19/小さな花が咲く時に

「今度フランス行くんですけど」
「ああそうですか、いってらっしゃい」

自分の上司を見ても、高山があちこちへと出張をすることなどあたりまえ、と考えている葉月は気の無い返事をする。
恐らくフランスあたりならばおいしいお土産を手渡されるだろう、といった皮算用は抱くものの、それ以上の感想はない。
まあ、娘らしく羨ましい、といった感情がないではないが、彼らのそれに伴う仕事を思い浮かべたら、そう簡単に妬むことなど出来ない、と言うのが葉月の見解だ。

「もう少し寂しがってもらえると嬉しいんですけど」
「そうですか、寂しいですね。で、ご用件は?」

相変わらずタイミングの悪い高山は、葉月が一番忙しい時間にのこのこ現れてくれた。だからこそこうやってそっけない態度になってしまうのだが、それこそ高山に対して垣根がなくなってきたことの証左であり、そのことに気が付いているのかいないのか。

「あのーーー、おみやげのリクエストとかありましたら」
「チョコレート、チョコレートでお願いします」

手は動かしながらも、すかさず一番好きなものを注文する。

「いえ、それ以外に」
「以外ですか?クロワッサンは出来たてがいいし、フォアグラはイマイチ好きじゃないし。フランスってあと何が名物でしたっけ?」

ぱらぱらと書類をめくり、必要なところには訂正を入れ、それが終われば提出先別に整える。そんな単純な作業を繰り返しながらも、なんとか高山とのやりとりも続ける。

「ブランドものとか」
「あんまりブランドチョコとかって知らないんで、なんでもいいですよ。でもおいしいやつでお願いします」
「チョコから離れません?」
「ダメですか?チョコ」
「いえ、ダメじゃないですけど」
「じゃあ、それでお願いします」
「財布とかスカーフとかそういったものに興味ありませんか?」
「ないです」
「……、小物でもいいんですけど」
「使えればなんでもいいですからね、別にこだわりないですし」
「そうですか…、わかりました」

ようやく何かを諦めたようにして高山が葉月の机から離れる。

「あ、高山さん」
「はい?」

離れかけた高山を引き止めるかのように、葉月が書類から視線を上げてしっかりとその両目を見つめる。

「気をつけて」

たった、それだけの、簡単であっさりとした葉月の言葉に、高山は一瞬息を止め、次に思い切り顔を綻ばせる。

「はい、気をつけて行って来ます。一番に葉月さんのところに戻ってきますから」

高山のあからさまな言葉にたじろぎもせず、葉月も笑顔で返す。
それを見守っていた二人のポスドクの方が顔を赤らめながら、顔を見合わせていたというのに。



「兄ちゃんは、反対だな、そんなおじさん」
「……」

口下手で粘着質な弟からの告げ口か、ようやく取れた休みを愛しい妹のために消費することになんの躊躇いもない睦月が口出しをする。
高山のいない休日がこれほど味気のないものだとは思いもよらかなった葉月は、少々テンションが下がり気味な上に、さらに兄弟の鬱陶しい攻撃に気分がさらに下降する。
以前のように怒りのあまり食事を中断する、などというとんでもないことをしでかすのじゃないかと、父親はおろおろし、だけれども高山との付き合いがどの程度なのか知りたい、といった父親心の狭間で、制止も中途半端なものとなってしまっている。

「いいか、葉月お前の年で男女交際だなんて、早すぎる」
「うざい」
「どれだけ経歴は立派かもしれないが、いや、俺の方が立派だし、そうじゃなくって、中身なんてどれもこれもケダモノと同じなんだから」
「一緒にするな、外道」
「いやね、葉月はわかっちゃいないだろうが、あの年で独身で売れ残りっていうのはな」
「伯父さんと父さんに聞いてみたら?」

世間一般でいうと割と年がいってから結婚した実の父親が申し訳なさそうな顔をしている。
学部時代からの付き合いがそのままうまいこといき、結婚にこぎつけるのでなければ、それこそ職を手にしてから、といった悠長な事を言っていれば、適齢期といわれるものを過ぎてしまうのは致し方が無い職業だということは、睦月も葉月も理解している。もちろん、睦月はなんとしても初めて出来た特定で特別に親しい異性、といったものを排除したいがために僅かな瑕疵と思われることばらば、何百倍にもして言い立てたい衝動を隠そうともしていない。

「つーか、友達だし」
「おまえなぁ、いつまでもそんなオトモダチのまんまじゃいられないだろう?普通」

あまり普通の付き合いをしていないこの男に言われたくはない、と思いながらも、確かにこれから先、のことを考えれば考えるほど不透明だ。
もし、高山に恋人ができたのなら、葉月と今までのように遊んではいられないだろう。いや、そもそも二人きりで出かける、といったことすら出来なくなる恐れがある。
それぐらいの分別は葉月にもあるし、八木の例をみるまでもなく、やきもちをやく気持ちがわからないでもない。
だから、高山との友情は恐らく期間限定のものになるはずだ。
そう考えるとたまらなく寂しい、と、思ってしまう気持ちはなんなのか。
考えても考えてもわからなくて、葉月はさらに深く考え込む。
隣でごちゃごちゃ言っている兄も、その後ろで粘着質な視線を送ってくる弟のこともまるで気にならないほど、葉月の思考はここのところ高山とのことに占められつづけている。
姿を見なくなってたった一週間。
ただ、それだけのことなのに、これほどぐちゃぐちゃと考え込む自分が、一番理解できないでいる。
ぼんやりとカレンダーをみつめ、鬱陶しい兄弟を足蹴にしながら自室に引っ込む。
もう少し。
思わずもれてしまった呟きに、どきりとする。
ただの友達、から特別な友達。
ややこしくねじれた異性観をもつ葉月にしてみれば無難な納得の仕方で、それでもそれだけで済ませられない自分の思いに戸惑う。
考えないようにしよう、と、ベッドの上に寝転がりながら天井を見つめる。
携帯を手に、日付を確認する。
ジャラリと揺れるストラップと、カウントダウンするカレンダーの日付。
あと少し。
もう、零れ落ちた呟きを意識することもできないでいた。



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10.17.2008

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