある二人が、恨めしそうに葉月を見下ろしている。

「ということで、行きましょう、高山さん」

わざとらしく高山のシャツを少しだけ掴みながら、二人の隣をすり抜けていく。
子々孫々祟るぞ、と言いたそうな視線を感じながら、高山と葉月はさくさくと歩きつづける。

「…いいんですか?僕、むちゃくちゃ恨まれてません?」
「誰が相手でもあんなんだよ、あいつら」
「そう言われても、あからさまに敵意を向けられるのは気持ちのいいものでは…」
「シスコンだからねぇ、あの二人。あ、ついでに姪コンの伯父と、娘溺愛中の両親もいるけど」
「……前途多難な気がしてきました。ただでさえ当の本人がややこしいのに」
「なにそれ?」
「いえ、こちらの話です」
「ふーーーーーーん」

頬を膨らませた葉月も、機嫌を悪くしているわけではない。どちらかというとこうやって軽口を叩き合える関係を嬉しいと思っている。
これからも、もっともっと、会話が増えればいい、そんな風に思って、また嬉しくなった。
二人の関係は歩き始めたのか迷走し始めたのかはわからないまま、それでも着実にゆっくりと進んでいく、予定だ。
もうすぐ、葉月の意志で高山と出かける夏休みが始まる。
葉月は、わけもなく笑顔をこぼした。
高山がそれに答えるかのように笑顔になる。
胸に、小さな花がさいたような気がした。



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11.28.2008/end.

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