「おかえりなさい」
本当に真っ先に葉月の元へとやってきた高山に、苦笑しながらも弾む気持ちが押さえられない。気がつかれないように深呼吸をして、精一杯の笑顔を返す。
「あの、おみやげ」
「ありがとーござます」
リクエスト通りにチョコレートを買ってきてくれたことを確認して、食欲旺盛な葉月が邪気の無い笑顔を浮かべる。その笑みに思わず高山もつられる。
「それと、これ。迷惑じゃなければいいのですが」
かわいらしい箱に入れられたそれは、あきらかにアクセサリー類の入ったもので、さりげなく渡されたそれを、葉月は思わず条件反射のようにして受け取ってしまった。
「……これ」
「ピアス、なんですけど、あの。あんまりこういうのってわからなくって」
同門の友人たちにみつからないようにして購入しようとして、うっかりみつかって、先日会った田中氏にもさんざんからかわれた、といったエピソードを早口に語りながら、葉月の顔色を窺う。
そういった類のものをもらえるとは思っても見なかった葉月は、固まったまま、ただその箱を凝視している。
「やっぱり、迷惑、ですよね」
「あ、いえ、そういう、わけでは」
饒舌だった高山が葉月のリアクションで一転して押し黙る。
「あけていいですか?」
「ぜひ、あの、気に入ってもらえると嬉しいですが」
ラッピングされたそれを丁寧に解き、蓋を開ける。
小さな涙型のパーツがついた、シンプルなピアスは、どちらかというと地味なものを好む葉月の趣味にはぴったりで、思わず感嘆のため息がもれる。
「やっぱり、だめですか?」
「いえ!かわいいです、好きです、こういうの」
葉月の偽りの無い言葉に、ようやく高山が安堵の表情を浮かべる。
「よかったぁ、そういうのってほんとーーによくわからなくって、困り果てましたよ」
「すみません、気を使ってもらって」
「いいえ、葉月さんが喜ぶならいくらでも」
深読みすれば、どうとでもとれそうな言葉をさらりと吐き出し、今まではそんなことどころかもっと踏み込んだ言葉にも反応しなかった葉月が、複雑な顔を作り出す。
葉月の終業時間はとっくに過ぎ去り、二人のポスドクたちも、学生があまりいなくなった実験室にこもってはもくもくと実験を進めている時間帯だ。本来なら、葉月ものんびりとこんなところにはいないのだが、高山がまっさきに自分の元へとやってくる、と言っていたことを忘れずに、律儀にこんな時間までこの人のことを待っていたのだ。一昔前の自分ならありえないことで、今でもこうやってわざわざ高山を待っていた自分、といったものが信じられないでいる。
高山にしても、自分が帰り着く時間を考えれば、葉月がいる確率は半分以下で、いたとしても仕事を押し付けられ、不機嫌な状態でだろうと推測していたぐらいだ。
予想に反して、暇そうにしながらネットをいじっている葉月がいてくれたのだが、そのときの喜びは、表現のしようのないものだった。だからこそ、思い切って下心が透けて通るほどの代物を葉月に渡す気持ちになったのだから。
「あの……」
「なんですか?」
「いえ、なんでもないです」
思わず二人の関係を問い質しそうになって、慌ててそれを引っ込める。
「ありがとう、ございます。本当に。お返ししなくちゃいけませんね」
「お返しなんて気にしなくていいですよ、あげたくてあげたんですから」
「でも」
気軽にほいほいと受け取っていいほど、葉月はこういうことには慣れていない。まして、高山にしてみれば、そういった意味をこめたものなのだから、戸惑うのも仕方がない。
「僕が葉月さんを好きで、だから渡したんですから、本当に気にしなくてもいいですよ」
「ええ!!!!!」
思いもかけない高山の告白に、葉月が思わず叫び声をあげる。
よく考えなくとも上司を通じてお見合いを打診し、あまつさえ大胆にもこの居室で告白をしたことのある相手に対する態度とは思えない。
だが、葉月とあちこち出かけるようになり、彼女のかなり大雑把な性格と、都合の悪い事は忘却の彼方に流してしまう性格を見てきた高山は、やっぱりか、と口に出しそうになる。
「忘れてましたね、その感じだと」
「ええ!、いえ、あの」
忘れていました、と、はっきりいうのはさすがにあれだろう、と、ごくりと飲み込み、取り繕おうとして完全に失敗している。このうろたえ方では、綺麗さっぱり忘れていました、と白状したも同然である。
「今も変わっていないんですけどね、気持ちは」
「はぁ、えっと、どこが?」
自分に向けられた言葉とは思えず、思わずこんな自分のどこがいいのかを問い質してしまう。
「どこがって、上げるとすればたくさんありますけど」
「いえ、いいです、すみません、勘弁してください」
「一刀両断じゃなくなっただけ、進歩ということでしょうかね」
そう言われれば、と、結構にべも無い言葉で断った自分をこんなところで急に思い出し、じたばたしたくなる。
「すみません」
「で、それはどのすみません、なんですか?」
どこかで聞いたようなセリフを繰り返され、さらにうろたえる。
「まあ、今日はこのぐらいで、あんまり動揺しないでください」
顔を赤くしながら黙ってしまった葉月を興味深そうに眺めながら、高山がさらりと話題を変える。
「おいしいパスタ、食べに行きませんか?」
唐突にわざとらしくも方向を変えられた会話に少し戸惑い、それでも必死の思いで新しい話題に飛びつく。
「行きます、行きます。行きたいです」
「じゃあ、今週末にでも」
微妙な男女のやりとりなどなかったかのように、二人は頷き合う。
「それじゃあ、遅いですから、送っていきますね」
幾度も聞いたそのセリフを、何の拒絶反応もなく葉月は受け取る。
確かに、そう言った意味では二人の関係は間違いなく進歩している。
それが、第三者の目から見れば、まるで変化のない静止画像のように見えたとしても。
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